2006/05/13

06/05/14 主の裁きの声がとどろく M

2006年5月14日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主の裁きの声がとどろく     
アモス書1章1_2節,讃美歌 11,121,151
堀眞知子牧師
 出エジプト後、40年の荒れ野の旅を終え、約束の地カナンに入る直前、神様がモーセを通してイスラエルに命じられたことが、申命記に記されています。その18章で、神様は「私はイスラエルのために、同胞の中からあなたのような預言者を立てて、その口に私の言葉を授ける。彼は私が命じることをすべて彼らに告げるであろう。イスラエルは預言者に聞き従わねばならない」と預言者を立てる約束をされました。この約束に基づいて、サムエル記に記されていたサムエル、ナタン、列王記に記されていたエリヤ、エリシャをはじめとして、多くの預言者がイスラエルに立てられました。特に旧約聖書には「預言」と位置づけられている書巻が16巻あります。この16巻を中心にして、引き続き旧約聖書から年代順に、御言葉を聞いていきたいと思います。
「年代順に」と申しましたが、時代的背景のよく分からない預言書もありますが、今日から学んでいきますアモス書は、時代がはっきりとしています。1節に「ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前」と記されています。ウジヤは紀元前786?735年、ヤロブアム2世は紀元前789?750年、それぞれ王位にありました。また地震についてはゼカリヤ書14章にも「ユダの王ウジヤの時代に、地震を避けて逃れたように」と記されていますので、イスラエルでは周知のできごとであったようです。考古学者は発掘調査により、この地震を紀元前760年頃と主張していますので、アモスが預言者として召されたのも、その頃であったと考えられます。彼はテコアの牧者でした。テコアはエルサレムの南、約18キロに位置する高原の町であり、この町から南東に死海に向かって「テコアの荒れ野」と呼ばれている荒れ野が広がっています。またサムエル記下14章によれば、ダビデの時代、テコアには一人の知恵のある女が住んでいました。南ユダ王国の名前の知られている町でした。アモスは「牧者の一人であった」と記され、7章ではアモス自身が「私は預言者ではない。預言者の弟子でもない。私は家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」と名乗っています。これは、アモスの本来の職業は牧畜・農業に携わる者であり、いわゆる預言者集団などには属さず、神様の一方的な召しによって、きわめて短期間、預言者として活動したことを意味しています。しかも彼は南ユダの出身でありながら、主に北イスラエルで活動しました。神様の召しに従って故郷を離れ、預言者として奉仕をしたのです。
2節に、アモスの預言の主題が記されています。「主はシオンからほえたけり、エルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は乾き、カルメルの頂は枯れる」すでにサムエル記、列王記に記されていたように、ダビデがエブス人からシオンの要害を陥れ、ダビデの町とし、町はエルサレムと呼ばれました。ダビデが契約の箱をエルサレムに運び、ソロモンが神殿を築いて、そこに契約の箱を安置すると、神様の栄光が神殿に満ち、ソロモンは祈りをささげました。その後、神様はソロモンに「私はあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこに私の名をとこしえに置く」と言われました。シオン、エルサレムは神様の臨在の場です。そこから神様が「ほえたけり、声をとどろかされる」とアモスは言いました。この「ほえたける」という言葉は、もともとライオンの鳴き声を意味する言葉です。アモスは牧者でしたから、家畜を守るために、ライオンの鳴き声には注意をしていたでしょう。そしてライオンの鳴き声は、アモスに危険を知らせるものでした。神様の裁きの声が、ライオンの鳴き声としてアモスの耳に届いたのです。羊飼いの牧草地が乾けば、家畜は生きていくことができません。カルメル山は北イスラエルの北西部に位置し、地中海に突き出すように伸びた山脈です。かつて預言者エリヤとバアルの預言者450人が戦った所であり、預言者エリシャも住んでいたことがあります。緑豊かな土地であり、この山の木々や植物が枯れることは、北イスラエル王国全体の植物が枯れ、被害が及ぶことを意味していました。神様はアモスを通して、北イスラエルの霊的生命が枯れる日の近いことを語られたのです。
