2006/08/06

06/07/30 主を求めて生きよ M

2006年7月30日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主を求めて生きよ
アモス書5章4_7節
讃美歌 69,2_154,304
堀眞知子牧師
ヤロブアム2世の繁栄のもと、熱狂的ではあっても形式的な信仰に陥っている北イスラエル。神様は天災などを通して、イスラエルを警告してきました。けれども、アモスが「しかし、お前たちは私に帰らなかったと主は言われる」と語ったように、イスラエルは神様に立ち帰ることなく、200年近い歩みを続けてきました。神様に背いた歩みの中で、北イスラエルが神様と出会うならば、その結果は裁きの出会いであり、滅亡が待っています。北イスラエルが滅びないで生き延びる道、それは悔い改めて神様に立ち帰り、神様を求めて生きるより他にはありません。4章と同じように、アモスは、祭りでごった返しているベテルの聖所で語っています。経済的豊かさを背景にして、献げ物で満ちている聖所、けれどもそこに集まっているのは、まことなる神様への信仰、神様との生きた交わりを失ったイスラエルでした。5章には神様の裁き、神様に立ち帰ることの勧告、神様への賛美が交互にと言いますか、まとまりなく語られています。おそらくイスラエルの現状を前にして、アモスは神様の裁きを語らざるを得なかったし、同時に最後の生き残りを賭けて、神様への立ち帰りを勧めざるを得なかったし、すべてを支配されている神様への賛美が口をついて出てきたのでしょう。
アモスはイスラエルに「自分の神と出会う備えをせよ」と呼び掛けた後「悲しみの歌」を歌います。「イスラエルの家よ、この言葉を聞け。私がお前たちについて歌う悲しみの歌を」「悲しみの歌」と訳されていますが、この言葉は、単に悲しい歌ではありません。死を哀悼する歌であり、挽歌です。埋葬に際して泣き女が歌う習慣になっていた歌です。それは他の曲とは明らかに異なる調べでした。祭りの中に、アモスの挽歌が響きます。祭りの場にはふさわしくない歌です。ごった返していた人々は、驚いて耳を傾けたでしょう。北イスラエルは「おとめイスラエル」と呼ばれています。「おとめ」ですから、まだ結婚していない女性です。当時のことを考えれば10代前半でしょう。古代において、女性や子供は弱い立場にありました。父親や家族に守られなければ、生きていくことができません。人生も、まだこれからです。そのように弱く、人生経験も乏しくて、一人では生きていくことができない「おとめ」にたとえられた北イスラエルが「倒れて、再び起き上がらず、地に捨てられて、助け起こす者はいない」とアモスは言いました。原文では「倒れた。再び起き上がることはない。地に捨てられた。誰も起こしてくれない」となっています。北イスラエルがアッシリアに滅ぼされるのは40年後です。けれども、ここでは「倒れた」「捨てられた」というふうに、確実なできごととして語られています。また北イスラエルは倒されるのではなく、自ら倒れるのです。列王記に記されていたように、ヤロブアム2世の政治的経済的に安定した時代の後、アッシリアによって北イスラエルが滅ぼされるまで約30年、6人の王が立ち、4人が暗殺されます。宗教的混乱は政治的混乱をもたらしました。自力で立ち上がることができなくて、倒れたまま横たわり、地に捨てられた北イスラエルを、外から起こしてくれる人もいません。ただ死を待つのみです。アモスは続けます。「まことに、主なる神はこう言われる。『イスラエルの家では、千人の兵を出した町に、生き残るのは百人、百人の兵を出した町に、生き残るのは十人』」アッシリアとの戦いで、生き残る兵士は1割です。9割の者が死ねば、全滅と言った方が正しいでしょう。北イスラエルの絶望的未来ですが、アッシリアによる北イスラエル滅亡の背後には、神様の確かな御手、裁きの御手が働かれています。
「悲しみの歌」を歌った後、アモスは、北イスラエルの生き残る道を語ります。死の歌と共に生命の言葉が語られます。生をも死をも支配される神様の御力が明らかにされています。生命の道、それは「主を求めて生きる」道です。アモスは語ります。「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。私を求めよ、そして生きよ」神様はイスラエルに「私を求めよ」と言われました。「求める」という言葉には「主の御心を求める」という意味があります。北イスラエルの人々は、自分達が神様を求めていないとは思っていませんでした。アモスは、ベテルの聖所で、祭りのために集まった人々を前にして語っています。そこには大勢の人々が集まり、いけにえと献げ物を献げていました。彼らはベテルやギルガルの聖所に詣でていました。自分達は熱心にベテルやギルガルの聖所に詣で、十分な献げ物をしている。自分達は神様の御心を求めていると思っていました。