07/08/12 霊が執り成して下さる T
霊が執り成して下さる
2007/08/12
ローマの信徒への手紙8:26~30
広島、長崎が62回目の原爆の日を迎えましたが、世界では核拡散が進んでいます。北朝鮮は核実験をしましたし、イランも核開発を進めています。皮肉にも冷戦時代には米ソによる核管理が厳しく核拡散の可能性は低かったようです。
広島、長崎は核兵器が実戦に使用された最初にして最後のケースであって欲しいのですが、国際的な核の管理体制は綻びを見せ始めています。アメリカの北朝鮮に対する譲歩は核開発がビックビジネスになることを明らかにしました。
不完全な核実験でも国際社会は無制限に譲歩することを世界に宣伝したのですから、北朝鮮、イランに次ぐ国が出てきても可笑しくありません。投資に見合う報酬が桁違いに大きいからです。核管理の未来は不透明になりました。
アメリカは小型核兵器に負けないだけの破壊力がある通常兵器を開発し、実戦でも使用しました。キノコ雲を見たテロリストは核攻撃を受けたと思いこんだようですから、アメリカは都市を破壊するための兵器を所有しているのです。
一方、核兵器がテロリストの手に渡れば彼らは躊躇することなく使用するでしょう。ニューヨーク市からある日突然キノコ雲が上がるかもしれないのです。アメリカはテロ支援国に対して核兵器による報復攻撃をするかもしれません。
広島、長崎の悲劇が繰り返されないためには、国際的な核管理システムが機能しなければならないのです。そのためにも被爆国である日本において核論議を深め、非核三原則、平和憲法を次の世代に引き継がなければならないのです。
アメリカでも原爆が投下されなくても日本は無条件降伏していたと主張する学者も増えてきましたが、大多数のアメリカ人は原爆により100万人の人命を救えたから正しいと信じているようです。日米の感覚の差は歴然としています。
日本が核兵器の開発に成功していたら、躊躇することなく実戦で使用していたはずですから、日本が核兵器開発競争に負けただけに過ぎません。アメリカでは制服組からも反対の声が上がったようですから、倫理観が違うのでしょう。
司令官が新兵器の使用を躊躇すれば軍法会議に掛けられますから、大統領にも原爆以外の選択肢はなかったでしょう。日本は人道の罪、平和の罪により裁かれましたが、東京裁判は敗戦国だけに適用された事後法による裁判でした。
国際法はヨーロッパの限定された局地戦では守られたルールでしたが、全面戦争、テロでは無視されました。アメリカもベトナム戦争、イスラム戦争では国際法を守られません。ボクシングのルールは喧嘩には通用しないからです。
日本はアメリカの核の傘に庇護されてきましたから、軍事力を軽視してきました。乳母日傘の日本人は原爆反対を唱えてさえいれば核廃絶が実現するという錯誤に陥っていますが、日本が国際社会に何ができるかを考えるべきです。
日本は軍事力による国際貢献を求められないためにも平和憲法を歯止めとして活用すべきですが、洋上給油は後方支援ですので許容範囲内だと思います。集団的自衛権には反対です。太平洋戦争も自衛のための戦争であったからです。
パウロは私たちはどう祈るべきかを知りませんと述べていますが、未来を予知できないからですし、何が最善だか分からないからです。私たちは過去から現在、現在から未来へと続く時の流れの中に生きていますが、私たちが自覚できるのは現在だけです。過去の経験の積み重ねから判断して最善と思われる行動を起こすのですが、結果がどうなるかは「神のみぞ知る」としかいえません。
私たちにとって何が最善なのかも分かりません。パウロは私の恵みはあなたに対して十分である。私の力は弱いところに完全にあらわれると証していますが、パウロは艱難の中でこそ生ける主の力が顕されることを知ったからです。パウロの弱さ、マイナスが主の力により強さ、プラスに逆転されたからです。
神と人間との関係は親子に似ています。父親と子供の見る世界は違います。父親は子供がいかに欲しがっても、与えない場合もありますし、嫌がることを無理にさせることもあります。父親には子供に必要なもの、必要なことが分かるからです。躾をされなかった子供はむしろ不幸な人生を歩むといえます。
