07/07/01 神が証人となられる M
2007年7月1日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
神が証人となられる ミカ書1章2-9節
讃美歌 81,Ⅱ71.358
堀眞知子牧師
今日から、ミカ書を通して御言葉を聞きます。1節に「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである」と記されています。6節でサマリアの滅亡を預言していること、またエレミヤ書26章に「モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る丘となる』と」と3章12節の御言葉が引用されていることなどから考えて、ミカはヨタム王の最後の年である紀元前730年頃から、ヒゼキヤ王の最後の年である紀元前699年まで、約30年間にわたって、南ユダにおいて預言者活動を行いました。時代も国も、イザヤと重なっています。彼はモレシェトの出身でした。モレシェトは14節に記されているように、正確にはモレシェト・ガトといい、エルサレムの南西約30キロに位置する町です。モレシェト・ガトとは「ガトの所有」という意味で、その言葉が表すように、ペリシテ人の最盛期には、彼らの5大都市の一つであるガトに属していました。また北イスラエルは紀元前722年にアッシリアに滅ぼされますが、その10年後、アッシリアはガトと同じ、ペリシテ5大都市の一つであるアシュドドを占領しました。さらに10年後、アッシリアは南ユダに侵入してラキシュに陣を敷きますが、モレシェト・ガトはラキシュの北東10キロに位置するために、アッシリア軍の進路となりました。このように外国の侵略を受けやすい町の出身であり、アッシリアがカナン地方に侵略してくる時代に預言者として召されたミカは、神の民イスラエルの信仰的堕落がもたらす倫理的・政治的堕落に対する、神様の刑罰について語らざるを得ませんでした。けれども裁きと同時に、ミカは神様の祝福と約束も語っています。
1章2節~2章11節には、南ユダと北イスラエルに対する、神様の審判が語られています。ミカは南ユダの人間でしたが、預言者として召された時には、まだ存在していた北イスラエルに対しても、同じ神の民イスラエルとして神様の裁きを語っています。2節は原文では「聞け」という言葉から始まっています。神様は御自分の語ることを、注意して聞くように命じられます。神様は「諸国の民よ、皆聞け。大地とそれを満たすもの、耳を傾けよ。主なる神はお前たちに対する証人となられる。主は、その聖なる神殿から来られる」これは法廷を意識している言葉です。審判者である神様が、注意して御自分の言葉を聞くように、耳を傾けるように命じられます。バビロン捕囚前ですが、ミカは主なる神様がイスラエルを超えて、諸国民を、全地を御支配されていることを示されていました。神様がサマリア(北イスラエル)とエルサレム(南ユダ)の罪を諸国に向かって、全地に向かって、証人として告発し、証言するために、天の御座から来られます。神様は裁判官であると同時に証人であり、さらに検察官として罪を指摘されます。御自身の民を裁くために来られます。神様が天の御座から降り、地の高い山々の頂を御自分の足台として立たれます。神様が地上に来られることにより山々でさえ、火の前の蝋のように、斜面を流れ下る水のように、神様の足もとに溶け去り、平地も裂けます。大自然をも支配され、地震や竜巻や大洪水や津波を起こさせる神様の御力が現されます。「動かざること山のごとし」とされている山々でさえ、このように崩れ去っていくのなら、人間は神様の前で、いかなる裁きを受けるのでしょうか。
神様は、まず北イスラエルの罪を告発します。「これらすべてのことは、ヤコブの罪のゆえに、イスラエルの咎のゆえに起こる。ヤコブの罪とは何か、サマリアではないか」と。ミカは南ユダの預言者として召されましたが、まず北イスラエルの罪と裁きを語ります。サマリア陥落まで10年もありません。ホセアの預言者活動の最後とミカの預言者活動の最初は、5年くらい重なっています。ホセアが4半世紀にわたって、彼の私生活をも通して、神様の愛と裁きを警告し続けてきたにもかかわらず、北イスラエルは最初の王ヤロブアムの罪から離れることができませんでした。金の子牛を神として礼拝し、聖なる高台に神殿を設けたヤロブアムの罪は、やがてバアルを始めとする、異教の神々を礼拝する罪を招きました。南ユダも北イスラエルの影響を受けていました。ヨタムは神様の目にかなう正しいことを行いましたが、聖なる高台を取り除くことはしませんでした。さらにアハズは、北イスラエルの王達の道を歩みました。聖なる高台、丘の上などでいけにえをささげ、自分の子に火の中を通らせることさえしました。「ユダの聖なる高台とは何か、エルサレムではないか」という告発の言葉は、エルサレムで偶像礼拝の罪が行われていたことを示しています。