けれどもアモスは「ベテルに助けを求めるな、ギルガルに行くな、ベエル・シェバに赴くな」とイスラエルに語ります。人々はベテルやギルガルの聖所へ行くことこそ、神様を求めることだと思っていました。ですからベテルやギルガルの聖所へ行くなとは、どういう意味なのかという疑問が湧いてきます。アモスは、その理由として「ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するから」と、聖所へ行くことの無益さを説きます。アモスは形式的信仰に陥っているイスラエルに警告していますが、人々は自分達の信仰が形式的であることにさえ気付いていないのです。最初の王ヤロブアムの罪から離れることのできなかった北イスラエルは、信仰的感性も失っていました。
「主を求めよ、そして生きよ」この神様の命令に聞き従わない時、神様の裁きの言葉が臨みます。「さもないと主は火のように、ヨセフの家に襲いかかり、火が燃え盛っても、ベテルのためにその火を消す者はない」ヨセフの家とは、北イスラエル王国を形成しているエフライム族とマナセ族です。神様の激しい怒り、正しい裁きは火のようにイスラエルに臨みます。ベテルの聖所も滅びから免れることはできません。さらにアモスは、イスラエルの信仰が形式的なものであることを指摘します。「裁きを苦よもぎに変え、正しいことを地に投げ捨てる者よ」これは支配者達が、裁きを自分達に都合の良いように変えている、北イスラエルの現実の姿です。まことなる神様を畏れるなら、正しいことはしっかりと確立されるべきなのに、支配者達は地に投げつけて、その上を踏みつけていました。裕福な者達が自分達の富のために、貧しい者から搾取していました。社会的弱者への配慮に欠けていただけではなく、彼らを顧みることなく、さらに不正が行われていたのです。
支配者達を非難したアモスは、神様をほめたたえます。「すばるとオリオンを造り、闇を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。その御名は主」すばるとオリオンは、もっとも目立つ星々です。現代と異なって夜は真っ暗闇です。数え切れない星々を仰ぐ時、人は創造主なる神様を思います。数え切れない星々を創造された神様は、同時に闇を朝に変え、昼を暗い夜にすることができます。古代の人々にとって、夜と闇は恐怖でもありました。その夜と闇を支配され、夜明けをもたらす神様。海の水を蒸発させ、雨、雪となって地に注がれる御方です。自然が神ではなく、自然そのものを創造され、それを秩序をもって支配される御方です。イスラエルが真実を憎み、熱心に悪を行っている現実の中にあっても、神様は秩序をもって、すべてを正しく支配されています。そのような力強さ、秩序正しさを持つ神様が「突如として砦に破滅をもたらされると、その堅固な守りは破滅」します。
ヤロブアム2世のもと、繁栄の陰にある社会の不正をアモスは語ります。イスラエルの町は城壁に囲まれていました。出入りのための門があり、門の内側にある広場は裁判の場でもありました。町の長老達が、町の中で起こった事件や問題、家庭内の問題、反抗する息子や相続の問題も含めて、判定を下していました。ところがアモスの時代、支配者達は、訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌っていました。また裕福な者は弱い者を踏みつけ、穀物の貢納を取り立てていました。アモスは彼らに対して、裁きを宣言します。「切り石の家を建てても、そこに住むことはできない。見事なぶどう畑を作っても、その酒を飲むことはできない」自分で建てた立派な家に住むことができず、育てたぶどうから作ったぶどう酒を飲むことができないということは、神様の祝福に与れないことを意味しています。繁栄の中にあり、神殿詣でを熱心に行い、豊かな献げ物を献げ、表面的には信仰的な生活を送っているけれども、それは表面的なものであって、神様の目には罪は明らかでした。「お前たちの咎がどれほど多いか、その罪がどれほど重いか、私は知っている。お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている」裕福な者と貧しい者が公正に裁かれていない。そのような社会では真実を明らかにしても、何の意味もないから、知恵ある者も沈黙を守ります。語るべき人が語らない社会です。アモスは「まことに、これは悪い時代だ」と非難しています。
アモスは再び、勧めの言葉を語ります。「善を求めよ、悪を求めるな、お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主は、お前たちと共にいて下さるだろう。神様を求め、善を求める道こそ神が共にいます道。悪を憎み、善を愛せよ、また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が、ヨセフの残りの者を、憐れんで下さることもあろう」イスラエルが悪ではなく善を求めるなら、生き残る道があるかもしれない。けれども、このアモスの言葉は「主を求めよ、そして生きよ」という言葉ほど力には満ちていません。アモス自身「そうすれば、あるいは」と一つの望みとして語っているに過ぎません。イスラエルの悔い改めに、神様が恵みをもって応えて下さる可能性に、アモス自身が最後の望みをかけているような言葉です。
