06/08/20 自分自身が律法である T
自分自身が律法である
2006/08/20
ローマの信徒への手紙2:12_16
小泉首相が終戦記念日に靖国神社を参拝しました。去年は普通の日に一般参拝者に交じり参拝しました。私服で参拝し、ポケットから取り出した500円玉を賽銭箱に投げ込み、黙礼をしただけでした。記帳もしませんでした。このスタイルならば私的参拝の要件に適い、政教分離を定めた憲法に違反していないと感じました。小泉首相の主張する心の問題との整合性も取れていると思えました。
しかし、今年の参拝はモーニングを着用し、拝殿に上り、内閣総理大臣小泉純一郎と記帳しました。常識的に考えれば、政教分離を定めた憲法に反していると見なされます。私人、小泉純一郎の信教の自由、良心の自由よりも、公人、内閣総理大臣小泉純一郎に求められる政教分離の方が法律として優先されます。
靖国神社は戊辰戦争、西南戦争などの国内戦争では天皇側、政府軍の戦死者のみを祀っています。それ以後の国外における戦争でも日本軍の戦死者のみを祀り、民間人の死者は祀られていません。天皇の軍隊のためにのみ存在する神社です。
招魂社、後の靖国(国を安らかにする)神社は明治天皇の勅令で建てられた神社です。内務省ではなく軍部が管理していました。「靖国の英霊となる」、「靖国で遭おう」といって若者は死んでいきました。軍人製造器の役割を果たしました。
A級戦犯合祀が社会問題化されていますが、小泉首相は明確にA級戦犯の戦争責任を認めています。A級戦犯に戦争責任があると思いますが、天皇の戦争責任が問われていない点、官僚、参謀の戦争責任が問われていない点で不十分です。
日本では国家として先の戦争、アジア・太平洋戦争の総括がなされていません。戦争責任が明確なナチス・ドイツと日本を同一線上で裁こうとした東京裁判には無理がありました。アメリカの政治的意図、世論対策を優先にしたからです。
日本には明確な国家的意図、戦略がありませんでした。泥縄的にアメリカに戦争を挑んでしまいました。八紘一宇、大東亜共栄圏、鬼畜米英などのスローガンはありましたが、聖戦意識のみで国家戦略を立てうる指導者がいませんでした。
軍人は「現人神」、「皇国不滅」、「神風が吹く」ことを信じていたのかも知れませんが、信じられない非合理的な作戦を各地で遂行し、自滅しました。靖国の英霊の過半数が戦死ではなく、餓死であると主張する人も少なくありません。
自衛戦争、アジア解放戦争と先の戦争を美化する人もいますが、数千万人を越す被害者を出した民族解放戦争とは何なんでしょうか。相手国に頼まれもせずに進駐し、植民地化し、搾取の限りを尽くしたのが大日本帝国の真の姿です。
私たちは個人が靖国神社を参拝するのに反対しているのではありません。公人の間、靖国神社を参拝するのを控えるように求めているだけです。マスコミの過剰な反応が靖国問題に対する冷静な議論を妨げ、問題を複雑化しているのです。
靖国神社は憲法、信教の自由で保障されている宗教法人です。政治がA級戦犯の分祀を求めるのは政教分離に反します。各県にある護国神社のように、いつの間にか靖国神社が国民から忘れ去られるようにするのが賢明な措置でしょう。 パウロはユダヤ人とギリシア人とを律法のある、なしで二分しています。ユダヤ人であるパウロには律法が有罪か無罪かの基準ですが、律法を知らないギリシア人でも律法に違反すれば罪に定められると主張しているのです。一方、律法が支配する世界で生きているユダヤ人は当然律法によって裁かれます。いずれにしろ、終わりの日に滅びの道に至るとパウロは警告しているのです。
律法が与えられているユダヤ人ですが、律法を守らなければ神の前で正しい者とされることはなく、律法を実行して初めて神の前で義とされるからです。
パウロはユダヤ人の特別に選ばれた民、選民としての意識に対して警告を発しています。ユダヤ人は唯一の主ヤーウェとの契約、「唯一の主を主とする、主の民として律法を守る」があるユダヤ人と、契約のない民、異邦人とを明確に区別しました。彼らは総ての人間をこの二種のどちらかに区分したのですが、パウロから見れば律法のある、なしに関わりなく罪を犯した者は総て裁かれるのです。
例えば、律法を持たない異邦人でも律法の命じることを自然に行えば、『自分自身が律法である』とパウロは主張したのです。聖書にはアダムとエバが『善悪を知る木になっている果実を食べた』時から人は善悪を知るようになったと述べられていますが、律法の求めるのは『心』、『良心』、『心の思い』であるとパウロは纏めています。ヘレニズム世界の哲学では普通に通用していた概念でした。
