2006/05/04

06/04/16 イースター礼拝,キリストの復活 M 

2006年4月16日 
瀬戸キリスト教会イースター礼拝
キリストの復活     
1コリント書15章1_11節賛美歌154,2:101,148
堀眞知子牧師
 イースターおめでとうございます。主イエスの御復活の喜びに、共に与れますことを感謝いたします。私達が、聖日ごとに礼拝を守る、礼拝を守る群れとして主の教会が立ち続けている、それを可能ならしめているのは福音です。そして福音の内容は、一言で言えば「イエスは主なり」であり「イエスは主なり」という真実が人間に啓示されたのは、主イエスの死と復活というできごとを通してです。さらに、主イエスの死と復活の事実を2000年間、教会は宣べ伝え続けてきました。2000年の教会の歴史の上に、瀬戸キリスト教会は建てられ、主の再臨の日まで続く教会の歴史の中に加えられました。私達自身が救われた喜びに生きるために、この喜びの福音を他の人々に伝えるために、瀬戸キリスト教会は、この地に立っています。委ねられた地にあって、伝道の使命を果たすために、主によって用いられるのです。
パウロは「兄弟達、私があなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と語り始めています。パウロがコリント教会へ手紙を書いたのは、分派争いがあったり、道徳的乱れがあったり、集会の秩序に乱れがあったり、数々の問題を抱えていたからです。時として、それらの問題が福音の本質に触れるようなこともありました。15章は「復活」について述べられていますが、それは12節に記されているように「死者の復活はない」という人々がいたからです。彼らは、主イエスの復活を否定していたのではありません。主イエスの死と復活は事実として認めながら、キリスト者の復活を否定していたのです。主イエスの復活と人間であるキリスト者の復活を、異なったものとして受け取っていたのです。死者の復活を信じない人々がいる教会に対して、パウロはもう一度、福音について、主イエスの復活の事実について語っているのです。パウロは第2回伝道旅行でコリントを訪れ、1年6ヶ月にわたって福音を語り続けました。最初に語った時と全く同じ福音を、もう一度告げ知らせると述べた上で、パウロは「これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません」と断言しています。以前と異なる新しい福音、あるいは今までの福音に何かを付け加えて語るのではありません。すでに、あなたがたコリント教会の信徒が受け入れた福音であり、すでに生活のよりどころとしている福音である、とパウロは語ります。この「生活のよりどころとしている」という言葉は、原文では「あなたがたが、すでに立っている、そのところにおいて」という表現になっています。生活のよりどころと言うよりも、存在の基盤となっていると言った方が、より正確です。コリント教会の信徒が受け入れた福音、すでにその上に立っている福音、この福音の上に立ち続けることによって、コリント教会は主の教会として地上に存在するのです。
パウロは変わることのない福音について、コリントで初めて告げ知らせた時のことを思い起こさせるかのように語ります。「どんな言葉で私が福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」福音は救いの根拠です。パウロが告げ知らせた福音をしっかりと心に留め、福音から離れないで生きるならば、そこにキリスト者の救いがあり、生命があります。福音から離れるならば「あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまう」とパウロは断言します。「イエスは主なり」と信じ、主イエスの死と復活を信じながらも、キリスト者の復活を信じないなら、真実の救いはないし、信仰そのものが空しいものになってしまうと述べた上で、パウロは福音の核心を語ります。「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私達の罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり3日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです」パウロはここで、自分がコリント教会の人々に伝えたことは、彼自身の作り話とか、あるいは哲学的・宗教的思考の結果ではなく、自分も受けたものであると述べています。主イエスの十字架の死と復活の目撃者達から伝えられたこと、言い換えれば教会が伝えてきた福音でした。教会が伝えてきた福音をパウロは聞き、受け入れ、信じ、信じた者としてコリント教会に伝えたのです。さらに「聖書に書いてあるとおり」とパウロは述べています。主イエスの十字架の死と復活は、突如として起こったできごとではなく、旧約聖書に記されていたこと、すなわち神様が、あらかじめ示されていた御計画であったことを明らかにしています。確かに旧約聖書には、イエス・キリストという名前は記されていません。けれども旧約聖書は「キリスト預言の書」であり、やがて救い主が来られるという約束が記されています。そして新約聖書は「キリスト証言の書」であり、ナザレ人イエス、3年余の伝道生活の後、十字架の上で死なれたイエスこそ、旧約聖書で預言されていた救い主であることを証言しています。「聖書に書いてあるとおり」私達に明らかにされたことが、4つのできごととして記されています。
