2006/06/21

06/06/11 神の支配といやし 東神大教授 朴 憲郁牧師

2006年6月11日 聖霊降臨節第2主日礼拝、瀬戸キリスト教会にて
マルコ福音書1:29_39
「神の支配といやし」
朴 憲郁 牧師 (東京神学大学教授)
 今朝こうしてお招きをいただきまして、皆さんと共に礼拝できますことを心から感謝いたします。しばらく前に高知の方に来ることが決まりましてから、堀先生の方からいち早く日曜日の朝、こちらの教会でぜひ、御言葉を分かち合わせていただきたいという申し出がありまして、週報とさまざまな資料をいただきました。頭の中でどんな教会だろうか、どういう方がおられるのだろうか、そんなことを思い巡らしておりましたけれども、今日このように大変良い天候の中で、心を合わせて礼拝することを通して皆さんにお会いできましたことを大変嬉しく思います。このことも、わたしたちを一つに招いて下さる神様の御心であるということを思わずにはおられません。今朝、与えられましたマルコによる福音書の御言葉を通して、共に神様の御支配と癒しということを学びながら、それが信仰の糧となることを願っております。
マルコによる福音書一章の後半のみ言葉が与えられておりますけれども、この後の45節までを含めて考えてみますと、この29節から45節までを、三つに分けることができるかと思います。29節から34節までの箇所は主イエスが病人をお癒しになったことを記しており、その後35節から39節までは巡回伝道の様子を描いておりますし、そしてその後の、今日はお読みしませんでしたけれど、40節から45節までは重い皮膚病の人のお癒しの物語が記されております。ここには、いくつもの大切なテーマやメッセージを見出すことができますが、これらを貫いている一つの事柄がございます。それは神様の御支配、神の国が近づいたという喜ばしい知らせを伝える主イエスの「伝道」ということと、この神の国に招かれている人々が抱えこんで苦しんでいる、そういう病いに対する慰め、あるいは「癒し」という事柄が切り離せない仕方で結び合わされているという点です。御言葉を宣べ伝えるということと癒しの業という二つのことが、一つになっているということです。つまり主イエスの神の国の教えと、癒しの業という二つのことが一つにされています。
カファルナウムの村における一日の伝道活動に関する記事だけを見ましても(1:21以下)、イエスを、教える人、癒す人、あるいは伝道する人として捉え、描いています。
ですから、19世紀後半から欧米の宣教師たちがアジア諸国における福音伝道を本格化させていきました時にも、この福音書の御言葉から伝道の基本的なあり方と方法とを学んで、それを伝道実践に生かしてまいりました。それは、キリスト教精神に基づく伝道と教えと癒しの業です。このことを宣教師たちは英語で表しまして、三つのingだと言いました。それはpreaching, teaching, healingだというふうに三つに分けて語ってまいりました。それは、主イエスの神の国のご活動の中に、それら三つのモデルを見いだしたからであります。従って、異教の地に教会が建ち、近代教育理論に基づくミッションスクールが建ち、近代的な医療技術をもちいた病院が建ったのです。教会と学校と病院が建ったのであります。そして、そのような仕方で宣教の地に赴いた訳ですので、その国の多くの人々を主イエスが説いた神の国の福音に導いたというだけではなくて、その国自体の近代的な発展のために、少なからぬ貢献をすることになったのです。こうした聖書のモデルに従った宣教の働きやアイデアの実現を、私たちの国においても身近なところでしばしば確認することができるのです。この高知においてはどうだったのでしょう。私は詳細な歴史を特に存じてはおりませんけれど、おそらくどこかに、もれなく、それが関わっているということは言えるのではないでしょうか。
