2006/06/04

06/06/04 ペンテコステ礼拝 歴史に現された髪の御業 M

2006年6月4日 
瀬戸キリスト教会ペンテコステ礼拝
歴史に現された神の御業     アモス書2章9_11節
讃美歌 66,?62,499
堀眞知子牧師
 ペンテコステおめでとうございます。ペンテコステとはギリシャ語で50日目という意味です。出エジプト記34章22節に「あなたは、小麦の収穫の初穂の時に、7週祭を祝いなさい」と記しているように、もともとは過ぎ越しの祭りから50日目、小麦の収穫を神様に感謝するユダヤ教の祭りの日でした。その日が私達クリスチャンにとって、クリスマス、イースターと並ぶ三大祝節の一つとなったのは、この日に聖霊が降り、地上に主の教会が誕生したからです。いわば教会の誕生日であり、聖霊降臨日とも言われています。主イエスは復活された後、40日にわたって弟子達に現れ、神様の御国について語られました。そして「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」と話された後、天に上げられました。この約束に従って、10日後に聖霊が降り、主の教会が誕生しました。弟子達は聖霊の力によって、伝道者として派遣され、2000年後の今日、エルサレムとは反対側、当時のローマ帝国が知らなかった日本、しかも当時は入り江だった所で礼拝が守られています。まさに「地の果て」いや「海の真中」まで福音が宣べ伝えられました。それは豊かに注がれた聖霊の働きとして、教会の業としてなされてきましたし、今も続いています。また、主イエスの再臨の日まで続く教会の歴史の中に、すでに瀬戸キリスト教会も加えられています。神様は今も生きて働かれる御方であり、私達人間の歴史の中に、教会の歴史の中に御業を現しておられます。
さて神様は、アモスを通してダマスコ、ガザ、ティルス、エドム、アンモン、モアブの6つの周辺諸国に対する、罪の告発と審判を語られました。アモスが、これら6つの周辺諸国への裁きについて語った時、北イスラエルの人々は、むしろ共感したでしょう。アモスが預言者として召された時、アッシリアは無力な王のために一時的に衰退しており、北イスラエルと南ユダは領土を拡張し、経済的に豊かな時代でした。ですから周辺諸国への裁きは、イスラエルの繁栄に、さらに自信を持たせると言いますか、自らを正当化させる言葉であり、心地よい言葉でした。ところが2章4節以下において、神様はユダとイスラエルへの裁きを語られています。神様はアモスを通して、繁栄の絶頂期にある南ユダと北イスラエルに対して、ライオンの鳴き声のように響く、危険と破滅を知らせる警告を語られています。周辺諸国へ語られた時と同じように「主はこう言われる」という言葉で始まって「3つの罪、4つの罪のゆえに、私は決して赦さない」と記され、イスラエルに対しては「主は言われる」で閉じられています。
神様はユダに対して、2つの罪を告発しています。それは周辺諸国の罪とは、本質的に異なります。第1に、ユダは主の教えを拒み、その掟を守りませんでした。南ユダはダビデの家系が守られ、その子ソロモンは「十戒」を刻んだ石の板を入れている「契約の箱」を安置するために、エルサレム神殿を建てました。彼はイスラエルの全会衆を祝福して「私達の心を主に向けさせて、私達をそのすべての道に従って歩ませ、先祖にお授けになった戒めと掟と法を守らせて下さるように」と言いました。けれども、それからアモスの時代まで約200年間、南ユダは神様の戒めと掟と法に、必ずしも忠実ではありませんでした。神様の掟を与えられていること、掟を守って生きることがイスラエルの恵みでした。神様がアブラハムに「祝福の源となるように。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」と約束されたように、イスラエルは神様に選ばれた民として、神様から愛され、特別な使命を与えられ、責任を負っていました。けれども南ユダは、その責任を果たしていませんでした。第2に、ユダは偽りの神によって惑わされました。約束の地カナンに入るにあたって、神様はモーセを通して「もしあなたが主を忘れ、他の神々に仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、あなたたちは必ず滅びる」と言われました。ソロモンは晩年になって、多くの異国の妻達のために、異教の神々の祭壇を築きました。その後も南ユダには、神様の目にかなうことを行った王もいましたが、神様に背いた王もいました。「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」という戒めに背いたのです。アモスの時代の南ユダは、偶像礼拝に惑わされていました。