第1に「キリストが私達の罪のために死んだこと」です。イザヤ書53章は「苦難の僕の歌」として位置づけられていますが、4?8節に「彼が担ったのは私達の病、彼が負ったのは私達の痛みであった。彼が刺し貫かれたのは、私達の背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私達の咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私達に平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私達は癒された。私達は羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私達の罪をすべて、主は彼に負わせられた。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。私の民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」と記されています。2000年前、イエス様が十字架の上で死なれたことは、歴史的事実です。それは人間の目から見れば、ローマ帝国に反逆した者としての死であり、ユダヤ人の目から見れば、神様に呪われた死でした。けれども真実は、神様が私達の罪をイエス様に負わせ、十字架の上で贖いの死を遂げさせられたのです。イザヤが預言したように、イエス様が私達の病を担い、痛みを負われました。私達の背きと咎のために、イエス様が裁かれ、神様の手によって地上の命を取られました。そしてイエス様が受けた罰によって、神様との間に平和が取り戻され、私達に癒しが与えられました。神様に背き、迷える羊である私達の罪が、イエス様の十字架によって赦されたのです。
第2に「葬られたこと」です。同じくイザヤ書53章9節に「彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた」と記されています。イエス様は神様の御独り子でありながら、人間として地上に遣わされ、地上の生涯を終えられました。仮死状態で死んだと見なされたのでもなければ、肉を持たない霊的存在であったのでもありません。人間としての肉体を持ち、人間としての死を迎え、墓に葬られました。葬られたということが、死の確かさを表しています。私達も神様によって命を与えられ、地上の歩みを与えられています。主の再臨の日が、私達が地上にある間に来なければ、これまでのキリスト者がそうであったように、死を迎え葬られます。人間としての死を迎え、墓に葬られたイエス様が復活された、この事実が、私達キリスト者が死んで葬られても、肉体をもって復活することの保証となります。
第3に「3日目に復活したこと」です。ホセア書6章に「2日の後、主は我々を生かし、3日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる」と記され、ヨナ書2章には「主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは3日3晩魚の腹の中にいた」と記されています。そして、イエス様御自身が「ヨナが3日3晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も3日3晩、大地の中にいることになる」と語られました。イエス様は死んで葬られましたが、それで終わりではありませんでした。「使徒信条」の中で「死にて葬られ、陰府にくだり、3日目に死人のうちより甦り」と告白するように、3日目に肉体をもって復活されました。死に至るまで人間と同じように歩まれたイエス様は、死に打ち勝って甦られたのです。主イエスが復活された、ここに私達の救いがあります。死が絶望ではなく、復活の希望に生きる道が開かれたのです。
第4に「ケファに現れ、その後12人に現れたこと」です。復活の主イエスは、弟子達の前に姿を現されました。復活については聖書に記され、イエス様御自身も約束されましたが、復活のできごとそのものを見た人はいません。福音書には、婦人達がイエス様の墓に行った時、大きな地震が起こったとか、墓が空であったとか、天使がいたということについては記していますが、イエス様がどのようにして復活されたのかについては記していないし、目撃者は一人もいないのです。復活の主イエスの顕現、主イエスが御自身を弟子達の前に顕されたことによって、初めて弟子達は主イエスの復活を知りました。