パウロはギリシア人、異邦人であるローマの信徒に対し、ユダヤ人の世界、律法が支配する世界の常識を持ち込むことを強く避けています。異邦人教会には本山であるユダヤ人教会に対する憧れのようなものがあったかも知れません。あるいはユダヤ人や律法に対し一種のコンプレックスがあったかも知れませんが、パウロはユダヤ人も異邦人も主の前では同じであることを強調しているのです。
異邦人伝道者であるパウロはユダヤ人を特別視することはなく、異邦人も含めて同じ人間として一括りに考えていました。例えば、律法という基準がなくても人間は自由と自覚により自分の行動を律することができると考えたからです。ユダヤ人以外、つまり異邦人にも彼らなりの行動規範があるからです。さらに、パウロには人間の心の内に働かれる生ける主に対する深い信頼があったからです。
パウロはユダヤ人は神から律法を与えられ、何が罪に当たるのかを予め知らされた者として裁かれ、異邦人は生まれながらの良心による規範が与えられた者として裁かれることを明らかにしました。最後の裁きは主イエス・キリストが再臨なされる終わりの日に明らかにされるであろうとパウロは預言しています。
パウロはユダヤ人としての特権、神の救いの歴史における特別な位置を全く否定しているのではありません。ユダヤ人には神の言葉が委ねられきたからです。ユダヤ人は神の民として神の言葉、旧約聖書を代々守り抜いてきました。救い主イエス・キリストがこの世に遣わされることを預言したのも聖書だからです。
しかし、パウロはユダヤ人の思い上がりを認めることはできませんでした。律法のある、なしではなく、行いによって裁かれるという視点は異邦人教会の原点です。エルサレム使徒会議で律法、割礼からの自由を主張する異邦人教会と律法、割礼を遵守するユダヤ人教会との間に和解が成立しましたが、両者の間には意識の差がありました。それを乗り越えるためにも同じ基準が必要とされたのです。
パウロの『自分自身が律法である』という主張は人間には生まれながらに行動規範が備わっていることを信じる彼の信念から来ています。ギリシア語とヘブライ語とのバイリンガル、両方の言語を使いこなすパウロには馴染みの概念でした。ギリシア哲学、ストア派では人間には生まれながらに固有の、本能的な知識が植え付けられていると考えられていました。ギリシア世界では常識的な概念でした。アリストテレスは「教養と自主性のある者は、自分自身を律法として自分の思うとおりに振る舞う」と語りました。ヘレニズム世界の中で育ったパウロにとっては目新しい考え方ではありませんでした。ローマの異邦人教会、少なくともギリシア語が理解できる人たちにとっても普通に受け入れることができる概念です。一方、ローマ人化したユダヤ人キリスト者にも理解できる概念であったでしょう。
ソクラテスは「悪法も法なり」といって毒杯を飲み干しましたが、ギリシア人は法律よりも哲学的思考を好む民族でした。法学的な思考はローマ人が得意とするところでした。ローマ帝国はローマ法で治められていた法治国家です。ユダヤの律法は宗教的なタブーを含む規範でしたが、ローマ法は実用的な規範、法律でした。ローマ帝国で生活するすべての人々に通用した点で画期的な法律でした。
イエス様は『天地が消え失せるまでは律法の一点に一画も消え去ることはない』と言われましたが、『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ』とも言われました。イエス様は律法を形式的に守ることに専念し、『正義、慈悲、誠実』をないがしろにしている指導者を非難なされたのです。律法は安息日など宗教的なものを除けば、日常生活を送るための普遍的な戒めでした。
パウロはギリシア哲学、ローマ法、律法に共通する行動規範は人間が生まれつき備えているものであると主張しているのです。人間が人間であるために守るべき規範は『心』、『良心』、『心の思い』に記されていると主張しているのです。
十戒にある『あなたの父母を敬え』、『殺してはならない』、『姦淫してはならない』、『盗んではならない』、『隣人に関して偽証してはならない』、『隣人の家を欲してはならない』は民族が違い、文化が違っても変わらない行動規範です。人間が社会生活を営むときに守らなくてはならない普遍的な行動規範なのです。
