2006/05/04

06/04/02 主の言葉どおり M 

2006年4月2日 
瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主の言葉のとおり     
列王記下24章1_4節讃美歌 59,2:177,138
堀眞知子牧師
 57年間の背信の王の後、民の新しい時代への期待によって立てられた信仰の人、ヨシヤはユダ王国の王として、神の民イスラエルの王として、意欲的に宗教改革に取り組みました。そこには彼を支えた祭司達、家臣達、民の指導者達、イスラエルの民がいました。そして何よりも、神様の御手がヨシヤを支え、豊かに用いられたのです。こうしてヨシヤは「律法の書」に従って、宗教改革を実行しました。23章25節に「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった」と記されていたように、彼は心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神様に立ち帰りました。神様の御前で契約を結び、契約に従って宗教改革を行ったヨシヤのゆえに、エルサレム滅亡は延期されました。神様の憐れみゆえに、ヨシヤはエルサレムの滅亡を見ることなく、その生涯を終えることができました。このようなヨシヤの善い行いにもかかわらず、エルサレム滅亡とバビロン捕囚は迫っていました。ヨシヤの善い行いにもかかわらず、神様は祖父マナセの悪を裁かれるのです。さらに、神様の目にかなう正しいことを行ったヨシヤの息子でありながら、続いて王として立てられたヨアハズ、ヨヤキムは神様の目に悪とされることをことごとく行いました。ヨアハズは23歳で王となりました。彼は国の民が、ヨシヤの息子の中から選んで、油を注いだ王でした。彼の次に王となるヨヤキムの弟にあたります。ですからヨシヤの息子の中では、国の民が「この人」と思った人物であったと考えられます。ところが彼は3か月間、エルサレムで王位にありましたが、父ヨシヤと異なり、先祖達が行ったように、神様の目に悪とされることをことごとく行いました。ヨシヤの祖父マナセの犯した罪によって、神様の激しい怒りは燃え上がっていました。「私はイスラエルを退けたようにユダも私の前から退け、私が選んだこの都エルサレムも、私の名を置くと言ったこの神殿も私は忌み嫌う」と言われたように、エルサレム滅亡は目の前に迫っていました。南ユダ王国の国力も落ちていました。内には宗教的問題を持ち、国力も落ちている国は、他の国からねらわれます。いや、神様に背いたがゆえに、神様が他の国を用いてエルサレムを滅ぼそうとされたのです。
エジプトのファラオ・ネコは、エルサレムで王位にあったヨアハズを捕らえ、イスラエルの北に位置するアラムのリブラに幽閉し、南ユダ王国には科料として銀百キカル、金1キカルを課しました。さらにファラオ・ネコはヨシヤの子エルヤキム、ヨアハズの兄を王とし、名をヨヤキムと改めさせました。一方、リブラに幽閉されていたヨアハズは、今度は逆方向のエジプトに連れて行かれ、そこで死にました。ヨヤキムはファラオに銀と金を差し出しましたが、ファラオの要求に従って銀を差し出すためには、国に税を課さなければなりませんでした。ヨヤキムはファラオ・ネコによって立てられた王でしたから、ファラオ・ネコに差し出すために、それぞれの割り当てに従って国の民に銀と金を要求しました。彼は25歳で王となり、11年間エルサレムで王位にありました。彼も弟ヨアハズと同じように、神様の目に悪とされることをことごとく行いました。そして彼の時代、南ユダを取り巻く状況も変わってきました。エジプトに対して、バビロンが勢力を伸ばし始めてきました。彼の治世第5年、紀元前605年、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来ました。ネブカドネツァルは、リブラのさらに北に位置するカルケミシュで、ファラオ・ネコを破りました。その時まで、エジプトの力がパレスチナ北部にまで及んでいたのです。ところが、この戦いによって、バビロンがパレスチナを支配するようになりました。ヨヤキムは3年間、ネブカドネツァルに服従しましたが、再び反逆しました。それは紀元前601年に、ネブカドネツァルがエジプトに敗れたことによります。東から力を伸ばしてきたバビロン、南から力を伸ばしてきたエジプト、両国の間にあって、南ユダ王国は翻弄されていました。
