2007/03/07

07/02/11 神が喜ばれること M     

2007年2月11日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
神が喜ばれること     ホセア書6章4_6節
讃美歌 7,272,527
堀眞知子牧師
神様はホセアを通して、イスラエルが悔い改めるまで、彼らを祝福しないことを宣言されました。イスラエルが御自身に立ち帰ることを求めて、懲らしめを下しました。それは逆に言えば、イスラエルが自らの罪を認め、悔い改め、神様を尋ね求めるようになった時、再びイスラエルのもとへ来て下さるという約束です。神様は背信の民イスラエルをなおも愛され、御自分に立ち帰ることを何よりも望み、招きの御手を差し伸べて下さっているのです。ところが、イスラエルの立ち帰りを望む神様の思いにもかかわらず、祭司達は本当の意味で立ち帰ろうとはしませんでした。民に対して、まことの悔い改めを促そうとはしませんでした。1?3節に「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、癒し、我々を打たれたが、傷を包んで下さる。2日の後、主は我々を生かし、3日目に、立ち上がらせて下さる。我々は御前に生きる。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、我々を訪れて下さる」と記されているように、言葉では「主のもとに帰ろう。主を知ることを追い求めよう」と民に促してはいますが、本心からではありませんでした。前週も語りましたように、アッシリアはティグラト・ピレセルの時代に力を持つようになり、当時のパレスチナ地方の脅威となっていました。アッシリアに対して、北イスラエルはアラムと同盟を結び、南ユダも仲間に加えようとしましたが、南ユダは応じませんでした。そこで両国は攻撃してきますが、南ユダは預言者イザヤの警告を無視して、アッシリアに助けを求めます。結果として北イスラエルとアラムはアッシリアに敗れ、北イスラエルは多くの領土を奪われ、南ユダはアッシリアの属国のようになりました。
この国家的危機の中で、ホセアは神様の御言葉として「私はエフライムに対して獅子となり引き裂いて過ぎ行く。彼らが罪を認めて、私を尋ね求め、苦しみの中で、私を捜し求めるまで、私は立ち去る」と語りました。ホセアの言葉は、祭司達の耳に聞こえましたが、すでに異教の神々に囚われている彼らの心を、まことの神様に立ち帰らせることはできませんでした。彼らはアッシリアの侵入を「主は我々を引き裂かれた。我々を打たれた」と告白し、神様の御業であることを認めています。認めた上で「我々は主のもとに帰ろう。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう」とイスラエルに呼び掛けています。呼び掛けてはいますが、本心からではありませんでした。いや厳密に言えば、まことの神様に立ち帰る道を見失っていた、と言った方が正確かもしれません。異教の神々の影響を受け、まことなる神様との交わりを失っていた彼らは「主のもとに帰ろう。主を知ろう。主を知ることを追い求めよう」と口には出しても、どのようにして神様のもとに立ち帰ればよいのか、神様が本当に求めておられるのは何かを知ることができませんでした。まことなる神様に仕えることを、異教の神々に仕えるのと同じように思っていました。列王記上16章に記されていた、預言者エリヤと戦ったバアルの預言者達と同じでした。いけにえをささげ、朝から昼過ぎまでバアルの名を呼び、祭壇の周りを跳び回り、自分達の体を傷つけた、うわべだけの、いわば自己満足にしか過ぎないような宗教行為。祭司達の信仰は、そこまで堕ちていたのです。神様を尋ね求めるということが、どういうことであるかが分からなくなっていました。神様を尋ね求めようとしても、どうすれば良いのか、神様が求めておられるのは何か、神様が喜ばれることは何かが、彼らは全く分からなくなっていました。多くのいけにえをささげ、主の名を呼び求めさえすれば、神様が癒し、傷を包んで下さると思っていました。「2日の後、主は我々を生かし、3日目に、立ち上がらせて下さる」と記されているように「我々は主のもとに帰ろう。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう」とイスラエルに呼び掛けさえすれば、きわめて短期間で、神様が曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、イスラエルを訪れて下さり、助けて下さると思っていました。
