2006/05/07

06/05/07 絶望のかなたに救いが M 

2006年5月7日
瀬戸キリスト教会聖日礼拝
絶望のかなたに救いが     
列王記下25章1_7節:讃美歌 61,161,166
堀眞知子牧師
 紀元前597年、ヨヤキンは3ヶ月間、南ユダ王国の王位にありましたが、バビロンによってエルサレムを包囲され、その家族、国の有力者、軍人、技術者と共に捕囚としてバビロンに連れ去られました。バビロンの王ネブカドネツァルはヨヤキンに代えて、その叔父マタンヤ、すなわちヨシヤの子であり、ヨアハズ、ヨヤキムの弟を王とし、その名をゼデキヤと改めさせました。ネブカドネツァルは、南ユダの危機にあたって、エルサレムとユダをできる限りうまく治めるために、ダビデ王家の血を引く者、ヨヤキンの叔父を王として立てたのです。ゼデキヤは21歳で王となり、11年間エルサレムで王位にありました。彼は兄ヨヤキムが行ったように、神様の目に悪とされることをことごとく行いました。24章20節に「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した」と記されています。「このような事態」とは25章に記されている、エルサレム陥落とバビロン捕囚です。そしてエルサレム陥落とバビロン捕囚という悲惨な歴史は、神様の怒りによるものであり、エルサレムとユダが神様の御前から捨て去られた結果である、と列王記記者は語ります。歴史的事実としては、ゼデキヤがネブカドネツァルに反旗を翻したことから始まりました。ゼデキヤは、ネブカドネツァルによって南ユダの王とされたにもかかわらず、彼に反逆しました。ゼデキヤは信仰的にも問題がありましたが、政治的にも確たるものがないままにエジプトに心引かれ、バビロンに反抗したのです。当然のことながらネブカドネツァルは怒り、エルサレムを攻撃してきました。ゼデキヤの治世第9年の第10の月の10日に、ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、エルサレムはバビロン軍によって包囲され、ゼデキヤの治世第11年に至りました。
包囲されたエルサレムの生活は、きわめて厳しいものでした。もともとエルサレムは、シオンの丘の上に築かれた要塞の町であり、野や畑は町の外にあります。20章20節に記されていたように、ヒゼキヤが貯水池と水道を造って水を引きましたが、エルサレムの中に川や湖はありません。水も食糧も都の外から供給しなければならないのです。バビロン軍によって包囲されれば、供給はきわめて困難です。この間の生活の厳しさについては、エゼキエル書4,5章に記されています。ヨヤキンが捕囚となり、ゼデキヤが王となって5年目、実際にエルサレムが攻撃を受ける4年前に、エゼキエルは神様から「あなたは小麦、大麦、そら豆、ひら豆、きび、裸麦を取って、一つの器に入れ、パンを作りなさい。あなたが脇を下にして横たわっている日数、つまり390日間、それを食べなさい。あなたの食べる食物の分量は一日につき20シェケルで、それを一定の間隔をおいて食べなければならない。あなたの飲む水の分量は6分の1ヒンで、それを一定の間隔をおいて飲まなければならない。大麦のパン菓子のようにそれを食べなければならない。それを人々の目の前で人糞で焼きなさい」と命じられました。通常は小麦または大麦でパンが作られますが、食糧不足のため、そら豆、ひら豆、きび、裸麦なども混ぜてパンを作らなければなりませんでした。20シェケルは約230g、6分の1ヒンは約600?ですから、今朝の聖餐式に用いている5枚切りの食パンなら3枚弱、水はコップに約3杯、それが一日に飲み食いして良い分量です。とても生命を維持できる分量ではありません。そのような生活を390日間続けるように命じられました。包囲されたエルサレムの悲惨な生活を象徴するために、あらかじめ、このような生活を送るように命じられたのです。
さらにエゼキエルは神様から「あなたは鋭い剣を取って理髪師のかみそりのようにそれを手に持ち、あなたの髪の毛とひげをそり、その毛を秤にかけて分けなさい。その3分の1は包囲の期間が終わった時に都の中で火で燃やし、ほかの3分の1は都の周りで剣で打ち、残り3分の1は風に乗せて散らしなさい。私は剣を抜いてその後を追う」と命じられました。これはエルサレムに対する、神様の厳しい裁きの言葉です。この厳しい裁きの理由として、神様は「お前たちが周りの国々よりもいっそうかたくなで、私の掟に従って歩まず、私の裁きを行わず、周りの国々で定められている裁きほどにも行わなかったので、私もお前に立ち向かい、国々の目の前でお前の中で裁きを行う」と言われました。実際に起こるできごととして、神様は「お前の中で親がその子を食べ、子がその親を食べるようなことが起こる。私はお前に対して裁きを行い、残っている者をすべてあらゆる方向に散らせてしまう。私は生きている。