さて、そのような海外宣教のモデルとなるほどに近現代に影響を与えたこのマルコ福音書一章の中で、今日の箇所は特にhealing、すなわち病いの癒しの業を集中的に描いています。この箇所からメッセージを受け止めたいと思うのです。今日は教会の暦に従いますと、聖霊降臨日から始まって第二週を迎えています。聖霊降臨節第二週です。このマルコ福音書の一章の10節および12節に記されていますように、主イエスはヨハネのもとから洗礼を受けられて川の水から上がられた時、そして荒野に送り出された時、主の霊に捕らえられてお働きになったと語られています。そして力強く神の国の宣教を開始なさいました。そういう意味で今日の、この御言葉の教会暦にしたがった聖霊降臨節の、この季節に相応しい御言葉の一つではないかと思うのです。
今日の御言葉の中で第一に、最初に弟子となったシモン・ペトロの家で、主イエスは彼の姑の熱病をお癒しになりました。この熱病がどれほど深刻であったか、新約聖書においてまれにしか用いられない「そこに横たわる」(カタケイマイ)というギリシア語の動詞に示されております。マルコ福音書の中では、他に2章の4節にだけ用いられています。このように熱病が生死に係わるものであったということについては、ヨハネ福音書の4章52節でも直接語っています。弟子の第一人者となる、いや愛弟子であったペトロに妻がいたということは、案外わたしたちは知らないのですけど、後に手紙を書きましたパウロのコリントの信徒への第一の手紙9章5節を見ますと、別名ケファ、ペトロに妻がいたということが分かります。ペトロの妻の母が同じ家に、あるいは彼の近くの別の家に住んでいて、その彼女が重い病気で横たわっていた、というこの記事は読者であるわたしたちの関心をひく事柄であるに違いありません。しかしいずれにしましても、ここに特に詳細な説明はありませんが、主イエスが他の病人に対する場合と同じように、ペトロの姑の重い病気を見て深い憐れみの気持ちを抱き、そして神のみ力による癒しの御手を差し伸べたに違いありません。それは、このあとに描かれる皮膚病を患った人の癒しの物語の41節において、主イエスが、「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れた」、というのとまったく同じであったに違いありません。
今日も身体に、あるいは心の病いにかかって、その苦しみの中から、主の憐れみと癒しを叫び求める人々が何と大勢いることでしょうか。今日のこの御言葉の中では、悪霊を追い出したというふうに書かれています。もちろん当時のことでありますから、近代の医学的知識というものは十分でなかったかもしれません。風邪にかかっても何か病にかかっても、それはすべて何かたたったのではないか、あるいは悪霊に取り憑かれたのではないか、そんなふうに考えたりしました。ある人は近代的に考えると、つまり今の時代から見れば、それは迷信だと考える人もいるでしょう。しかし、悪霊に取り憑かれたということは、もっと深い次元で捉えられておりまして、人間の現代的な知識や技術を超えたところで人間を取り押さえている勢力、破滅や死に追いやってしまう肉的な人間の思い、あるいは人間の手に負えない悪しき力というものをこういう言葉で言い表していて、そういう悪しき力、あるいは肉的な支配を、主イエスは神の御支配によってしっかり取り押さえ、それを追い出して、まことに解放された人間として神の御前に立たせて下さるという喜ばしい御業をなさっているのであります。
そのことと合わせて、私たちは病ということを別の角度からも捉えてみることができるのではないでしょうか。これは人々を戦々恐々とさせた新型肝炎SARSや鳥インフルエンザのように、不意に外から疫病が私たちに感染して起こる場合もありますが、もう一方では、自分の過去における不注意な私生活が原因で結果する場合も少なくありません。それは長い時間をかけて自分でまいた種の結果を自分で刈り取るようなものである場合が多くございます。よく言われますように、成人病が生活習慣病と言われるのも、そういう理由からです。このように、病を自分の身に招いてしまうような生活態度というものは、自分を追いつめる程に忙しく駆けめぐる人間の姿の中に現れ、あるいは蓄積されてきています。今日の御言葉で申しますと36?37節に、そのことを思わせる言葉がございます。このように書かれています。「シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、『みんなが探しています』と言った。」 忙しく駆けめぐる人間の姿が、ここにあります。