3節?2章3節にはダマスコ、ガザ、ティルス、エドム、アンモン、モアブの6つの周辺諸国に対する、神様の罪の告発と審判が記されています。神様の罪の告発と審判は、その内容は異なっていますが、極めて似た表現が繰り返されています。「主はこう言われる」という言葉で始まって「3つの罪、4つの罪のゆえに、私は決して赦さない」と記され、最後に例外もありますが「主は言われる」で閉じられています。「3つの罪、4つの罪」と記されていますが、実際に指摘されている罪は1つです。これは数が問題なのではなく、むしろ「神様に背き続けて、罪に罪を重ねて」という意味であると考えられます。また「私は決して赦さない」という言葉は、裁きに対する神様の強い意志を宣言しています。
ダマスコは北イスラエルの北東に位置し、アラムの首都です。神様は「彼らが鉄の打穀板を用い、ギレアドを踏みにじったからだ」と罪を告発しています。これは、列王記下10章に記されていたできごとと考えられます。イエフが北イスラエルの王であった頃、紀元前9世紀後半、神様はイスラエルを衰退に向かわせられました。アラムの王ハザエルが北イスラエルを侵略し、その侵略はヨルダン川の東側にあるギレアドの全域に及びました。ギレアドは半マナセ族、ガド族、ルベン族の所有地でした。「鉄の打穀板を用い」とあるので、その侵略では、かなり残虐なことが行われたと考えられます。その罪に対する審判として、神様は「私はハザエルの宮殿に火を放つ。火はベン・ハダドの城郭をなめ尽くす。私はダマスコ城門のかんぬきを砕き、ビクアト・アベン(悪の谷)から支配者を、ベト・エデン(快楽の家)から、王笏を持つ者を断つ。アラムの民はキルの地に捕らえられて行く」と言われました。列王記下16章に記されていたように、アモスの預言から約30年後、アラムの王レツィンと北イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻撃し、都を包囲しました。南ユダの王アハズはアッシリアに助けを求め、紀元前732年、アッシリアはダマスコを占領してアラムを滅ぼし、その住民を捕虜としてキルに移し、レツィンを殺しました。
ガザは地中海に面する、ペリシテ人の5大都市の一つです。士師の時代からイスラエルと敵対していました。神様は「彼らが虜にした者をすべて、エドムに引き渡したからだ」と罪を告発しています。これが何の事件を意味しているのかは不明です。けれどもイスラエルは、ペリシテ人から攻撃を受け、悩まされ続けていました。ペリシテ人がイスラエルを攻撃し、捕虜とした人々を奴隷としてエドムに売ったのかもしれません。その罪に対する審判として、神様は「私はガザの城壁に火を放つ。火はその城郭をなめ尽くす。私はアシュドドから支配者を、アシュケロンから王笏を持つ者を断つ。また、手を返してエクロンを撃つ。ペリシテの残りの者も滅びる」と言われました。ガザ、アシュドド、アシュケロン、エクロンのペリシテの諸都市は、紀元前8世紀後半、アッシリアから攻撃を受け滅ぼされました。ティルスはイスラエルの北に位置するフェニキアの町であり、地中海貿易の重要な港町でした。神様は「彼らが虜をすべてエドムに引き渡し、兄弟の契りを心に留めなかったからだ」と罪を告発しています。これも具体的な事件は不明ですが、ペリシテ人が行ったように、イスラエルの捕虜とした人々を奴隷としてエドムに売ったのかもしれません。ペリシテと異なる点は「兄弟の契りを心に留めなかった」と関係を裏切ったことが指摘されています。列王記上5章に記されていたダビデやソロモンと、ティルスの王ヒラムとの友好関係か、あるいは列王記上16章に記されていた、北イスラエルの王アハブとフェニキアのシドンの王の娘イゼベルとの結婚なのか、あるいは他にも何らかの関係があったのかもしれません。いずれにしても、それらの友好関係を裏切ったことが非難されています。その罪に対する審判として、神様は「私はティルスの城壁に火を放つ。火はその城郭をなめ尽くす」と言われました。ティルスはアッシリアに貢ぎ物を納めることによって、攻撃から免れましたが、後にはバビロンの攻撃を受け、最後には紀元前332年、ギリシアのアレクサンダー大王の攻撃を受けて滅びました。
エドムはユダの南に領土を持ち、イスラエルの先祖ヤコブの双子の兄エサウの子孫であり、イスラエルとは親戚関係にあります。神様は「彼らが剣で兄弟を追い、憐れみの情を捨て、いつまでも怒りを燃やし、長く憤りを抱き続けたからだ」と罪を告発しています。具体的に、どのようなできごとを指しているのかは分かりません。けれども、イスラエルがエジプトを出て荒れ野の40年の旅の後、カナンに入るためにエドムの領土を通らせてほしいと申し出た時、エドム人は「通過してはならない」と言い、強力な軍勢を率いて迎え撃とうとしました。またヨラムの時代にエドムは南ユダに反旗を翻して、その支配から脱し、自分達の王を立てました。さらにアマツヤの時代には、南ユダが塩の谷で1万人のエドム人を打って勝利を収め、エドムの地にある葦の海の海岸に、港町エイラトを再建し、ユダに復帰させました。また6,9節に記されていたように、ガザとティルスはイスラエルの捕虜を奴隷としてエドムに売ったのですから、売られた者はエドムに奴隷として仕えなければなりませんでした。イスラエルのカナンへの帰国から始まって、エドムとの間には争いが続いていたと考えられます。神様は「私はテマンに火を放つ。火はボツラの城郭をなめ尽くす」と言われました。テマンとボツラは、エドムの大都市です。アモスの預言から約30年後、アッシリアによって征服され、貢ぎ物を納めることになります。