2節に「主は彼に対してカルデア人の部隊、アラム人の部隊、モアブ人の部隊、アンモン人の部隊を遣わされた。主はその僕である預言者達によってお告げになった主の言葉のとおり、ユダを滅ぼすために彼らを差し向けられた」と記されています。ネブカドネツァルの配下にあった、これらの部隊がエルサレムを攻撃してきました。しかも「主は」「主の言葉のとおり」と記されているように、神様の主権的支配のもとでエルサレム攻撃はなされました。ここに至るまで、神様は預言者を遣わされて警告を与えられました。たとえばヒゼキヤが病気になった時、バビロンから来た見舞い客をヒゼキヤは歓迎し、王宮の中にあるものも倉庫にあるものもすべて見せました。その時、預言者イザヤはヒゼキヤに言いました。「主の言葉を聞きなさい。『王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある』」またマナセが神様に背き続けた時も、神様はその僕である預言者達を通して告げられました。「イスラエルの神、主はこう言われる。見よ、私はエルサレムとユダに災いをもたらす。これを聞く者は皆、両方の耳が鳴る。鉢をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、私はエルサレムをぬぐい去る。私は我が嗣業の残りの者を見捨て、敵の手に渡す。彼らは先祖がエジプトを出た日から今日に至るまで私の意に背くことを行い、私を怒らせてきたからである」さらにヨシヤは神様に立ち帰りましたが、それでもマナセの引き起こした憤りのために、神様はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとされませんでした。神様は「私はイスラエルを退けたようにユダも私の前から退け、私が選んだこの都エルサレムも、私の名を置くと言ったこの神殿も私は忌み嫌う」と言われました。エルサレム滅亡は、神の民イスラエルへの裁きを預言した、預言者達の言葉の成就として、神様によって進められました。ユダ王国を滅ぼすのは、歴史的事実としてはバビロンですが、真実はバビロンを用いられる神様の御業としてなされました。神様は、御自身の名をもって呼ばれた民の罪、預言者達の警告にも従わなかった民を、自ら裁かれるのです。
 3?4節に「ユダが主の御前から退けられることは、まさに主の御命令によるが、それはマナセの罪のため、彼の行ったすべての事のためであり、またマナセが罪のない者の血を流し、エルサレムを罪のない者の血で満たしたためである。主はそれを赦そうとはされなかった」と記されています。ユダの滅亡は「マナセの罪のため」と列王記記者は断言しています。マナセが犯した罪の大きさ、深さのゆえに、神様はエルサレムとユダ王国を滅ぼされることを決められているので、神様の審判は避けることができない、と列王記記者は受け取っているのです。「マナセの罪」それは21章16節に記されていました。「マナセは主の目に悪とされることをユダに行わせて、罪を犯させた。彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした」マナセは、神様の目に悪とされることを行っただけではなく、罪のない者の血を非常に多く流しました。ユダヤ教の伝説では、この時に預言者イザヤをのこぎりで2つに切り裂いて殺した、とされています。さて紀元前601年に、ネブカドネツァルはエジプトに敗れましたが、エルサレムはネブカドネツァルの配下にあった部隊によって攻撃されました。さらに、この後はバビロンが世界的勢力を持つようになりました。7節に「エジプトの王は自分の地から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプトの川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王のものであったすべての地方を占領したからである」と記されているように、新バビロン王国は、南はエジプトとパレスチナの境界線、北はユーフラテス川上流まで、その支配下に置きました。ヨヤキムは亡くなり、その子ヨヤキンが代わって王となりました。彼は18歳で王となり、3か月間エルサレムで王位にありました。わずか3か月間でしたが、彼はヨヤキムが行ったように、神様の目に悪とされることをことごとく行いました。
19節は「その頃」という言葉で始まります。「その頃」とは紀元前597年のことであり、すでにバビロンは勢力を拡大し、パレスチナ全土をほとんど手中に収めていました。バビロンの王ネブカドネツァルの部将達がエルサレムに攻め上って来て都を包囲しました。部将達が都を包囲しているところに、ネブカドネツァルも来ました。ユダの王ヨヤキンは母、家臣、高官、宦官らと共にネブカドネツァルの前に出て行き、ネブカドネツァルはヨヤキンを捕らえました。かつて神様がイザヤを通して告げられたとおり、ネブカドネツァルは主の神殿の宝物と王宮の宝物をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが、神様の聖所のために造った金の器をことごとく切り刻みました。ネブカドネツァルはヨヤキンを捕囚としてバビロンに連れ去り、ヨヤキンの母、王妃達、宦官達、国の有力者達も、捕囚としてエルサレムからバビロンに行かせました。ネブカドネツァルは軍人7000人、職人と鍛冶1000人、勇敢な戦士全員を、捕囚としてバビロンに連れて行きました。政治的指導者、軍人、技術者など、いわば国家の支柱のような存在、国の産業を支えていた人々を、バビロンへ連れ去ったのです。残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけでした。ユダの国は名前は残っても、その実質は滅亡同然でした。ネブカドネツァルはヨヤキンに代えて、その叔父マタンヤ、すなわちヨシヤの子であり、ヨアハズ、ヨヤキムの弟を王とし、その名をゼデキヤと改めさせました。ネブカドネツァルは、ユダ王国の危機にあたって、エルサレムとユダをできる限りうまく治めるために、ダビデ王家の血を引く者、ヨヤキンの叔父を王として立てたのです。