しかし、忙しく駆けめぐるのとは反対の姿が、これらの節の前の35節ではないでしょうか。こう書かれています。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」と。真の人間として、同じ私たちの弱さや悲しみを抱え、この地上を生きられた主イエスの生活様式というものが、ここにあるのではないでしょうか。あるいはリズムと言っても良いのではないでしょうか。それは活動ともう一方の休息・祈りということです。こんなに忙しい神の国運動のさなかにある主イエスが、35節に記されていますように、また同じマルコ福音書の6章やゲッセマネの祈りを描いた14章などに記されていますように、一人静まって祈り、神様との対話に早朝または夕暮れのひと時を割いて用いています。ここでは神様との交わりの中で魂と心の真髄に生命の息吹を感じ取っておられたに違いありません。それが一日の活力の源泉となっていたに違いありません。
ところが、そんなことをまったく意に介しない弟子たちは、群集の要望を代弁するかのように、主イエスの居場所を突き当てて、押しかけてきました。そして、祈る主イエスを妨げます。36節終わりの「追いかける」(ディオーコー)という動詞は、ほとんど否定的な響きをもって使われます。おそらくそんな時の彼らは、「先生、こんな寂しいところに来て、一人静かに祈っている場合じゃないでしょ!」、と言わんばかりの気持ちだったに違いありません。37節の「みんなが捜しています」という言葉は、主イエスの教えと行動に聞き従う姿勢というのではなく、主イエスを自分たちの町に引き留めようとする利己的な態度の、あるいは目先の恵みを追求する態度の表明であります。イエス様を一生懸命求めているようでありますけれども、どうもそうではないのです。彼らは、自分たちの要求と生活リズムの中に主イエスを合わせようとするのです。
しかし、彼らの息つく暇もない生活リズムの中で、いつの間にか彼らの心と体を徐々にむしばんでいく、いくつもの要素が蓄積されていきます。人間の体というのは大変正直でありまして、無理をするとどこかで吹き出してしまいます。それが軽いものであれば治療して治るのですけども、とても困難な場合があります。あとで気づいたら、取り返しもつかない病いに犯されている、ということになってしまいます。実際私たちは、それほど深刻な病でなくとも、病気で寝込んだり、熱を出して床でうなったりしている時など、ふと自分の生活の仕方についてしきりに反省し、自問していることに気づきます。その意味におきまして、病いは人生の一つの危機であると同時に、自らを省みる最大の学校であるとも言えます。病に伏してみて、自分の生活をじっくり反省してみるのです。ノヴァーリスという人はこう申しました。「病気、殊に長い間の病気は、人生の芸術を学び、又精神を陶冶するための、年季奉公する如きものである」と。なるほどと思うのです。病は学校だということは、なるほどだと思うのです。
しかし、そうとは言いましても、病気を余り持ち上げて謳歌したり、良かったなどと考えるのは、決して正しいことでないと思います。ここで私たちは、病気が人生の学校であるよりも、むしろ危機であるということの方を自覚すべきでありましょう。一塊の肉体だけではなくて、その肉体を引きずって歩んできたその人の生き方がひどく病んでいたからであります。病はその人の生き方を物語っています。しかも多くの場合、体や心が背負い込んだその病いのゆえに、人の前では一人前に生きられず、そこから離れて孤独や失望を味わうことがあります。従って、主イエスがそれを見て深く憐れむ時、一塊の肉体が引きずってきたその人の生き方を見つめておられ、何かある一つの部分を見ているというのではなくて、その疾患の奥にある、その人の生き方を見ておられる。そこでまさに横たわる彼女/彼に向かって、神様との交わり、神様の御支配の中に引き移して、神様との交わりの回復に向けた福音を語り告げ、内面的・外面的な癒し、すなわち魂と体の癒しの力を発揮なさるのです。ですから私たちは、このような主イエスの御力ある御業を信じ、主イエスのこの憐れみを請い求めて手を差し伸べる生き方をしたいのです。