このような、形式的な礼拝で神様に応えようとした北イスラエル、異教の宗教観に囚われて、正しい信仰を完全に失ってしまった北イスラエル。彼らに対して神様は、今お読みいただいた4?6節の御言葉を語られました。いわば手に負えない子供に語る父親のように、嘆きと裁きの言葉を語られました。「私はお前をどうしたらよいのか」という言葉は、もやはどうすることもできないこと、打つべき手がない北イスラエルと南ユダの状況を指しています。「お前たちの愛は朝の霧、すぐに消えうせる露のようだ」と記されているように、彼らの神様に対する愛、信仰は、太陽が昇ればすぐに消えてしまう朝の霧や露のように、移ろいやすい、はかないものでした。異教の神々に囚われている彼らは、いわゆる御利益宗教に陥っていました。神様に心から仕えることではなく、神様の御機嫌を取ることしか考えられなかったのです。
5節は「それゆえ」という言葉で始まります。イスラエルの不信仰、背信の罪に対する当然の裁きとして宣告されます。「私は彼らを、預言者達によって切り倒し、私の口の言葉をもって滅ぼす。私の行う裁きは光のように現れる」イスラエルは、まず預言者達によって切り倒されます。次に神様の御言葉によって滅ぼされます。この「切り倒す」「滅ぼす」という言葉は、ヘブライ語原文では完了形になっています。すでに終わったできごととして記されています。申命記18章に記されていたように、イスラエルがカナンの地に入る前に、神様はモーセを通して預言者を立てる約束をされました。そして「あなたたちは彼に聞き従わねばならない」と命じられました。この約束に従って、北イスラエルにはエリヤ、エリシャ、アモスを初め、多くの預言者が立てられました。今はホセアが預言者として立てられています。けれども、イスラエルは預言者に聞き従わない歴史を重ねてきました。今も、ホセアの言葉に聞き従おうとはしません。北イスラエルがアッシリアによって滅ばされるまで、あと10年くらいありますが、北イスラエルの滅亡は、すでに下された裁きとして語られています。「私の行う裁きは光のように現れる」という言葉が示すとおり、朝の霧や露を瞬く間に消し去ってしまう光のように、神様の裁きは北イスラエルに下されます。
異教の神々に囚われ、いわゆる御利益宗教に陥り、神様に心から仕えることではなく、神様の御機嫌を取ることしか考えられない、北イスラエルの不信仰、背信の姿。この現実を前にして、神様は御自分がイスラエルに求めておられるのは何かを、はっきりと語られます。「私が喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」いけにえや焼き尽くす献げ物さえすれば、神様の名前を呼びさえすれば、と思っているイスラエルに「私が喜ぶのは愛である。神を知ることである」と語られました。神様がイスラエルに対して、いかに御自分に対する誠実さ、御自分との人格的交わりを求めているのか、それを喜ばれるのかが明らかにされています。これは、いけにえや焼き尽くす献げ物を拒否されているのではありません。愛と誠実さと、神様を心から知ろうとしない献げ物を拒否されているのです。愛と誠実さの伴わない献げ物、礼拝を神様は喜ばれないのです。
まことなる神様への愛と誠実さを失ってしまった北イスラエル、そこには不信仰の結果として、悪と罪が満ちていました。7?10節で、ホセアは罪を並べています。イスラエルは、第1にアダムにおいて背信の罪を犯し、神様との契約を破りました。第2にギレアドは悪を行う者達の住みかとなっており「流血の罪を犯した者の足跡がしるされている」と語られているように、何度も血を流す争いが繰り返されました。第3に祭司の一団は待ち伏せる強盗のように、シケムへの道で人を殺しました。シケムは逃れの町です。保護を求める人々がシケムへと向かう途中で、祭司達が彼らを殺したのです。「なんという悪事を彼らは行うことか」という言葉の中に、神様の嘆きの声が響きます。「イスラエルの家に、恐るべきことを私は見た。そこでエフライムは姦淫をし、イスラエルは自分を汚した」御自身の宝の民として、地上の多くの民族の中から選ばれたイスラエル。そのイスラエルが異教の神々に走り、自らを汚しています。その惨憺たる現実を前にして、神様は「恐るべきことを私は見た」と証言せざるを得ないのです。北イスラエルへの非難と共に、南ユダにも警告の言葉が語られます。「ユダよ、お前にも、刈り取られる時が定められている」ホセアの時代からは150年後のことになりますが、エルサレム陥落、バビロン捕囚が迫っています。