ローマの信徒へ宛てた手紙ですので福音に生きることを前提として書かれていますが、ユダヤ人以外、言葉を換えれば律法を持たない異邦人に対して、『自分自身が律法である』ことをパウロは明らかにしました。異邦人のユダヤ人に対する律法コンプレックスを解消し、律法からの自由を理論的に立証したのです。地中海世界全域を歩き回ったパウロの実体験が言わしめた言葉でしょう。
パウロの伝道旅行の先々でパウロを迫害したのはユダヤ人同胞で、ローマ当局はむしろパウロを保護しました。パウロはパレスチナから小アジア半島、ギリシアに至るヘレニズム文化圏で様々な人たちと出会いました。パウロは民族、文化の違う人たちの間で伝道をしました。ギリシア人とも激しく論争をしました。
『自分自身が律法である』はパウロの実体験に裏打ちされた結論です。机上の空論ではありません。オリンポスの神々や様々な地方の神々を信じる人たちとの生活の中から形成されてきたパウロの信念です。多神教世界に生きる人間に対する無限の信頼感が、パウロの世界伝道旅行に対する執念を支えたと思われます。
パウロの律法のある、なしに拘わらず人間は行いによって裁かれるという主張は異邦人教会の信徒を律法コンプレックスから解放しました。人間にとって何が大切かを示したのです。パウロが「『心』、『良心』、『心の思い』として表現した人間固有の規範が誰にでも備わっている」、『自分自身が律法である』という主張は律法と割礼からの自由を唱える異邦人教会の理論的な主柱となりました。
教会はローマ法を基礎として教会法を造り上げてきました。16世紀の宗教革命、17世紀のピューリタン、清教徒による清教徒革命、名誉革命、18世紀のアメリカ独立宣言、フランス革命、世界人権宣言、が基本的人権を市民の権利として認めさせてきました。創世記の『神はご自分にかたどって人を創造された』から「何人も人として尊重されなければならない」権利が認められてきたのです
伊藤博文が欧米諸国を視察し、プロシアを参考にし、立憲君主制を日本に導入しました。大日本帝国憲法が明治22年(1889)に発布され、日本は立憲君主国になりました。基本的人権の概念も導入され、法律の範囲内でしたが認められました。明治政府のキリシタン弾圧は欧米の圧力により撤回させられましたが、信教の自由は国家の安寧秩序、臣民の義務を妨げない範囲で認められただけです。
戦時中の教会は天皇制を宗教を越えた概念とし、偶像礼拝とは見なさなかったようです。宮城を遙拝し、靖国神社を参拝することにも矛盾を感じなかったようです。基本的人権も特高警察、憲兵により著しく束縛されましたが、欧米の革命の血で贖われた人権と日本の与えられた人権とは異なる展開を見せました。
先の大戦に負け、アメリカ軍が進駐してきました。日本国憲法はGHQに与えられた憲法ですが、基本的人権が侵すことのできない永久の権利として認められています。信教の自由、思想、良心の自由も明記されています。基本的人権が無条件で認められたのです。戦争で亡くなられた人たちの血で贖われた憲法です。
基本的人権、特に信教の自由は教会の生命線です。戦時中、安芸でも森派が弾圧され、殉教者を出しました。かつてのソ連、現在の中国でも教会は迫害を受けています。基本的人権は一度失うと革命でも起きない限り取り戻すことはできません。教会は人権を守るためにいつも目覚めていなければならないのです。
教会は政治団体ではありませんが、信仰の闘いを放棄してはならないのです。私たちの闘いは地道に教会生活を続けていくことに尽きます。社会を支え続けるのは市民の日常生活だからです。ビラを撒いたり、デモをするだけが闘いではないのです。何があろうとも教会に通い続ける信徒の集団が教会の歴史を造り上げてきたのです。中世の暗黒時代も含め、教会に連なり続けた人の波が歴史を造り上げてきたのです。生ける主の福音が時代を超え、空間を越えて働いたのです。
私たちの教会も2000年に渡る教会の歴史の上に、多くの先達の血と汗の上に立っているのですから、私たちも主の福音を広げ、次の世代に残さなくてはならないのです。私たちの生活の基盤である人権も福音がもたらしたものだからです。
日本では教会生活と社会生活とは一致しない場合が多くありますが、社会生活を営む中で信仰を守り抜くことが大切なのです。良き市民であることが伝道の要なのです。「あの人のようなりたい」と思われるのが伝道の第一歩です。信仰生活の目標は敬虔なクリスチャンであり良き市民であることに尽きるのです。
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