06/11/5 神の裁きと憐れみ M
2006年11月5日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
神の裁きと憐れみ ホセア書2章1_3節
讃美歌 74,?1,422
堀眞知子牧師
今日から、ホセア書を通して御言葉を聞きます。1章1節に「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉」と記されているように、アモスと同じくイスラエルの王はヤロブアム2世であり、アモスと同じように北イスラエルで預言者活動を行いました。ただアモスは紀元前760年より前に預言者として召され、その活動期間は長くても2年と考えられています。それに対してホセアは、彼の預言の内容からして、預言者として召されたのは、ヤロブアム2世の末期である紀元前755年頃と考えられますから、2人の預言者活動が、重なることはありませんでした。と言うよりも、神様がアモスの次にホセアを預言者として召し出されたと言った方が、より正確かもしれません。そしてユダの王として、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの名前が記されていまので、ホセアの預言者活動はアモスと違って長く、30年くらいにわたったと考えられます。この間に北イスラエルはヤロブアム2世の後、サマリア陥落まで28年の間に6人の王が立ち、混乱の中にありました。アモスがヤロブアム2世の繁栄の中で、背信の民イスラエルに、近づいている神様の裁きを語ったのに対し、ホセアは混乱の時代にあって、神様の裁きと神様の憐れみによる回復を語りました。さらにホセアの預言者活動の特徴は、彼自身の私生活、その結婚生活、家庭生活を通して語られました。
神様がホセアを預言者として召された、その最初の言葉は「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ」というものでした。この命令から考えて、ホセアは比較的若い時、いわゆる結婚適齢期に、預言者として召されたと考えられます。ホセアは、ディブライムの娘ゴメルと結婚しました。淫行の女と言われていますので、ゴメルは不品行な女性であったようです。ヤロブアム2世の曾祖父であるイエフは、シドンの王女であり、アハブの妻であったイゼベルが、北イスラエルに持ち込んだバアルを滅ぼし去ったのですが、ベテルとダンにある金の子牛を退けることはなく、偶像礼拝の罪から離れることはありませんでした。ヤロブアム2世も、神様の目に悪とされることを行い続けました。国の指導者が信仰的に堕落すれば、民の信仰も堕落します。カナンの宗教であったバアル信仰は、地の実りの豊かさを願う宗教であり、それは子供が多く生まれることを求めるがゆえに、性的不品行を伴っていました。まことの神様から離れたイスラエルは、性的にも乱れていました。ゴメルは結婚前から、不品行な女性でした。そのような女性と結婚するように、ホセアは神様から命じられました。ホセアは預言者として召されるような人ですから、神様の律法を守り、不品行からは遠い生活を送っていたでしょう。彼の人間的な思いからすれば、不品行な女性を妻にする気持ちはなかったでしょう。むしろ乱れた北イスラエルにあっても、信仰ある女性と結婚し、神様の律法に従った家庭を築きたい、そのように願っていたのではないかと考えます。けれども神様は、ホセアの願いに真っ向から反するように「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」と命じられたのです。
この神様の御命令に従って、ホセアはゴメルと結婚しました。預言者として召される、それは個人の感情を捨て、ただ神様の御命令に従うことです。自分の思いに反することをも、神様の召しとして受け取り、その通りに行う。ホセアの心の中には葛藤があったでしょう。心の葛藤をも超えて、彼は預言者としての召しに応え、神様の御命令に従います。聖書には、彼の心の動きなどについては、何も記されていません。ただ神様の御命令に従って、ゴメルと結婚したことのみが記されています。ゴメルは身ごもり、男の子を産みました。神様はホセアに「その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、私はイエフの王家に、イズレエルにおける流血の罰を下し、イスラエルの家におけるその支配を絶つ。その日が来ると、イズレエルの平野で、私はイスラエルの弓を折る」と言われました。イズレエルは土地の名前であり、イエフがアハブの妻イゼベルとその子ヨラムを殺した場所であり、アハブの子供70人の首を積み上げた場所です。また、バアルに仕える者の大量虐殺を行った場所です。神様は、イエフがアハブ家の人々を殺害したイズレエルで、イエフの王家を断つと言われました。これはヤロブアム2世の子ゼカルヤが、シャルムによって殺されることを意味しています。「その日」は北イスラエル王国の終わりを意味しています。サマリア陥落まで30年もありません。人間の目に見える歴史としては、北イスラエルはアッシリアによって滅ぼされますが、神様が「イズレエルの平野で、私はイスラエルの弓を折る」と言われたように、神様御自身が北イスラエルを滅ぼされるのです。その徴として、ホセアに子供にイズレエルと名付けるように命じられました。大量殺人の場所、流血の場所、イズレエル。子供の名前として、ふさわしいものではありませんが、ここでもホセアは神様に従い、息子をイズレエルと名付けます。