私たちには真に必要なものも分かりませんし、神の計画も分からないのです。私たちには”霊”自らが言葉に表せない呻きをもって執り成して下さることを信じるしかないのですが、パウロには艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出し、希望は失望に終わることはないという確信がありました。神を愛する者たち、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるからです。
さらにパウロは神は前もって知っておられた者たちを予め定められましたという表現を使っていますが、論理的な表現として理解すべきではありません。むしろ詩的な表現として理解すべきです。”私”が救われたのは神により予め定められていたと理解するのはよいのですが、予定説、「神はある者を選び、ある者を選ばれない」はユダヤの選民思想の焼き直しのように思えるからです。
私たちが救われたのは私たちの側に救われるのに値する功績があったからではありません。救いの御業、主の十字架と復活は神からの一方的な憐れみによるからです。私たちは御子の姿に似た者として復活に与り、永遠の命に至ることが赦されるのです。主は総ての人の罪を贖うために十字架に付かれからです。
主がこの世に来られ、生き、十字架にかかり、甦られたのは神の働きです。このくすしき物語は神が造られたのであり、私たちはそれを受容しただけなのです。神の愛が我々の心を目覚めさせ、罪の自覚を生じさせたから、罪の赦しと救いの体験が起きるのです。成就させたのは私たちではなく、神なのです。
聖書が神が人を知ると語る時は、神がその人に対して目的、計画、構想、課題を持っておられることを意味します。神に知られた私たちが言えるのは「私たちがこれをなしたのではない、神がなされたのである」ということだけです。
人間には二つの道が用意されています。神に向かう道、救いへの道と神から離れる道、滅びへの道です。どちらを選ぶかは自由意志に任されています。イスラエルは神から選ばれた民でしたが、神からの召しを拒否しました。主の福音を拒否し、人生を思いのままに歩み続けるのも自由ですが、キリスト者には「自分は何もしなかった、神が総てをなされた」という深い体験があるのです。神は時の初めから私たちを選び出され、時が至り使命を与えられるのです。
主の選びは時と場所とを選びません。6年前のある日、突然主は私を癒されました。夢の世界が現実とされたのです。私の脳は機能を回復し始めました。主治医からSSRIのルボックスから同じSSRIのパキシルへ変えることを奨められましたが、オレンジジュースの原料がミカンからオレンジに変わえる程度にしか思っていませんでした。毎週2、3回は抗うつ剤の点滴を受けていたのですが、受ける必要がなくなりました。躁になったのかもしれないと思いましたが、主治医はカルテを開き、処方箋に書かれているパキシルを指さしました。
パキシルにより脳の機能が回復されたのを知らされた一瞬でしたが、パキシルが私のように効いた患者は少ないようでした。35年間、鬱病の世界に生きてきたのですから、鬱病の世界で死を迎えると思っていました。それ以外の世界で生きることは想定していませんでしたから、最初は違和感を覚えました。
説教、祈祷会、家庭集会以外の時間は寝たり起きたりでしたから、時間の使い方が分かりませんでした。新聞すら読めなかったのですが、先ずインターネットを使い、朝日、読売、毎日、日経、産経新聞を読み始めました。図書館からは十津川警部、浅見光彦などを借りてくるようになりました。現在は専門書も読みこなせるようになりました。読破した本は1000冊を超えると思います。
去年から原稿用紙3枚分に相当するブログを毎日インターネットで公開しています。読むことから書くことへとレベルアップをしたのです。さらに糖尿病用の運動器具、乗馬を購入しました。鞍の上で1時間は揺られていますが、その間に新旧約聖書の通読をしています。散歩は毎日3.5kmをしています。15年以上休むことなく続けています。毎日を規則正しく送るようにしています。
6年前の私を知っている人には現在の私は別人のように見えると思います。死人のように生気がなく、鈍い反応しかできずにボーと突っ立ていた人間が生気に満ちあふれています。現代医学の進歩が新しい薬を開発させ、それが私の体質に合ったのは単なる偶然ですが、神による必然と考えるのが信仰なのです。