お前はあらゆる憎むべきものと忌まわしいものをもって私の聖所を汚したので、私もまた必ずお前をそり落とす。私は憐れみの目をかけず、同情もしない。お前の中で3分の1は疫病で死んだり、飢えで息絶えたりし、3分の1は都の周りで剣にかけられて倒れ、残る3分の1は、私があらゆる方向に散らし、剣を抜いてその後を追う」と言われました。列王記下6章に北イスラエルがアラム軍の攻撃を受け、サマリアが包囲されていた時のことが記されていました。その中に、母親が子供を食べるということが記されていました。これも悲惨なできごとですが、飢饉の時、親が子供を食べるということは他にも記されていますが、子供が親を食べるということは他には記されていません。それほど飢えが厳しく、人間の心もすさむのです。エゼキエルの髪の毛とひげになされたことが、エルサレムの住民の上に神様の裁きとしてなされます。3分の1は疫病や飢えで死に、3分の1はエルサレム陥落の寸前または直後に、都から逃げ出そうとして、都の周りで剣にかけられて殺され、残る3分の1はバビロンなど諸外国に散らされて、やがて死にます。イスラエルが神様に背いたがゆえに、徹底的な裁きがエゼキエルを通して預言され、その通りのことが神様によってなされていきます。
3節に「その月の9日」と記されていますが、これはゼデキヤの治世第11年の第4の月の9日です。神様はエゼキエルに390日間と言われましたが、実際は足かけ3年、丸1年半、540日間に及びました。丸1年半のエルサレム包囲により、都の中では飢えが厳しくなり、食糧が尽きました。バビロン軍の包囲が功を奏し、町は破られました。そのバビロン軍の包囲をくぐり抜け、ゼデキヤと戦士達は夜の闇に隠れて逃げ出しました。ゼデキヤは死海に通じる荒れ野の道を逃げて行きましたが、バビロン軍は彼の後を追い、エリコの荒れ地で彼に追いつきました。ゼデキヤの一行は、追撃を受けて散り散りばらばらになり、彼の軍隊は彼を離れ去っていました。ゼデキヤは捕らえられ、リブラにいるネブカドネツァルのもとに連れて行かれ、裁きを受けました。7節に、反逆者の受ける報いの悲劇が記されています。バビロン軍は、ゼデキヤの目が見える間に、王子達を目の前で虐殺しました。その後に、ネブカドネツァルはゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、バビロンに連れて行きました。
ネブカドネツァルの第19年第5の月の7日、ゼデキヤの逃亡の約1ヶ月後、リブラにいたネブカドネツァルの命令を受けた、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムを再び攻撃しました。それはエルサレムの町の徹底的な破壊でした。ネブカドネツァルにしてみれば、自分が王としたゼデキヤに反旗を翻され、エルサレム陥落に1年半もかかったのですから、怒りが心頭に達していたのでしょう。怒りはゼデキヤだけではなく、エルサレムへも向けられました。主の神殿、王宮をはじめとして、エルサレムにある主な建物をことごとく火で焼き払いました。また軍をあげて、エルサレムの周囲の城壁を取り壊しました。当時の町は城壁によって守られていましたので、城壁の破壊は、エルサレムの滅亡をもっとも具体的に示すものでした。神様がエゼキエルを通して「私はエルサレムを廃墟とし、すべての旅人の目にも、周りの国々にも、嘲りの的とする」と語られたように、神様の摂理として、エルサレムはもろくも崩れ去りました。そして、民のうち都に残っていたほかの者、ネブカドネツァルに投降した者、その他の民衆は、ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られました。貧しい民の一部だけが、ぶどう畑と耕地にそのまま残されました。貧しい農夫以外は、すべての民が捕囚として連れ去られたのです。それは、再び国を興す可能性を奪うものでした。
バビロン軍は、神殿の略奪、什器類の持ち去りを行いました。24章13節に記されていたように、ヨヤキンが捕囚とされた時、すでに高価な物は運び去っていましたが、まだ残っていた物がありました。13?17節に詳しく記されていますが、何がどれだけ取り去られたということよりも、エルサレム神殿がもはや神殿ではなくなった事実が明らかにされています。ダビデがエルサレムに都を築き、ソロモンが神殿を建築することで、イスラエル王国は神の民として、その形を整えました。けれども今や、すべてが運び去られ、エルサレムは完全に滅びたのです。ネブザルアダンは、祭司長セラヤ、次席祭司ツェファンヤをはじめとして、指導的な人々を捕らえて、リブラにいるネブカドネツァルのもとに連れて行きました。ネブカドネツァルは彼らを処刑しました。こうしてユダは、自分の土地を追われて捕囚となりました。