ゴメルは再び身ごもり、女の子を産みました。神様はホセアに「その子を、ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)と名付けよ。私は、もはやイスラエルの家を憐れまず、彼らを決して赦さないからだ。だが、ユダの家には憐れみをかけ、彼らの神なる主として、私は彼らを救う。弓、剣、戦い、馬、騎兵によって、救うのではない」と言われました。北イスラエルの背信に対する、神様の厳しい裁きの言葉が語られています。神様は北イスラエルを憐れまず、決して赦さないと言われました。その一方で、北イスラエルは憐れまないが、南ユダには憐れみをかけ、彼らを救うと言われました。しかも弓、剣、戦い、馬、騎兵によって、救うのではない、と言われました。これは列王記下19章に記されていた、紀元前701年のアッシリアのセンナケリブの攻撃からの救いを預言しています。この時、ユダの王ヒゼキヤは預言者イザヤの言葉に従い、神様に寄り頼みました。神様はヒゼキヤの祈りを聞き、主の御使いがアッシリアの陣営で18万5千人を撃ち、南ユダは守られました。
ゴメルはロ・ルハマを乳離れさせると、また身ごもって、男の子を産みました。「乳離れさせると」と記されていますので、当時の習慣からして3年以上は過ぎています。神様はホセアに「その子を、ロ・アンミ(我が民でない者)と名付けよ。あなたたちは私の民ではなく、私はあなたたちの神ではないからだ」と言われました。「憐れまぬ者」と言われてから、少なくとも3年以上、神様は北イスラエルに忍耐されましたが、ついに「私の民ではない」と言われました。かつてモーセを通して「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と言われた神様が「あなたたちは私の民ではなく、私はあなたたちの神ではないからだ」と言われました。イズレエル、ロ・ルハマ、ロ・アンミ、ホセアの3人の子供の名前に、神様の北イスラエルに対する思いが込められています。
最近は、子供の名前を付ける時、語感の響きから漢字を当てはめる方が多くなりました。高知新聞の「マイ孫」を見ると、振り仮名がなかったら、読めない名前がかなりあります。名前の響きから漢字を考えるのでしょうが、その漢字に親の願いを思わせます。響きであれ漢字の意味であれ、親は子供への願いや思いを込めて名前を付けます。イスラエルも同じです。たとえばヤコブの妻レアは「今度こそ主をほめたたえよう」と言って4番目の息子をユダと名付けました。同じくヤコブの妻ラケルは、姉レアと異なり、なかなか子供が生まれませんでした。そこで初めての息子に「主が私にもう一人男の子を加えて下さいますように」と願ってヨセフと名付けました。また2番目の息子を産んだ時、ラケルは息を引き取りますが、その直前にベン・オニ(私の苦しみ)と名付けましたが、父ヤコブはベニヤミン(幸いの子)と名前を変えました。さらにイスラエルの場合、神様が名前を付ける時もあります。アブラハムは神様から「その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」と言われました。レアはユダの名前を、ラケルはヨセフの名前を、ヤコブはベニヤミンの名前を、アブラハムはイサクの名前を呼ぶことを通して、子供が生まれた時のこと、神様の御業を思ったでしょう。またユダもヨセフもベニヤミンもイサクも、自分の名前のいわれを聞かされていて、名前を呼ばれる時、そのことに思いをはせ、神様のことを思ったでしょう。
ホセアは、どうだったでしょうか。どんな思いで息子や娘の名前を呼んだのでしょうか。イズレエルと呼ぶたびに、忌まわしい流血の事件を思い起こしたでしょう。ロ・ルハマと呼ぶたびに「私は、もはやイスラエルの家を憐れまず、彼らを決して赦さない」と言われた神様の御言葉を思い起こしたでしょう。ロ・アンミと呼ぶたびに「あなたたちは私の民ではなく、私はあなたたちの神ではない」と言われた神様の御言葉を思い起こしたでしょう。北イスラエルの不信仰な姿を目の前にして、辛い思いをしたでしょう。呼ばれる子供達は、どうだったでしょうか。自分の名前の意味が分かる年頃になれば、決して心地よい思いはしなかったはずです。親を恨んだでしょうか。神様を恨んだでしょうか。それとも北イスラエルの不信仰を嘆いたでしょうか。けれどもホセアや子供達以上に、神様は辛い思いをされました。御自分の民が罪を犯す姿、御自分から離れていく姿を見続けなければなりませんでした。ホセアを召し出す1200年前に、神様はアブラハムを召し出されました。500年前にモーセを召し出され、十戒を与えられました。長い年月をかけて訓練され続けてきた民、愛し続けてきた民、御自身の宝の民とされたイスラエルが、背信の道を歩んでいるのです。エリヤ、エリシャ、アモス、ホセア、その他にも何人もの預言者を送られました。彼らを通して警告を与えてきたにもかかわらず、北イスラエルは悔い改めませんでした。ロ・アンミと呼ばざるをえない現実。1000年以上の時が虚しく思える状況。信仰的堕落への失望。非難と刑罰を語らざるをえない現実。
