2006/06/21

06/06/18 福音を恥としない T

福音を恥としない
2006/6/18
ローマの信徒への手紙1:16_17
 村上ファンドの村上代表がライブドアの堀江社長、ホリエモンに続いて逮捕されました。金融緩和の流れの中で、株を武器に一時代を築き上げた二人の逮捕で、兜町も落ち着きを取り戻したかに見えましたが、余震はまだまだ続くようです。二人は金融緩和の流れの中に咲いたあだ花かも知れませんが、日本の金融取引の未熟な点を鋭く突き、あぶく銭を手に入れた手法は鮮やかでした。外資が未成熟な日本の市場を食い荒らす前に、株式市場、経営者に警告を与えた点に彼らの歴史的使命があったのかも知れません。戦後の焼け跡の中にできた闇市で財産を築き上げ、一流企業のオーナー社長となった人たちと大差はないと思えます。
 村上代表の登場は銀行や系列企業で株を持ち合い、サラリーマン社長が絶対的権限を奮っていた日本の会社制度に一石を投じました。村上代表の登場以前は、日本の経営者の視線は株主の方を向いていませんでした。彼らは株主でもないのに会社を自らの所有物のように錯覚していたのです。そこに村上代表が株主の権利を主張して登場したのです。彼は会社の資産に対し株価が相対的に安い企業の株を買い占め、物言う株主として、会社に株主に対して利益を還元するように迫りました。企業は株主対策として特別配当などをせざるを得なくなり、株価が上昇し、買い占めた株を高値で売却した村上ファンドが膨大な利益を得ました。
 村上代表が出現する前の日本の企業は、株主を単なる投資家ぐらいにしか認識していませんでした。株主総会に2?3時間もかかればニュースになるぐらい、株主の権利は無視されてきました。バブル崩壊で銀行が不良債権を積み上げ、優良企業の株さえ手放さざるを得なくなったので、一般株主の発言権が相対的に増してきました。株価は低迷を続け、会社の資産と株価とが釣り合わない企業が出てきましたが、そこに目をつけたのが村上代表です。彼は経済産業省でM&A、企業の合併・買収に関する法律を作成した官僚でしたが、官僚の世界に見切りをつけ、村上ファンドを旗揚げしました。逼塞感の漂っていた経済界には村上代表に期待する人たちも多かったようです。福井日銀総裁も、当時は民間人でしたが、彼に期待した一人でした。彼を支持した財界人も少なくありませんでした。村上代表のファンドを立ち上げた当時の理念を評価する人は多いのですが、インサイダー取引で利益を上げるようになってはただの総会屋と変わりはありません。
 村上代表はホリエモンを利用してライブドアのフジテレビの乗っ取り騒動に紛れて膨大な利益を上げました。主役はホリエモンでしたが、脚本、演出は村上代表のようであったようです。この二人に代表されるような新しいビジネスが日本でも起きてきました。世論を巻き込み株価を左右する手法は、個人投資家を増やし、デイトレーダー、一日に何回も株取引をする人を増やしました。インターネット取引も気軽にできるようになり、学生でも億万長者になれる世界を創り出しましたが、ハイリスク、ハイリターンの世界に日本人は馴染めないようです。金融の世界では日本は後進国で、彼らの登場が良い刺激になればよいと思えます。
 パウロは、フィリピで投獄され、テサロニケから追い出され、ベレヤから密かに連れ出され、アテネで嘲笑されたことがありました。コリントでも彼の宣べ伝える福音は『ギリシア人には愚かであり、ユダヤ人には躓き』でありました。理性的なギリシア人には死者の蘇り、復活はバーバロイ、野蛮人の迷信のように思えました。ユダヤ人のファリサイ派は復活を信じ、サドカイ派は信じていませんでしたが、いずれもナザレのイエスを救い主メシアとは認めず、パウロを『主の名を汚す者』、異端者として迫害しました。パウロはギリシア人からもユダヤ人からも理解されず、孤軍奮闘していました。その様な中で彼は各地に教会を建ててきましたが、教会にも様々な問題が起きてきました。主の福音と現実の世界、教会の姿はあまりにも懸け離れていましたが、それでもパウロは『私は福音を恥としない』と宣言しているのです。『福音は信じる者総てに救いをもたらす神の力だからです』とパウロは声を高くして、主の福音を証しし続けているのです。