ネブカドネツァルは、ユダの地に残された貧しい民を治めるために、ゲダルヤを総督として立てました。ゲダルヤは、ヨシヤのもとで書記官であったシャファンの孫です。陥落したエルサレムに残された、貧しい民を治めるために、ネブカドネツァルはユダの人間を用いました。主な軍人はバビロンに捕囚として連れ去られましたが、残っていた軍人もいました。彼らは、ネブカドネツァルがゲダルヤを立てて総督としたことを聞き、部下と共にミツパにいるゲダルヤのもとに集まって来ました。ゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って言いました。「カルデア人の役人を恐れてはならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる」ゲダルヤはもともと、バビロンと親しくする側に立っていたので、このように命じたのです。ところが、すべての者がゲダルヤを支持していたのではありません。第7の月に、王族の一人であるイシュマエルがゲダルヤを打ち殺し、彼と共にミツパにいたユダの人々もカルデア人も打ち殺しました。民は皆、カルデア人を恐れて、ただちにエジプトに出発しました。バビロンとエジプトに挟まれ、国を失った民は不安定でした。バビロンと親しくする者もいれば、エジプトと親しくする者もいたのです。けれども申命記17章に記されていたように、神様はモーセを通して「あなたたちは2度とこの道を戻ってはならない」と命じられました。エジプトへ行くことは禁じられていたにも関わらず、バビロン人を恐れてエジプトへ逃げたのです。
27?30節に、ヨヤキンの晩年のことが記されています。彼は捕囚となって37年目、ネブカドネツァルが死に、後継者エビル・メロダクはヨヤキンを解放しました。「その即位の年に」と記されていますので、いわゆる恩赦であったのかもしれません。エビル・メロダクは、ヨヤキンを解放しただけではなく、手厚くもてなして、バビロンで共にいた王たちの中で彼にもっとも高い位を与えました。ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず日々の糧をエビル・メロダクから支給され、食事を共にすることとなりました。ヨヤキンが、なぜ優遇されたのかは、聖書には記されていませんが、異教社会の中で優遇されることは、物質的には恵まれても、精神的には苦痛であったと考えられます。けれどもヨヤキンが生を許され、命を安全に保つことができたのは、すべて神様の御計画の中にあります。ダビデの家系を継ぐ者から、イエス様がお生まれになるからです。ダビデの子孫から主キリスト(救い主)が生まれる御計画のゆえに、ヨヤキンは命を守られたのです。
列王記には、ダビデの晩年からヨヤキンの解放までが記されていました。400年以上のイスラエルの歴史が記されていましたが、神様の御心にかなって歩んだのは20年くらいで、残りの歴史は神様の御心から離れていた時代が多いのです。特に紀元前931年、南北に分かれてからの北イスラエルは、背信の歩みを続けました。南ユダ王国も主の御心にかなった王もいますが、背信の道を歩んだ王もいます。ダビデの家系が守られたのは、神様の特別な憐れみによります。「列王記の示す歴史は全体的に暗い」と言っても決して言い過ぎではありません。イスラエルは神様に背いたがゆえに、結果として投げ捨てられました。ネブカドネツァルは神様を知ることなく、ユダを御前から除くために神様から用いられました。エルサレム滅亡とバビロン捕囚という憂き目に会わなければなりませんでした。
しかし神の民は投げ捨てられましたが、神様の憐れみが投げ捨てられたのではありません。投げ捨てられても、なおイスラエルは神様の民なのです。エルサレム滅亡とバビロン捕囚は、絶望的な終局ですが、それで神様の贖いの御業が終わったのではありません。むしろバビロン捕囚は神様の試練の時であり、神様を知る時として備えられ、用いられました。創世記1章?2章4節に記されている「天地の創造」は、バビロン捕囚の時代に編集されました。また詩篇119篇も、バビロン捕囚を経験した信仰者によって作られました。バビロン捕囚という、この世的な目から見れば絶望の時「イスラエルの神は死んだ」と異教の民から嘲笑される中で、イスラエルは、真の神様に立ち帰ったのです。すべてが神様の御計画の中にあり、絶望のかなたに救いがあることを確信したのです。私達の信仰生活も同じです。この世的に見て不幸、絶望と思える時こそ、神様から与えられた試練の時であり、真の神様に立ち帰る時なのです。パウロはローマの信徒への手紙の中で「私達は知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私達を欺くことがありません」と記しています。神様が絶望のかなたに救いを、永遠の希望を備えて下さっていることを信じ、日々の歩みを神様によって整えていただきましょう。

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