北イスラエルの背信に対する非難と刑罰を述べた後、ホセアは一転して、イスラエルに対する祝福を語ります。読み手である私達には理解しがたいのですが、これは預言書の特徴の一つです。しかも原文では2章1節は「そして、しかし、それゆえ」を表す接続詞で始まっています。私達には、審判と祝福が何のつながりもないままに述べられているように感じられますが、ホセアは審判と祝福を関連させて語っています。神様の裁きと憐れみは、表裏一体なのです。「あなたたちは私の民ではなく、私はあなたたちの神ではない」と宣言されて、神の民としての契約関係が破棄されたのですが、再び契約の言葉が語られます。かつてアブラハムが神様の御命令に従ってイサクをささげようとした時、神様はイサクの命を救うと共に「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」と約束されました。神様は、その契約を更新するように宣言されます。「イスラエルの人々は、その数を増し、海の砂のようになり、量ることも、数えることもできなくなる」そしてイスラエルに対して「『あなたたちは、ロ・アンミ(我が民でない者)』と、言われかわりに『生ける神の子ら』と言われるようになる」と約束されました。神の民であることの拒否から、一転して「生ける神の子ら」とされます。神様の祝福を受けることによって、民は現実の状況から一転します。第1に「ユダの人々とイスラエルの人々は、ひとつに集められ」ます。第2に「一人の頭を立てて、その地から上って来る。イズレエルの日は栄光に満たされ」ます。第3に「兄弟に向かって『アンミ(わが民)』と言い、姉妹に向かって『ルハマ(憐れまれる者)』と言え」る世界がもたらされます。
イズレエルは忌まわしい流血の事件のあった場所ですが、ヨシュア記17章に記されているように、カナン地方にあっては平野の広がった場所であり、肥沃な土地でした。イズレエルとはヘブライ語で「神は種を蒔く」という意味です。信仰的に堕落した土地に、もう一度、神様が信仰の種を蒔かれます。神様の大いなる御業が現されます。南ユダと北イスラエルに分裂している民が、一人の王によって結ばれ、神様の憐れみを受け、神様と共に歩む日が訪れます。神様が、そのような日が来ると約束されました。それは神様御自身が、御業を現される約束です。
神様がホセアを通して約束されたイズレエルの日は、イスラエル民族の回復の日です。しかし、新約の時代に生きる私達は、主イエス・キリストによる新しい契約の日を、ここから読み取ることを許されている、と私は考えます。最後の晩餐において、イエス様はパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒達に与えて「これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい」と言われました。食事を終えてから、杯も同じようにして「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」と言われました。私達は、イエス様が十字架の上で流された血によって贖い取られ、神様との新しい契約関係に生きる者とされました。私達の業ではなく、神様の一方的な御業です。そして十字架の上に、神様の裁きと憐れみが現されています。神様の裁きと憐れみによって、私達は罪人でありながら「我が民」と呼ばれる者へと変えられました。この地で礼拝が守られるようになってから14年と1ヶ月が過ぎました。14年1ヶ月目にして、離れた地に住む兄弟姉妹の祈りによって、聖餐卓が備えられました。神様が一つ一つ、整えて下さっていることを思います。教会を言い表す言葉は、いくつかありますが「聖餐共同体」というのも、その一つです。教会は聖餐を共に守る群れであり、私達には聖餐を通して、兄弟姉妹と呼び合える世界が与えられています。神様の裁きと憐れみが明らかにされたイエス様の十字架、十字架の上で流された血によって結ばれた新しい契約、その記念である聖餐を重んじる群れとして、この地に立たせていただきましょう。
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