 パウロがローマの信徒、ギリシア人に宣べ伝えようとする『救い』はギリシア哲学がかつての生命力を失い、ギリシア人が哲学に変わる救いを模索していたのに答えるものでした。ギリシア人は哲学的思考に優れ、この世界を構成させている唯一の基本的要素は何であるか、と言う問題について議論してきましたが、暴君や征服者が現れ、政治的・社会的な危機に陥り、社会が活力を失ってきました。パウロの時代の哲学者セネカは我々が必要としているのは「我々をすくい上げるために下ろされた手」であると述べています。ギリシア哲学はギリシア人を救いうる力を既に失い、ギリシア人は救いをもたらす手を待ち望んでいたのです。
 『神の義』、神様が罪人である人間を義とされるのは、人間に義とされる理由があるわけでもなく、神様が罪人を善人としてくださるわけでもありません。ただ神様が神様からの一方的な恵みとして、罪人をあたかも罪人でないかのごとく取り扱ってくださるだけなのです。『義とされる』ことは、神様との新しい関係、神様と愛と信頼の絆で結ばれ、神様との新しい交わりの中に入れられることを意味します。神様と人間とは全く異なる存在なのです。『神は神であり、人は人である』のです。例えば人間が律法にいかに忠実であったとしても、それは人間の問題であり、神様の与り知らぬことなのです。神様が人間を義とされるのは、人間が総てを神様に委ね、自分自身を神様の愛と恵みとに投げ出したからなのです。
 『信仰』は福音の真理に耳を傾けようとする時に既に始まっているのです。福音の真理はイエス様の甦り、復活の事実を信じることから始まります。ギリシア人にとって復活の事実は大きな躓きでした。彼らの合理的な思考では理解できない事実を認めることを求められたからです。彼らに神様が啓示する、神様ご自身が人間の力を越えて働かれ、それを知らしめられたのです。神様の救いの御業は、神様の人間を救うとなされた決意から始まり、神様を総てを賭けて信頼し続ける人間の信仰によって実現されるのです。パウロは旧約聖書から『正しい者は信仰によって生きる』を引用しています。正しい者は旧約聖書の世界では律法を厳格に守る者を意味していましたが、パウロは新約聖書の時代に相応しく、神の義に生きる人を神様の愛と恵みに総てを委ね切って生きている人の意味で用いています。神様の前で正しい、聖い、は神様との関係を抜きにしては語れないからです。
 パウロは『福音を恥としない』と信仰を証ししています。ギリシアは哲学、ローマは法学、ユダヤは神学の国だと言われますが、ローマ帝国はローマ法により治められていた法治国家でした。パウロの時代にはキリスト教はユダヤ教ナザレ派として公認されていましたが、ローマ法で守られているから、教会が守られ、福音宣教が前進したわけではありません。パウロをユダヤ人からの迫害からローマの官憲がしばしば守ってくれましたが、それは治安を維持するために執られた行動に過ぎません。福音はそれを宣べ伝える者の個人的なカリスマ、賜物に負うところが少なくありませんでした。一言で言えば、『あの人のようになりたい』と思わせなければ福音伝道は進みません。福音伝道が前進したのは、福音伝道に励む働き人がいたからなのです。『法を犯さない』と『福音を恥じない』との間には質的な差があるのです。法がまだ整備されていない古代の人にとって、『恥ずかしい』行いか、『恥ずかしくない』行いかが、法よりも重要な判断の基準でした。例えばローマ法に反してはいなくても、恥ずかしい行いをすれば村八分にされたでしょう。ローマは多神教、多文化、多民族国家ですから、ローマ法はアメリカ合衆国憲法のようなものであり、各民族、各国家にはそれぞれの法律、慣習が認められていました。ギリシアの都市国家には都市国家なりの法や慣習があり、ユダヤには律法や慣習がありましたが、パウロは福音はそれらを越える真理であることを確信していたからです。パウロは福音を信じ、それを宣べ伝えることは、自らの良心に省みて、何ら恥ずかしいことはないと証ししているのです。
 福音はユダヤ人には異端であり、ギリシア人には野蛮人の土俗信仰でした。福音を証しすることは、人々から迫害を受け、軽蔑されることを意味していましたが、パウロは『福音を恥としない』と宣言したのです。教会は周囲の人たちから胡散臭い人たちの集まりと思われていたに違いありません。『死者の甦りを信じる狂信者の集団』として、周囲の人たちが眉をひそめる存在であったかも知れません。少なくとも『死者の甦り』はローマ世界で生活している人たちにとっては荒唐無稽な主張でした。福音を証しし続ければし続けるほど、狂信者の烙印を押されたのです。多神教世界ですから野蛮人の信じる神様がいても差し障りがないのですが、多くの人たちは腹の中で教会をあざ笑っていただろうと思います。