ところで、人里離れて祈る主イエスの隠された姿から暗示されますように、第一段落の中の34節における悪霊に対する主イエスの沈黙命令、「誰にも語ってはいけない、黙れ」とおっしゃったこの言葉は、今日はお読みしませんでしたけれども、この後の40節から45節までの第三段落の中の44節で、皮膚病の癒し物語における主イエスの「誰にも言ってはいけない」というこの沈黙命令と共通しております。お癒しなさった後に、このことを誰にも知らせてはいけない、とお語りになったのですけれども、繰り返しそのようにおっしゃるとは、私たちには不可解です。そもそも、公に神の国の到来を宣べ伝え、町と村を巡り回って人々の病いをお癒しになる主イエスが、その都度お癒しになった人々に向かって、いったいどうして「誰にも、何も話さないように気をつけなさい。」と、しばしば口止めされたのでしょうか。聖書物語はこのように私たちに、一方ではよく分かる話であると同時に、首をかしげてしまうよく分からない話、いや私たちの常識的な考えをはばむ不可解な言葉を投げかけるのです。
しかし、実はそこに一つの深みがあるのです。福音書の研究をする人々の間では、ここに隠された何かがあるというふうに考えて、それをこの「メシアの秘密」の問題として、いろいろと議論してきたところであります。しかし、一つ確かな理由を挙げることができます。それは、先ほど指摘しました36節と37節における弟子たちの姿、息をつく暇もなく主イエスを探し当ててやってくる、押し寄せてくるような弟子たちの忙しさと何か関係があるのではないでしょうか。すなわち、奇跡を行う主イエスの評判を盛り上げ、彼を英雄視する気運または傾向に対する、主イエスの厳しい批判があるのです。人々は主イエスを持ち上げていく、主イエスの名は有名になる、このことに対する主イエス御自身の身を引き締めて、いわば退かれる姿がございます。苦境に陥った人間の病いを癒しつつ、神様の支配を実現する主イエスの真の救いの力は、実は主イエスの苦難と十字架の死の中に現れるのであって、奇跡行為者として民衆に担ぎ上げられる彼の英雄的な進展の中にはないということです。ですから、主イエスの厳しい口止め命令の背後には、病いに伏す人間の苦しみとあえぎを担ってくださる十字架の主の苦悩、痛みが隠されており、またそこに、神様の深い憐れみが注がれるのだということです。有頂天になって突き進むような御方ではないということです。
私たちはここに至って、主イエスが十字架の苦しみを覚悟しつつ多くの人々の病いを癒し、神のご支配に与らせることのできるお方であるということを信じて、癒しの恵みをいただき、日々歩んでいきたいと思うのです。それは何か薬をいただいて、ある部分が治るというような問題ではなくて、私たちの生き方が新しくされ、神の御支配にふさわしく生き直すことができることを意味します。それと同時に、私たちはその恵みに与り、癒しの恵みに支えられ押し出されて、癒しと救いを必要とする身近な多くの人々に御言葉を語り、この癒しの恵みを伝えていく人となるような、そういう生き方を伝えていきたいと思うのです。
今日最初に、海外宣教をした宣教師のお話を少し申しましたけれども、こういうことを身をもって実践したある医者宣教師の実話を御紹介したいと思います。東京神学大学では少し前は毎年していましたけれども、最近は2年に1回ほど、アジア伝道旅行をいたします。東京神学大学の中に日本の伝道はもちろんのこと、アジア伝道研究所というのがございます。70年初めにできたのですけれども、アジアの国々から若い、あるいは御高齢の先生方、神学生たちが留学に来て、献身の思いを強め、神学の多くを学ぶ方が毎年現れます。韓国からが最も多いのですが、台湾からも来ます。数年前は上海から学びに来た人がいました。そういうことで、日本人神学生たちも同じくアジア伝道圏に宣教された国々への関心を深めて、半年あるいは一年間、一つの国を定めてその国の歴史や文化やキリスト教を学びます。そして学んだ後、実際にその国に訪ねる研修旅行をもちます。6年ほど前には、台湾の教会を訪ねました。2年に1回ほどですが、フィリピンや中国や韓国や台湾を訪ねます。10名ほどで構成された研修旅行ですけども、6年ほど前には台湾の教会を訪ねました。台湾を一巡りしながら、台中に隣接する町、すなわち台湾のちょうど真ん中あたりの西海岸側の彰化という中都市にやってきました。そこの大きなキリスト教病院で、私たちは次のような貴重なお話を伺うことができました。