説教題を「主の言葉のとおり」としましたが、神様の言葉のとおりの結果は、実に恐ろしいものです。神様は御自分の民、御自分の名前を置かれた都をも滅ぼされるのです。なぜ、ここまで厳しい裁きが下されるのか。エレミヤ書25章8?9節に、神様の御言葉として「お前たちが私の言葉に聞き従わなかったので、見よ、私は私の僕バビロンの王ネブカドネツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる。そこは人の驚くところ、嘲るところ、とこしえの廃虚となる」と記されています。神様の御言葉に聞き従わなかったゆえに、ネブカドネツァルを用いて、エルサレムを滅ぼし尽くすと言われました。またエレミヤ書36章には、神様の御言葉を侮ったヨヤキムのことが記されています。神様はエレミヤに「巻物を取り、私がヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。ユダの家は、私が下そうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、私は彼らの罪と咎を赦す」と言われました。エレミヤは神様の御言葉に従って語り、バルクがエレミヤの口述に従って、神様が語られた言葉をすべて巻物に書き記しました。そしてバルクは、預言者エレミヤが命じたとおり、巻物に記された神様の言葉を神殿で読みました。この預言を聞いた役人達は、宮廷にいるヨヤキムのもとに赴き、その言葉をすべて伝えました。ヨヤキムは巻物を取って来させ、役人達の前で読み上げさせました。ヨヤキムは巻物を読む者が3,4欄読み終わるごとに、巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまいました。神様の御言葉を聞きながら、ヨヤキムもその側近も誰一人恐れを抱かず、衣服を裂こうともしませんでした。巻物を燃やさないように懇願する者もいましたが、ヨヤキムは耳を貸しませんでした。逆にバルクとエレミヤを捕らえようとしたのです。厳しい裁きは、神様の目に悪とされることを行い続けた王、神様への悔い改めのない王の所業によります。そして、それは神様が預言者を通して語られた御言葉です。
「主の言葉のとおり」は恐ろしい結果を招きました。ともすれば私達は、その恐ろしさ、残虐さに目を奪われてしまい、神様の憐れみを忘れてしまいがちです。しかし「主の言葉のとおり」は、神様の言葉の確かさを表しています。神様は罠を仕掛けられる御方ではありません。私達に不意打ちを食らわせるようなことはありません。道に迷い、罪を犯す私達に、常に警告を与え、罪を指摘し、立ち帰る道を備えて下さっています。神様の裁きの言葉は、確かに厳しいものですが、それは「あなたが罪を犯したのだから、あなたが責任を取れ。どうなっても私は知らない」と言われているのではありません。神様の裁きの言葉には、常に「私に立ち帰れ」という招きがあり、神様御自身が立ち帰ることを望んでおられます。神様は、私達が御自分に従順に生きることを望んでおられます。かつてヒゼキヤは、神様に信頼ゆえにアッシリアに反逆しました。ヨヤキムは神様に反逆したまま、バビロンに反逆しました。ヨヤキンは神様に反逆したまま、バビロンに降伏しました。ですから、問題は反逆か降伏かではなく、神様への従順か不従順かに尽きます。神様に対して従順に生きるか、不従順に生きるか、私達はそのことを問われています。神様の御言葉を聞き、それを魂の底から受け止めているのか。私達が霊の目を開いて、神様の御業を見ているのか。神様の御計画は、時として私達の目に隠されていることがあります。即座には分からないこともあります。けれども神様の御計画、神様の御言葉は確かなものであり、私達への配慮に満ちたものです。神様は、御独り子イエス様を地上に遣わされ、十字架の上で贖いの死を遂げさせ、その御業によって私達の罪を赦され、3日目の御復活によって、私達に永遠の生命を与えられました。それは私達の思いを超えたものであり、まさに「主の言葉のとおり」になされた御業です。絶えることのない憐れみを私達に示される、神様の御言葉の確かさを信じ、神様の御言葉を深く悟らせていただけるように、聖霊の導きを祈りましょう。

2 Comments:

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