 教会は法的には認められていましたが、社会からは無理解の壁で隔てられていました。福音を信じる一握りの信徒が教会を支え続けてきました。この時代にはまだ独立した教会堂はなく、信徒の家庭で家庭礼拝を守っていただけです。毎週おかしな集まりをしている家として、周囲の人たちからは敬遠されていただろうと思います。社会から閉ざされた信徒たちだけの世界で信仰を守り続けるだけでは伝道ができないのです。ユダヤ教はユダヤ人だけの宗教ですから、伝道を全く考えていません。彼らはローマ世界に進出しても、会堂を中心にしたユダヤ人だけの社会を造り、彼らだけで生活していればよかったのですが、キリスト教徒の使命は福音伝道にあるので、社会から孤立して生活することは許されなかったのです。周囲の人たちと交わりを持ち、信仰を証しできるような生活をしなくてはならなかったのです。社会生活の中で、『あの人のようになりたい』と思われるところから伝道は始まるのです。伝道の基本は証しの生活にあるからです。
 伝道の基本は証しの生活にあると思います。神学は学問であり、信仰の世界とは違います。信仰を伝えていくのは個人のカリスマ、賜物であると思えます。特に初代教会では神学は学問として成立していませんでした。パウロの伝道の対象の異邦人には、聖書に関する知識はありませんでした。多神教の世界に生きてきた彼らには一神教、唯一の神、主は理解できない概念でした。彼らを折伏、論理で屈服させても意味はありません。生きている世界が違うからです。多神教の世界から一神教の世界に導くのは、『あの人のようになりたい』と思わせることしかありません。心の世界は論理で屈服さても、必ず怨念が残ります。心の世界はその人固有の世界であり、第三者が力で介入してはいけない領域だからです。
 伝道は心の奥底に働きかけなくてはならないのです。氷のような頑なな心が少しずつ溶けてくるのを待ち続けなくてはならないのです。力を加えれば心が砕け散ってしまうからです。主の愛と恵みが凍り付いた心を溶かすのを時間をかけて見守る忍耐が必要です。傷口を覆うのは医者ですが、癒すのは主だからです。
 私たちは、例えば教会で三位一体の教理を教わり、教会生活の中で身につけていきますが、初代教会の信徒は三位一体の教理を知りませんでした。教理は教会の歴史の中で形作られてきたものです。初代教会の人たちの信仰は素朴なもので『イエスは主である』、「ナザレのイエスが救い主である」と告白していました。
 信仰の世界は、このような素朴なものではないかと思えます。聖書を何遍も読破し、神学書を読みあさっても信仰が生まれるものではありません。信仰は心の奥深くに神様が直接語りかけて下さる時に生まれるのです。知識が信仰を生むのではありません。私たちは子供の頃から知識を身に付ける訓練を受けてきました。知識さえ身につければ、この世のことを総て理解できるかのごとく錯覚させられてきたのです。さらに、現代科学が総てを解決してくれると思いこまされてきたのですが、21世紀にはそれが思いこみであることがを明らかになるでしょう。
 現代科学では説明できない世界があるのです。信仰の世界はその最たるものです。19?20世紀にかけて理神論が力を持ちました。現代科学が急速に進歩したので、神の世界も理性で理解できるかのように錯覚したのです。人間の知性が有限なることを認識できなかったのです。有限な知性で無限な神の世界を知ろうとするのは無謀だと思えますが、日本人の多くは知性が有限であることを自覚していません。子供の頃からの知性偏重教育が理性を育むことをしなかったからです。
 初代教会の信徒たちは、素朴に主を信じました。教会の歴史の中では異端との闘いは激しいものでしたが、異端狩り信徒たちとは別の世界での出来事ではなかったでしょうか。主を信じる者同士の連帯は何物にも勝るものであったに違いありません。週の始めに、先ず主を賛美し、御言葉に耳を傾け、祈りを会わせ、聖餐の食事に与ることが信徒の生活の中心でした。彼らはこの世の富や名誉を求めませんでした。名もない信徒として主のために一生を捧げ尽くすのが願いでした。
 私たちも、名もない信徒として主のために一生を捧げ尽くしましょう。私たちが見つめるのは主の御姿だけにするべきです。この世にある教会は様々な矛盾を抱えているからです。人間を見たら躓きます。人間に人間の希望を重ねてはならないのです。主のみが私たちの負っている重荷を共に担って下さるからです。