6章最後?7章2節に、イスラエルの罪深さが再び語られています。しかもイスラエルは、自らの罪に気付いていません。「私が民を回復させようとし、イスラエルを癒そうとしても、かえって、エフライムの不義、サマリアの悪が現れる。実に、彼らは偽りを企む。盗人は家に忍び込み、外では追いはぎの群れが人を襲う。私は彼らの悪事をすべて心に留めている。しかし、彼らは少しも意に介さない。今や、彼らは悪に取り囲まれ、その有様は私の目の前にある」神様はイスラエルの信仰が回復することを望み、イスラエルを癒したいと願っています。それにもかかわらず、イスラエルは悔い改めようとはしません。逆に罪に罪を加え、悪に悪を重ね、自分達がしていることが罪悪であることすら気付いていません。もはや、どうしようもない状態に陥っているのです。この状態は、異教の神々の影響を受け、まことなる神様との交わりを失ったことから始まりました。まことなる神様との人格的交わりを失うと、私達の前には恐ろしい世界が待ち受けています。現実に交わりを失っただけではなく、立ち帰る道さえ見失ってしまうのです。どんなに神様が手を差し伸べて下さっても、その手をつかむことができません。差し伸べて下さっている手に気付く感性、すなわち神様の招きに気付く、招きに応える、そして神様が喜ばれること何か、という信仰の感性そのものを失ってしまうがゆえに、手をつかむことができないのです。
「私が喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」マタイによる福音書によれば、イエス様は2度、この御言葉を引用されています。9章には、マタイを弟子にされた時のことが記されています。イエス様は徴税人マタイに「私に従いなさい」と言われて、彼を弟子とされました。マタイはイエス様を食事に招き、その場には徴税人や罪人も大勢いました。徴税人はユダヤ人から税を取って、ローマ帝国に納める仕事をしており、ユダヤ人から見れば売国奴でした。正統的なユダヤ人は、徴税人や罪人と交際することはありませんでした。ですから、イエス様が彼らと共に食事をするのを見たファリサイ派の人々は、イエス様の弟子達に「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言いました。それに対してイエス様は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われました。また12章には、安息日に麦の穂を摘まれた時のことが記されています。安息日に、イエス様と弟子達が麦畑を通った時、弟子達は空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めました。麦の穂を摘むことは労働であり、安息日の労働は禁止されていました。ですから、ファリサイ派の人々はイエス様に「御覧なさい。あなたの弟子達は、安息日にしてはならないことをしている」と言いました。それに対してイエス様は、サムエル記上21章のできごとを例に挙げて「安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちを咎めなかったであろう。人の子は安息日の主なのである」と言われました。ファリサイ派の人々は、北イスラエルの民とは異なり、律法を忠実に守っていました。異教の神々に走るようなことはありませんでした。けれども彼らが律法に忠実であったのは、形式的に律法に忠実であったということであり、律法の根底にある神様の愛と憐れみを見失っていました。ファリサイ派の人々は、神様との生きた、人格的な交わりを忘れて、律法が命じている行いだけに忠実でした。それに対してイエス様が、外面的に従順に見える、見せかけの律法主義(いけにえ)ではなく、神様の愛と憐れみに気付くように、神様を知るように、つまりイエス様が主であることを知るようにと求められたのです。イエス様を知る、それが神様の喜ぶことであることを明らかにされました。
私達は今朝も、イエス様を知らされた者として、このようにして礼拝を守らせていただいております。主イエスが復活された日曜日の朝を覚え、十字架と復活に現された神様の愛と恵みを覚えて、教会に招かれ、教会の枝とされています。礼拝を守る、祈祷会を守る、家庭集会を守る。それは信徒として、義務であると同時に権利です。もし義務感だけで礼拝を守るなら、それは自己満足に陥る恐れがあります。そして守らない人を非難することになり、ファリサイ派の人々と同じになってしまいます。ひいては北イスラエルと同じ、形式的宗教、不信仰に陥ってしまいます。もちろん礼拝、祈祷会、家庭集会を守ることは大切です。けれども、私は礼拝も祈祷会も家庭集会もきちんと守っている、そういう自己満足に陥ると、逆に神様から離れてしまう危険性があります。神様が喜ばれるのは、愛と憐れみであり、何よりも神様を知ることです。愛と憐れみを神様からいただいた者として、神様をより深く知りたい、より深く神様と人格的交わりを持ちたい、その交わりの中に生かされたい。そういう願いと思いが、礼拝、祈祷会、家庭集会の遵守につながる。そういう信仰生活こそ、神様が喜ばれることです。神様が喜ばれる群れとして、瀬戸キリスト教会の歩みを整えていただきましょう。