神様が私の体質に合った薬を下さったのは、私に新しい使命を与えられたからです。新しい使命が何かは具体的に示されていませんが、僕聞きますの姿勢、信仰が必要なのです。神様は躁鬱病でアル中である私を選び出されました。最初はアル中からの回復者として召し出されましたが、これからは躁鬱病からの回復者として新しい使命が与えられるのかもしれません。私はいつでも主の召しに応じられるだけの準備、心身、脳のリハビリが必要なのだと思いました。
東神大に在学中に献身について真剣に考えたときがありました。内科医から統計学的には50歳までの命だといわれました。私は50歳までは生きられないと思っていましたが、献身は主に身も心も献げることである考えなおしました。効果があるのかは分かりませんでしたが、20kgのダイエットに取り組みました。夏期伝で高知教会に帰った時には悪い病気かと疑われたくらいでした。
私たちには主から与えられた体を適正に維持、管理をする義務がありますが、それ以上は主の領域です。体に気をつけていても病気になることはありますし、障害者になることもありますが、主の選びは健康な者に限るのではありません。むしろ弱さにこそ主の選びがあり、弱いからこそ強い場合もあるからです。
神の見られるところは人の見るところとは異なるのです。主の選びは人間の想いを超えているからです。人間の考える才能、能力と神が与えられた賜物とは本質的に異なるからです。人間はプラスに評価されるものしか見ませんが、神にはマイナスにしか評価されないものをプラスにする力があるからです。
主に召された者には万事が益となるように働きますが、それを確信できるだけの信仰が必要なのです。私たちは確信を持って行ったことが期待はずれに終わることをしばしば経験しますが、予想外の果実を得られることも経験します。結果オーライを受け入れるためには、現実を受容する信仰が求められるのです。
パウロは様々な艱難に出会いましたが、信仰が揺らいだことはありません。パウロの信仰が揺らいだのはダマスコの途上で復活の主に出会った時です。ファリサイ派のラビ、パウロは大祭司の秘密警察のボスでした。彼は血と汗の臭いを滴らせながらキリスト者を探し出し、投獄し、拷問し、殺害したからです。パウロは主に出会い、三日三晩暗黒の中を彷徨いました。悔い改めた後もアラビアに引きこもりました。パウロは生ける主との対話の時を必要としたのです。パウロはキリストを迫害する者からキリストを宣べ伝える者へ変えられました。
パウロが再び聖書に登場した時には、彼は生まれ変わっていました。パウロの信仰により義とされる教えは割礼と律法の束縛から逃れられない初代教会に自由をもたらしました。割礼と律法に拘るエルサレム教会は紀元70年のエルサレム陥落により滅びましたが、異邦人教会、自由主義教会は立ち続けました。
パウロの伝道旅行は福音をアジアからヨーロッパへもたらしました。ヨーロッパに主の教会が建てられたのです。主の世界宣教命令を現実化させたのです。パウロは世界各地にある教会へ手紙を書き送りました。パウロの手紙、手書きのコピーは各地の教会に回覧されました。それらが聖書として残されたのです。
パウロは彼の人生を振り返りながら、万事が益となると証しているのです。主は主に敵対していたパウロさえ召し出されました。神の選びの不思議さはパウロの実感です。パウロは論理ではなく体験から解き明かしをしているのです。
パウロの手紙は論理的に書かれていますが、論理に飛躍が見られます。神は人間の論理の枠外だからです。真理は科学、哲学、神学では異なります。神学では神が真理ですが、科学は客観的な真理、哲学は主観的な真理を求めます。
ユダヤ人。パウロの論理の飛躍は主の十字架です。メシアはユダヤ人の国を造る王、ダビデの再来のはずでしたが、十字架で死なれました。神に呪われた死を遂げられたのです。ユダヤ人には人間の罪を贖うための死、犠牲の死であることが信じらませんでしたが、パウロは信じられように変えられたのです。
ファリサイ派は死者の復活を信じていましたが、復活の主から声を掛けられたのは衝撃でした。パウロは主から直接召し出されたのです。使徒は主から直接教えを受けた人を意味しますが、パウロは復活の主から使徒に任命されたと主張しています。パウロは復活を人から聞いたのではなく、自らの体験でした。
ローマ人への手紙はパウロの神学論文だといわれますが、信仰の証しでもあるのです。パウロの証しをロゴス化、言葉化したのがこの手紙です。この手紙は現実の世界から論理の世界へ止揚され、また現実の世界へ戻っているのです。
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