19世紀末に、イギリス・スコットランドの長老教会から一人の医者が妻と一緒に医療伝道のために台湾の彰化地方にやってきました。healingとpreachingが重なる医療伝道のためにやってきたこの医師の中国名は蘭(ラン)大衛です。奥様と共に初めて台湾にやって来てキリスト教を伝え、医療活動を住民の間に広げていくために、言葉で表せない苦しい困難なことが一杯ありました。言葉や生活習慣も違いますし、キリスト教のことなどまるで知らない土地の人々との接触における無理解と冷遇がございました。でも、この若いお医者さん夫婦は辛抱強くがんばりまして、少しずつ村人に受け入れられていきました。最初は珍しがられて、しかし次第に親しんでいったのです。それでもなお反対や嫌がらせがありました。それから30年ほど過ぎた1928年のことでした。小さな、しかし一つの確かな転機が訪れました。それは、村人のある有力な家の子の一人の子どもが大やけどをして皮膚がただれ、とても危険な状態に陥りました。さっそくラン医師のいる小さな病院に運ばれました。ラン先生はその子どもの火傷を見て、「これはとてもひどい! もし治療して直るとすれば、誰かの皮膚から移植するしかない。それも一か八かの冒険です。しかしそれ以外の方法ではとても助からない!」と申しました。そう判断したのです。でも、いったいそのために自分の皮膚を提供する人がいるでしょうか。しかも当時、皮膚の移植といのは、冒険的な医療方法でした。しかしそれを聞いて、とっさに、「自分の体の皮膚を是非どうぞ用いてください!」と申し出た人がいました。それは、何とラン先生の奥様だったのです。さすがに夫のラン先生も他の看護婦さんたちもびっくりして、困ってしましました。しかし、彼女は固い意志と口調で、「さあ、早く!」と叫びましたので、やむなくそれを受けて、黙々と手術が速やかに進められました。一か八かの賭けでしたが、手術は見事に成功したのです。このうわさは、直ちに村人の間を駆け巡りました。御存じの方もおられるでしょうが、道教(Taoism)が大変根強いですし、儒教も確かに影響があります。当時の台湾には、中国本土から人々が次々と移住してきたのですけれども、道教や土着の、伝統的宗教は、基本的に現世の目先の幸せを求めるご利益宗教です。信じたら何かそこで利益があると考えるのです。そういう宗教に寄りすがっていた人々にとって、自分の幸せではなくて、他人の幸せと命のために自分を犠牲にするという行動は考えられませんでした。ですから、この驚くべき愛の生き方を初めて目の当たりにしたのです。単に皮膚を移植するかしないかという問題ではないのです。その背後にある考え方や生き方が自分たちの発想とはまるで違う。しかし彼女の驚くべき犠牲的な行為を通して、その息子さんは助かったのです。つまり、ご利益的な生き方を乗り越えていくまったく別の生き方がある、そういう世界があることに、村人たちは初めて気付くわけですね。彼女の行動は衝撃的な感動を与え、村人たちの生き方や考え方、その心をまったく変えてしまいました。彼らは、どこにそういう愛の源、あるいは犠牲の秘密があるのかを知ったのです。ラン先生夫妻が身をもって証したイエス・キリストの福音がそれであることを、村人たちは知ったのです。ここには、癒しと福音伝道との見事な一致があります。この病院は、今は12?3階建ての大変大きな病院になっています。医者だけでなくて、牧会カウンセリングする牧者たちも数人います。
私たちのほとんどは、もちろん医者でもありませんし看護婦でもありませんし、またあのラン先生夫妻のような立派な愛の業を行うこともできませんが、私たちを病の床から立ち上がらせた主イエスに働くみに生かされて、私たちもまた小さな癒しと介護と、また福音を宣べ伝える証し人となることが許されているのではないでしょうか。そのことのために、神様は甦りのキリストの霊を私たちに与えて、導いて下さっていることを信じて、歩んでいきたいと思います
アーメン

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