 「聖書に書いてあるとおり」というのは今、引用した御言葉だけではありません。ルカによる福音書24章に記されているように、復活の主イエスはクレオパともう1人の弟子に「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者達、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」と言われて、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されました。またヨハネによる福音書5章で、イエス様はユダヤ人達に対して、はっきりと「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証をするものだ」と語られています。旧約聖書全体が、ナザレのイエスこそ、救い主であることを証しているのです。そして新約聖書は、旧約聖書が指し示している救い主がナザレのイエスであり、そのイエス様は十字架の上で贖いの死を遂げられ、死んで葬られたけれども、3日目に死に打ち勝って復活され、弟子達の前に御自身を顕された、という歴史的事実を証しているのです。
パウロは主イエスの復活の証人について、さらに続けます。「次いで、500人以上もの兄弟達に同時に現れました。そのうちの何人かは、すでに眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ」たと。現実に主イエスが復活された、その御姿を目で見た証人が存在することを、パウロは強調します。霊的な意味で出会ったというのではなく、肉体をもって復活された主イエスに出会った人々がいる、その目で見て主イエスの復活を信じた人々がいることを意味しています。さらに「そのうちの何人かは、すでに眠りについた」という事実は、主の再臨を見ないで死んだキリスト者がいることと共に、キリスト者は主イエスの復活と再臨の中間期に生きていることを表しています。現代に生きる私達にとっては、当たり前のことと思われるかもしれませんが、初代教会の信徒達は、主の再臨は自分が生きている間に来ると信じていました。ですから、パウロがテサロニケの信徒への手紙一に「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」と記したように、主の再臨に対して熱狂的になり、仕事もせずに空を見上げて、再臨を待ち続けている人々がいたのです。またすでに眠りについた者に対して、嘆き悲しむ人々がいたのです。そういう人々に対して、すでに眠りについた者も復活の希望に与っていることを語っているのです。パウロは復活の証人の最後に、自分自身を語っています。「最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。私は、神の教会を迫害したのですから、使徒達の中でも一番小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄にならず、私は他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです。とにかく、私にしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした」パウロは生前のイエス様を知りません。さらに使徒言行録9章に記されているように、キリスト者を捕らえるためにダマスコに向かっているパウロに、復活の主イエスが語りかけ、彼は教会を迫害する者から、主イエスを宣べ伝える者へと変えられたのです。ただ神様の恵みによって復活の証人とされ、使徒として召されたのです。そしてパウロを伝道の器として用いられたのは、神様御自身であり、パウロを通してコリント教会を建てられたのです。
 最初に「主イエスの死と復活の事実を宣べ伝え続けてきた教会の歴史の上に、瀬戸キリスト教会は建てられ、主の再臨の日まで続く教会の歴史の中に加えられた」と述べました。教会2000年の歴史の中で伝えられ続けてきた福音を受け取り、さらに次の世代へ受け継ぐ使命が私達には委ねられています。福音は、私達が勝手に作り出したものではありません。神様が人間の歴史の中に働きかけ、今も働かれています。主イエスの死と復活の事実は、聖書を通して教会の中で語り続けられてきました。そして聖書、神様の御言葉は生きた御言葉であって「理解した、分かった」それで終わりではありません。日々、御言葉によって新しい生命を吹き込まれ、神様の御業を見させていただく世界が、私達の前に開かれています。もし私達が生きている間に、主イエスが再臨すれば、死を見ることなく神様の御国に入ることができます。栄光の体に変えられ、死を経験することなく、神様の御国へ行くことが約束されています。逆に主の再臨を見ることなく死んだとしても、私達キリスト者は、死が終わりではありません。主の再臨の時に、先に召されたキリスト者と共に復活することが約束されています。主イエスの死と復活を伝えられた者として、復活の喜びに生きる世界が与えられ、伝えていく使命が委ねられています。一人一人が復活の喜びに生き、伝道の使命に生きる群れとして、瀬戸キリスト教会の歩みを整えていただきましょう。

3 Comments:

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