その罪に対する審判として神様は「私はユダに火を放つ。火はエルサレムの城郭をなめ尽くす」と言われました。これは175年後、バビロニアの攻撃によって現実となります。列王記下25章に記されていたように、バビロンの王ネブカドネツァルによって王とされたゼデキヤが、バビロンに反旗を翻したがために、エルサレムはバビロンから攻撃されました。丸1年半のエルサレム包囲によって、民の食糧は尽き、城壁の一部が破壊され、都にバビロン軍が侵入しました。彼らはエルサレム神殿と町を徹底的に破壊し、貧しい民の一部を除いて、多くの人々はバビロンに捕囚として連れ去られました。エルサレム陥落の175年前に、すでに神様はアモスを通して警告されていたのです。
最後に、南ユダのテコアの出身でありながら、神様から北イスラエルに遣わされたアモスは、イスラエルに対する罪の告発と裁きを語ります。ここにこそ、アモスの預言者としての使命と目的がありました。そして周辺諸国とユダに対しては「3つの罪、4つの罪」と言いながらも1つあるいは2つであったにもかかわらず、ここでは4つの罪があげられ、裁きについても詳しく語られています。イスラエルの罪は、第1に、正しい者を金で、貧しい者を靴1足の値で売ったことです。これは、負債を返済できない者を奴隷に売ることを意味しています。正しい者とは法律的に正しい者、つまり奴隷として売られる正当な理由のない者です。また靴1足とは、きわめて少ない額を表しています。法的に何の責任もない者を、あるいは取るに足らぬ負債のために貧しい者を、奴隷として売買していました。第2に、弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げていることです。これは不正な裁判を意味しています。人間の欲望は限りないものであり、どんなに富があっても満足することができません。いや富があればあるほど、今の状態に満足できなくて、あるいは不安を感じて、もっと富を欲するのです。そしてイスラエルでは富のある者が、さらに富を欲して、富を利用して弱い者を踏みつけていました。裁判官が富のある者から賄賂を取り、不正な裁判を行い、社会的弱者を苦しめていました。それは財産の問題に留まらず、彼らの社会的生活、人生そのものを曲げていました。第3に、父も子も同じ女のもとに通い、神様の聖なる名を汚していることです。イゼベルによってもたらされたバアル信仰、豊穣の神々の祭りでは性を伴う宗教儀式が行われていました。神殿娼婦の所へ、父と子が訪れることもありました。また宗教的乱れから、若くて弱い立場の女性のもとへ、父と子が訪れることもありました。これも社会的弱者を苦しめることであり、同時に家族の倫理的基盤が崩れていました。第4に、祭壇のある所ではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ、科料として取り立てたぶどう酒を、神殿の中で飲んでいることです。祭壇のある所ではどこでも、と記されているのは、イスラエルが異教の神々をも含めて、およそ祭壇であるならば、どこでも宴を開いていたことを意味しています。しかも貧しい者から担保として取った衣服を敷物として用い、取り上げたぶどう酒を飲んでいました。社会の中で力のない人々が、経済的、法的、性的な虐待を受けていました。ヤロブアムの時代、北イスラエルは豊かさの中にあって退廃していました。経済的豊かさによって、宗教的儀式は盛んに行われましたが、主なる神様への信仰心を失っていました。
11,12節に記されているナジル人は、特別の誓願を立てて、神様に献身した者です。ナジル人である間は、ぶどう酒も濃い酒も、ぶどうの木からできるものはすべて、口にしてはならないことになっていました。ナジル人も預言者も、彼らの存在そのものが、神様の民としての恵みのしるしでした。ところがイスラエルは、ナジル人に酒を飲ませ、預言者に預言するなと命じました。社会的弱者が虐待され、恵みが恵みとして受け入れられないイスラエル。当然の結果として、神様の裁きが下ることをアモスは語ります。「見よ、私は麦束を満載した車が、わだちで地を裂くように、お前たちの足下の地を裂く。その時は、素早い者も逃げ遅れ、強い者もその力を振るいえず、勇者も自分を救いえない。弓を引く者も立っていられず、足の速い者も逃げおおせず、馬に乗る者も自分を救いえない。勇者の中の雄々しい者も、その日には裸で逃げる、と主は言われる」収穫時に麦束を満載した荷車が、その重みで地に深いわだちを刻むように、イスラエルの足下の地を裂く時が来る。神様の裁きの重さに圧倒されて、どのような抵抗も許されない時が来る。足の速い者も、その速さにもかかわらず裁きから逃れることはできない。力が強い者も、裁きの力の前には力を失う。危機に直面している人間が頼りとするものは、神様の力に対しては何の役にも立たない。アモスは、迫りつつあるイスラエルへの審判を語ります。神様に対して絶対的に依存すべきことと、神様に対する責任を負うべきことを真剣に受け止めようとしない、イスラエルの姿勢に対して、神様が自己を貫徹すること、神様の現実を証することが預言者アモスの任務です。豊かさに安住している北イスラエルですが、実はサマリア陥落まで40年もないのです。