ゆえに再びアモスは、現状のままのイスラエルに臨む裁きについて述べます。「憐れんで下さることもあろう」と言ったものの、イスラエルの罪はあまりにもひどく、希望がもてないのです。イスラエルのすべての町や村に、嘆きの声が上がります。その理由として、神様は「私がお前たちの中を通るからだ」と言われました。これは、出エジプト記12章の「主がエジプト人を撃つために巡る」と同じ言葉です。神様の裁きが、イスラエルの町にも村にも臨みます。18?20節にアモスは「主の日」について語っています。最初にアモスは「災いだ、主の日を待ち望む者は」と断言しています。アモスの時代、人々は「主の日」について甘い期待を持っていたようです。そのようなイスラエルに向かって、アモスは「主の日」は彼らにとって光や輝きではなく、暗闇であることを宣告しています。暗闇、それは獅子や熊から逃れて、安全な場所である家にたどりついて、壁に寄りかかった瞬間、手を蛇にかまれるような、決して避けることのできない神様の裁きの日です。イスラエルにとって「主の日」が神様の厳しい裁きの日である理由の一つとして、彼らの誤った礼拝姿勢がありました。神様はアモスを通して、イスラエルの礼拝のすべてを拒否すると宣言されました。
神様が求めておられるのは「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」ということでした。波のように押し寄せ、岸を激しく洗い、すべてを清める洪水のように国中に流れる正義、そして季節に変わりなく、大河のように国中に流れ続ける恵みの業でした。イスラエルでは不正が行われていました。イスラエルの礼拝は受け入れられませんでした。「私を求めよ、そして生きよ」「主を求めよ、そして生きよ」と神様がアモスを通して勧めざるを得ないほど、礼拝は形式的なものとなり、神様を求めていませんでした。神様との霊的交わりがなくなっていました。まことなる神様を畏れるなら、不正は行われないし、正義を行うことは、神様に対する神の民としての応答です。献げ物で満ちている聖所、祭りでごった返している聖所が、神の民としての応答ではありません。神様はエジプトからカナンまでの旅を思い起こさせます。40年の間、荒れ野にいた時、イスラエルが神様に献げ物をささげたから、顧みられたのではありません。イスラエルが、まことなる神様を求めていたから、過ちを犯しながらも、神様はカナンまで導き上ったのです。今、イスラエルは、まことなる神様を求めないで、献げ物に夢中になり、偶像礼拝の罪も犯しています。神様はイスラエルに対し、アッシリア捕囚は御自身の御業であることを宣言されました。まことの神様へ、まことの心をもって礼拝をささげないイスラエルに、神様の刑罰が下るのです。
「主を求めよ、そして生きよ」これは私達にも語られている言葉です。私達が推理小説で犯人を追うかのように、覆われている謎を解くのではありません。神様の方から覆いを取り去って下さり、神様の方から「私を求めよ」と招いて下さっています。私達には主を求めて、与えられた人生を生きる道が開かれています。絶望的状況の中にあって、人間の目から見れば救いようのない状況の中にあって、なお主を求めて生きる道が開かれています。人は絶望に陥り、死をさえ願う時があります。死を願わないまでも、生を見捨てる、生きることへの熱意を失う時があります。そのような私達に対して神様は、さらに「生きよ」と言われています。生きる力も神様から与えられるのです。申命記4章に「あなたたちは、あなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう」とモーセを通して語られた御言葉が記されています。どのような状況の中にあっても、私達が心を尽くし、魂を尽くして主を求めるなら、生きる力が与えられ、生きる道が開かれています。生命の道で、神様と出会うことができます。神様と出会うことにより、共にいます神様を知ることができます。それは頭の中で考えることではなく、実感として神様を知ることです。霊的な交わりを知ることです。それによって、信仰が深められ、また神様を求める心が強められていきます。信仰生活は、その繰り返しであり、日常生活の中で積み上げられていくものです。それが証の生活であり、私達の証の生活を通して伝道の御業がなされていきます。「主を求めよ、そして生きよ」この招きの御言葉に応える群れとして、瀬戸キリスト教会の歩みを整えていただきましょう。