アンモンはヨルダン川東に位置し、アブラハムの甥ロトの子孫ですが、エドム同様、敵対関係にありました。神様は「彼らはギレアドの妊婦を引き裂き、領土を広げようとしたからだ」と罪を告発しています。アンモンはギレアドの東に位置していましたので、たびたびギレアドに侵入したようです。そしてアンモンは侵入した時、妊娠した女性の胎を引き裂き、母親とまだ生まれていない子供の双方を虐殺しました。現代の私達から考えると、残虐な行為に思えますが、古代においては特別なことではありませんでした。敵の民族を断つためにも、女性を殺すこと、まだ生まれていない子供を殺すことは、一つの戦略でした。アモスの預言から約10年後、北イスラエルの王メナヘムがティフサを攻撃した時、妊婦を切り裂いています。これはイスラエルで行われたがゆえに、特別な事件として記されています。神様は「私はラバの城壁に火をつける。火はその城郭をなめ尽くす。戦いの日に鬨の声があがる、嵐の日に烈風が吹く中で。彼らの王は高官達と共に、捕囚となって連れ去られる」と言われました。 モアブは死海の東部にあり、北はアンモンに、南はエドムに接しています。モアブもアンモン同様、アブラハムの甥ロトの子孫です。神様は「彼らがエドムの王の骨を焼き、灰にしたからだ」と罪を告発しています。他の5つの国々の罪と異なり、モアブの罪は遺骨を汚したことにあります。キリスト者である私達にとって、遺骨を灰にしたからといって、罪を感じることはありません。むしろ遺骨に特別な敬意を抱くことは、キリスト教にふさわしくないと考えます。けれどもエドムの目から見れば、貴いものの破壊であり、モアブにとっては勝利を明らかにし、エドムの敗北の苦しみを増す行為でした。神様は「私はモアブに火を放つ。火はケリヨトの城郭をなめ尽くす。鬨の声があがり、角笛が鳴り響く中で、混乱のうちにモアブは死ぬ。私は治める者をそこから絶ち、その高官達も皆殺しにする」と言われました。
ダマスコとアンモンが告発された罪は、侵略に伴う残虐な行為でした。ガザとティルスが告発された罪は、奴隷貿易、人身売買でした。エドムが告発された罪は、長年にわたる怒りと憎しみでした。モアブが告発された罪は、他者の価値観を損なうものでした。またエドムとアンモンとモアブは、遠い親戚関係にありながら、イスラエルと敵対関係にありました。いや逆に身近な国であったがゆえに、現代において韓国や北朝鮮、中国が日本に敵意を抱いているように、憎悪も深かったのかもしれません。アモスが、これら6つの周辺諸国への裁きについて語った時、北イスラエルの人々は、むしろ共感したでしょう。アモスが預言者として召された時、アッシリアは無力な王のために一時的に衰退しており、北イスラエルと南ユダは領土を拡張し、経済的に豊かな時代でした。ですから周辺諸国への裁きは、イスラエルの繁栄にさらに自信を持たせると言いますか、自らを正当化させる言葉であり、心地よい言葉でした。しかし次回になりますが、これからイスラエルへの裁きが語られるのです。神様はアモスを通して、繁栄の絶頂期にあるイスラエルに対して、裁きを語ります。しかもライオンの鳴き声のように響く、危険と破滅を知らせる神様の警告なのです。
私達は他者が裁かれる時、特に教会やキリスト教に対立する存在が裁かれる時、無意識のうちに共感してしまうことがあります。あるいは同じキリスト者であり、信仰の基は同じなのに、行動として現れるものが異なる時、他者を裁いてしまうことがあります。結果として他者が失敗したり、この世的な意味で不幸になったりすると、それによって自らを正当化することがあります。けれども私達は本質的に罪人であり、主イエスの十字架によって贖われ、罪赦された存在にしか過ぎないのです。常に神様の御声に耳を傾け、歩むべき道を整えていただかないと、すぐに誤った道に陥ってしまいます。私達は動物園にいるライオンしか知りませんが、本当に道でライオンと出会ってしまったら、立ち竦んでしまって身を守ることもできないでしょう。そのような恐ろしい鳴き声であり、警告ですが、それは私達を滅ぼすことが目的ではなく、私達が神様に立ち帰ることを求めておられる鳴き声です。神様の裁きの声がとどろく時、その声に恐ろしさを覚えて耳をふさぐのではなく、逆に耳を澄ませて神様の御声を聞き、その御声に従う者とならせていただきましょう。神様の裁きの声こそ、真の意味で私達を生かす御言葉なのですから。