神様はアモスを通して、御自分がどのような存在であるのか、どのような力をもっているのか、何をしてこられたのかを語られます。「その行く手から、アモリ人を滅ぼしたのは私だ。彼らはレバノン杉の木のように高く、樫の木のように強かったが、私は、上は梢の実から、下はその根に至るまで滅ぼした。お前たちをエジプトの地から上らせ、40年の間、導いて荒れ野を行かせ、アモリ人の地を得させたのは私だ。私はお前たちの中から預言者を、若者の中からナジル人を起こした」イスラエルの歴史の中に働かれた神様の御業が語られています。出エジプト、荒れ野の40年の旅、約束の地カナンへの侵入と土地取得、イスラエルのカナン定住、そこに働かれた神様の導きを語ります。イスラエルは神様が自分達のために何をなされたかを思い起こし、神様の愛の御業に応えるように促されています。エジプトで奴隷状態にあったイスラエルを解放した。荒れ野における試練の40年の旅を守り導いた。約束の地カナンの先住民族であったアモリ人を滅ぼし、その土地をイスラエルに与えた。「イスラエルよ、そうではないか」という言葉は、神様がイスラエルに確認を求める問い掛けです。
同じように私達キリスト者に対しても、神様は御業を語られ、確認を求めて問い掛けられています。「あなたがたのために、愛する独り子を遣わしたのは私だ。主イエスの十字架によって、あなたがたの罪を赦したのは私だ。主イエスの復活によって、あなたがたに永遠の生命を与えたのは私だ。あなたがたの群れに聖霊を降らせ、主の教会を地上に誕生させたのは私だ」エフェソの信徒への手紙1章22,23節でパウロは「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」と述べています。教会は、主キリスト以外の頭を持つことはなく、唯一の頭である主キリストの体なのです。以前にも申しましたが、教会は建物ではなく、神様によって召し出された人々の集まりです。聖霊が降り、地上に初めて主の教会が生まれた日、教会という建物はありませんでした。弟子達が一つの家に集まって祈っている時、神様から聖霊が降ったのです。また初代教会は、個人の家で礼拝を守っていました。たとえばフィレモンへの手紙の中で、パウロは「あなたの家にある教会へ」と書いています。建物ではなく、恵みの与え手である主キリストが満ちておられる所、それが私達の教会なのです。
アモスが預言者として立てられたイスラエルも、先在的な教会でした。またイエス様が伝道生活を始められてから、その周りに召し集められた弟子達の群れも、主の教会の原型をなしていました。しかし神様の御計画の最終的段階となる歴史的な教会は、主イエスの復活から50日目に当たるペンテコステの日に、聖霊が降ったことによって、地上に誕生しました。父なる神様によって、イエス様がこの世に遣わされた目的は、十字架の上で私達の罪を贖い、御自身の血の贖いによって召し集めた人々を、教会という群れとして、主イエスを救い主と信じる共同体として、地上に建て上げることでした。そして教会には、主イエスの一回限りのできごとである復活により、今も復活の主イエスが生きて働かれています。イエス様を通して現された神様の御力が、今や、教会の頭である主イエスの上にあります。主イエスの力ある御業によって、神様の愛と御力がすみずみまで満たされているのが、私達の教会です。教会の頭としての主イエスの支配の力は、教会を愛して、そのために御自身を捧げられた、イエス様の愛に基づいています。私達の現実がどうであれ、すでにイエス様が罪を贖って下さっています。もちろん、すでに贖われたからといって、何をしても良いというのではありません。罪を贖われた、罪を赦された。その量ることのできない愛と恵みに応えるために、私達は召されています。召された者としてふさわしい歩みがあり、その道を歩むように、神様は道を切り開いて下さっています。何度も何度も罪を犯し失敗を繰り返す人間が、神様のもとに立ち帰ることができるように、神様は地上に教会を建てて下さいました。主の教会において、私達が神様に礼拝を捧げ、聖書の御言葉に耳を傾け、神様を心から讃美する時、主の愛と御力が、この教会に満ちるのです。歴史に現された神様の御業を絶えず思い起こし「キリスト者よ、そうではないか」という呼び掛けに応えさせていただく。神様の愛と恵みに応えさせていただく。そのような群れとして、瀬戸キリスト教会が整えていただけるよう、上からの愛と御力を祈り求めましょう。

2 Comments:

Anonymous 匿名 said...

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7:01 午後  
Anonymous 匿名 said...

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1:42 午前  

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