北イスラエルの罪を告発した後、神様は裁きを宣告されます。「私はサマリアを野原の瓦礫の山とし、ぶどうを植える所とする。その石垣を谷へ投げ落とし、その土台をむき出しにする。サマリアの彫像はすべて砕かれ、淫行の報酬はすべて火で焼かれる。私はその偶像をすべて粉砕する」北イスラエルに対する刑罰は、サマリアの崩壊です。首都であった町が瓦礫の山となります。サマリアは丘の上に、オムリが築いた町です。要害の町であり、美しい町でした。けれども、町を囲んでいた城壁は谷に向かって崩れ落ち、王宮を始めとする建物も破壊され、土台がむき出しにされるほど徹底的に破壊されます。北イスラエルの罪の基となった彫像、異教の神々にまとわりつく性的不品行、経済的繁栄、それらすべてが失われます。北イスラエルの首都であった、美しい町は消え失せ、次の世代は、荒れ果てた丘の斜面にぶどうを植えるようになります。このような厳しい神様の裁きに対して、神様御自身が「私は悲しみの声をあげ、泣き叫び、裸、はだしで歩き回り、山犬のように悲しみの声をあげ、駝鳥のように嘆く」と悲しみの深さを語ります。天地万物を創造され、すべてを御支配のもとに置かれ、正義と御自身の契約を重んじ、背信の罪に対しては証人として、検察官として、裁判官として臨まれる神様ですが、同時に御自身の契約ゆえに、愛と憐れみに満ちた御方です。御自分に背かれるイスラエルをなおも愛しながら、刑罰を降さざるを得ない神様の嘆きの声です。さらに北イスラエルの滅亡だけではなく、同じようなことが南ユダにまで及び、エルサレムにまで達することへの悲しみです。「裸、はだしで歩き回」るというのは、エルサレムの滅亡の日を表しています。また山犬や駝鳥は、物悲しい声で長く鳴き続けると考えられていました。人間の罪に対する神様の裁きの宣告、刑罰の執行の裏に、愛と憐れみに基づく、神様の深い悲しみと嘆きがありました。
南ユダに対する裁きが10~16節に、ミカの出身地であるモレシェト・ガトの周辺にあると思われる、町々の名前を挙げながら語られていきます。ただし、ここに挙げられている地名は、エルサレム南西に位置すると考えられますが、その場所が良く分からない町もあります。また日本語では良く分かりませんが、ヘブライ語原文では語源を同じくするもの、あるいはよく似た言葉が使われ、語呂合わせのようになっています。「ガトで告げるな『決して泣くな』と」先にも述べましたように、ガトはペリシテの5大都市ですが、ユダに最も近い町でした。もし、ユダの人々が外国に侵略されて嘆き悲しんでいたら、その危機に乗じてガトがユダを攻めてきます。ですからガトで泣き悲しんではいけないのです。「ベト・レアフラで塵に転がるがよい」ベト・レアフラは、ヘブライ語で「塵の家」を意味しています。また塵の上で転び回ることは、悲しみを表しています。大きな悲しみと嘆きをもたらす裁きが下されようとしています。
「シャフィルの住民よ、立ち去れ。ツァアナンの住民は、裸で恥じて出て行ったではないか」出て行くという言葉は、ヘブライ語で「ヤーツァー」といい、ツァアナンと似た発音です。シャフィルの住民は追われて立ち去り、ツァアナンの住民は捕らわれの身となって出て行きます。「ベト・エツェルにも悲しみの声が起こり、その支えはお前たちから奪われた」ベト・エツェルは、ヘブライ語で「傍らの家」を意味しています。国境に近い要害の町であったようですが、死の嘆きに覆われていて、他の町の助けにはなりません。「マロトの住民は幸いを待っていたが、災いが主からエルサレムの門に降された」マロトは、ヘブライ語で「苦い、悩む、苦しむ」を意味する「マラ」を語源としています。出エジプト記15章に記されていた「マラの苦い水」と同じです。平和を意味するエルサレムの門にさえ、災いが神様から降されるのですから、苦しみを意味するマロトに幸いが訪れることはありません。
「ラキシュの住民よ、戦車に早馬をつなげ。ラキシュは娘シオンの罪の初めである。お前の中にイスラエルの背きが見いだされる」先に述べましたように、ラキシュはアッシリアが南ユダに侵入する時、陣を敷くことになる町です。ミカは「ラキシュは娘シオンの罪の初めである。お前の中にイスラエルの背きが見いだされる」と語っています。今から40年ほど前に、ラキシュの町の発掘調査が行われた時、紀元前10世紀頃、ちょうどソロモン王、あるいは南北に分裂した頃ですが、その頃に建てられたと考えられる、エルサレム神殿によく似た遺跡が見つかったそうです。しかも、その神殿遺跡の中から、異教の礼拝、おそらくエジプトの影響を受けたと考えられる礼拝に用いた品々が見つかったそうです。北イスラエルだけではなく、エジプトからも異教の神々が、南ユダに持ち込まれていました。ラキシュの神殿から、エルサレム神殿へと罪が広がっていったのです。ミカは、このことが南ユダの罪の始まりと受け取っていたと考えられます。
「それゆえ、モレシェト・ガトに離縁を言い渡せ。イスラエルの王たちにとって、アクジブの家々は、水がなくて、人を欺く泉(アクザブ)となった」先にも述べましたように、モレシェト・ガトはミカの出身地です。「離縁を言い渡せ」とは、敵の手に渡す意味です。イスラエルの嗣業地でありながら、一時はペリシテ人の都市ガトの所有となり、さらにアッシリアの攻撃を受けて、彼らが進軍する通り道となった町です。今度はガトの所有ではなく、アッシリアあるいはエジプトの所有となり、モレシェト・アッシリア、モレシェト・エジプトとなるでしょう。アクジブはヨシュア記15章に出てくる町の名前で、ユダ族の嗣業の地です。アクザブは「欺く者、失望させる」という意味です。渇きを癒そうとして、水を求めて川や泉に来ても、そこは涸れていて水がない。そのように、水を求めて来る者を失望させる川や泉は、アクザブと呼ばれています。「マレシャの住民よ、ついに私は、征服者をお前のもとに来させる。イスラエルの栄光はアドラムに去る。お前の喜びであった子らのゆえに、髪の毛をそり落とせ。禿鷹の頭のように大きなはげを造れ、彼らがお前のもとから連れ去られたからだ」マレシャもアドラムもヨシュア記15章に出てくる町の名前で、ユダ族の嗣業の地です。特にアドラムはサムエル記上22章に記されていたように、ダビデがサウルから命を狙われた時、逃れた洞窟がある場所です。そのアドラムとマレシャが、敵の侵略を受けます。髪の毛をそり落とし、禿鷹の頭のように大きなはげを造ることは、悲しみと嘆きの徴です。ミカの預言から約150年後、南ユダは本来、喜びであった子供達、若者達を戦いで失うだけではなく、捕囚によっても失うことになります。
ミカは審判の日が近いことを語りました。彼は神様の裁きとして行われるサマリアの悲劇が、そのままエルサレムに降されると考えていました。実際は150年ほど遅れるのですが、問題は時間ではありません。エルサレムに裁きが近づいているのは、動かしがたい事実です。150年の時間を要したのは、ひとえに神様の愛と憐れみと我慢強さによるものであって、人間の功績ではありません。裁きは人間の罪に対する必然的結果ですが、その時期も神様がお決めになることです。私達キリスト者はもちろん、全人類に最後の審判の日が備えられています。それは主イエス・キリストの再臨の日です。その日がいつなのかは、私達には分かりません。私達が生きているうちなのか、地上の生涯を終えた後、それも何百年、何千年も後のことなのかもしれません。ただ私の思いとしては、今の世界を見るならば、すでに人間の罪が充満しているように感じます。ひとえに神様の愛と憐れみと我慢強さによって、あるいは全世界に主の福音が宣べ伝えられていないから、主の再臨の日が遅れているだけではないか、そのように思うこともあります。
いずれにしても、最後の審判の日が備えられています。その時、私達一人一人が、神様の御前に立たされます。天地万物を創造され、正義と契約を重んじられる神様が、証人として、検察官として、裁判官として臨まれます。私達が、神様によって与えられた地上の人生を、与えられた賜物に従って、どのように歩んできたのか。神様は裁かれると同時に、証人として私達の歩みを語られます。神様が私達の証人となって下さいます。人間の法廷においてなされる裁きには、時として誤りがあります。偽証罪という罪があるように、証人が真実を語るとは限りません。ちなみに日本では、偽証罪に対する刑罰は10年以下の懲役ですが、キリスト教国ではもっと重い刑罰が科せられます。それはキリスト教信仰により、真実を重んじる社会が形成されているからです。それでも証人が、真実を語るとは限りません。あるいは証人が、真実を誤解している時、間違って記憶している時もあります。しかし、神様は間違いのない御方です。私達のすべてを御覧になり、私達が意識していない心の深みさえ御存じです。その神様が最後の審判の日に、私達の証人として法廷に立たれ、裁かれます。不完全で罪深い私達ですが、それでもなお神様に従って歩もうとする信仰を、神様御自身が証言して下さいます。神様が証人となられるのですから、私達には何も恐れるものはありません。ひたすら神様に祈り、導きを求め、私達の信仰生活を整えていただきつつ、終末の日を待ち望みたいと思います。
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