2007/03/18

07/03/04 神に助けを求める M     

2007年3月4日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
神に助けを求める     ホセア書7章13-16節
讃美歌 77,Ⅱ15,138
堀眞知子牧師
神様はホセアを通して「今や、彼らは悪に取り囲まれ、その有様は私の目の前にある」と言われました。神様はイスラエルの信仰が回復することを望み、イスラエルを癒したいと願っています。それにもかかわらず、イスラエルは悔い改めようとはしません。逆に罪に罪を加え、悪に悪を重ね、自分達がしていることが罪悪であることすら気付いていません。そのイスラエルの罪と悪が語られます。3-7節には、ヤロブアム2世から北イスラエル最後の王ホシェアに至るまで、7人の王に関するできごとが記されています。「彼らは悪事によって王を、欺きによって高官達を喜ばせる」ヤロブアム2世の子ゼカルヤをシャルムが殺し、シャルムをメナヘムが殺し、メナヘムの子ペカフヤをペカが殺し、ペカをホシェアが殺しました。20年にも満たない間に、4人の王が殺されました。北イスラエルは謀反の繰り返しでした。紀元前931年、ヤロブアムが北イスラエル王国を建ててから200年、謀反は何度も繰り返されました。そして、どの王も最初の王ヤロブアムの罪から離れることがありませんでした。偶像礼拝の罪は、異教の神々を受け入れる罪となり、まことの神様から離れてしまいました。かといって改宗して完全に離れるというのではなく、多神教の罪を犯してしまったのです。「あなたには、私をおいて他に神があってはならない」という戒めに背いてしまいました。しかも北イスラエルは、それが罪であることに気付いてすらいませんでした。背信の罪に気付かない北イスラエルは、謀反を罪とは考えませんでした。イスラエルの王は、神様の意志によって立てられ、神様の御心に従って政治を行うべきことを、完全に忘れ去っていました。北イスラエルの指導者達は、悪事と欺きに満ちていました。
ホセアは彼らが、どのようにして謀反を繰り返し、悪事と欺きを重ねてきたかを述べます。「彼らは皆、姦淫を行う者、燃える竈のようだ。パンを焼く者は小麦粉をこねると、膨むまで、火をかき立てずにじっと待つ」謀反を起こした者達は、神様に背く者達であり、燃える竈のように、政治的野心に燃えていました。そして、パンを焼く者が小麦粉をこねた後、それが膨むまで火をかき立てずにじっと待つように、行動を起こすまでは慎重でした。策略を十分に練り、時が来るまで野心を隠し、一気に行動を起こして謀反を働き、それまでの王を初めとする支配者達を倒しました。「我々の王の祝いの日に、高官達はぶどう酒の熱で無力になり、王は陰謀を働く者達と手を結び、燃える竈のような企みに心を近づける。夜の間眠っていた彼らの怒りは、朝になると燃え盛る火のように炎を噴く」野心を胸に秘め、ひそかに準備を進め、時が来れば謀反者は、王を初めとする支配者達を罠にかけて殺しました。夜の闇に隠れてひそかに眠らせていた怒りを、朝が来れば、つまり時が至れば燃えさかる火のように炎を噴かせ、謀反を起こしました。神様の御心ではなく、政治的野心によって動かされてきた北イスラエルの歴史。神様はホセアを通して語ります。「彼らは皆、竈のように熱くなり、自分達を支配する者を焼き尽くした。王達はことごとく倒れ、一人として、私を呼ぶ者はなかった」自分を支配していた者、自分が仕えてきた者を滅ぼし尽くして、北イスラエルの新しい王は誕生しました。新しい王も、やがて謀反によって滅ぼされました。謀反に謀反が繰り返される中で、誰も神様を呼びませんでした。政治的野心に燃え、人間の思いが優先し、人間の力によって北イスラエルの歴史は形成されました。誰も神様の御心を尋ねようとしなかったし、神様の助けを求めませんでした。神様を無視し続ける北イスラエルに、やがて神様からの罰が下ります。
国内の政治において神様を求めず、結果として不安定なら、当然のことながら、諸国との関係においても神様を求めず、結果として不安定になります。神様はホセアを通して語ります。「エフライムは諸国民の中に交ぜ合わされ、エフライムは裏返さずに焼かれた菓子となった」イスラエルは、神様によって神の宝の民とされました。イスラエルは特別な民であり、祝福と共に責任と義務がありました。神様との交わりの中に生き、異教の神々と交わることは赦されていませんでした。にもかかわらず、北イスラエルは自らの特別な立場、神様との関係を忘れ、他の国々と交わり、異教の慣習をも受け入れました。アラムと同盟を結んで南ユダを攻撃したり、アッシリアに貢ぎ物を贈ったりしました。「裏返さずに焼かれた菓子」とは神様に形式的には仕えながら、本当の意味で神様を信頼せず、諸外国の力に頼り、異教の神々を受け入れている北イスラエルの姿、裏表のある姿を表しています。「他国の人々が彼の力を食い尽くしても、彼はそれに気付かない。白髪が多くなっても、彼はそれに気付かない」神様は「気付かない」という言葉を繰り返して、自らの姿に気付かない北イスラエルの現状を語ります。頼るべき相手を間違え、諸外国に滅ぼされようとしていることに気付かない。白髪が増えるように衰退していることに気付かない。神様は、北イスラエルの無知を嘆かれます。「イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢である。彼らは神なる主に帰らず、これらすべてのことがあっても、主を尋ね求めようとしない」北イスラエルが無知であるのは、高慢の罪を犯し続けているからでした。アラムと同盟を結んだ結果として、アッシリアに貢ぎ物を贈らなければならなくなっても、外交政策の間違いに気付きませんでした。まことなる神様に頼らないで、やがて北イスラエルを滅ぼす国、危機において助けてくれない国に頼っていました。自分達の外交政策に自信を持っていたのです。このように不安定な北イスラエルに対し、神様は「エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求め、あるいは、アッシリアに頼って行く」と言われました。北イスラエルは、愚かで悟りのない鳩にたとえられます。ホシェアはアッシリアに攻められると、服従して貢ぎ物を納めました。ところが今度は、エジプトに使節を派遣して、アッシリアに貢ぎ物を納めなくなりました。結果としてアッシリアの怒りを買い、サマリアは占領され、北イスラエルは滅亡しました。北イスラエルは、自分達を滅ぼすアッシリアに頼り、助けてくれないエジプトに頼りました。神様に背き続ける北イスラエル、そのことに気付かない北イスラエルに、神様は裁きを宣告されます。「彼らが出て行こうとする時、私はその上に網を張り、網にかかった音を聞くと、空の鳥のように、引き落として捕らえる」歴史的事実として、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされます。けれども、それは神様の御業としてなされます。神の宝の民とされながら、神様に頼ろうとしないで異教の国々に頼った北イスラエルは、神様の裁きとしてアッシリアに滅ぼされます。創造主である神様は、異教の国々さえ用いて、網に捕らえられる鳥のように、北イスラエルを引き落とされます。
神様は「なんと災いなことか」と嘆きと怒りの叫びを上げられます。神様が助けの御手を差し伸べているにもかかわらず、北イスラエルは神様から離れ去り、背き続けてきました。神様がカルデアのウルにいたアブラハムを召し出し「私が示す地に行きなさい。あなたは祝福の基となるように。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」と語られました。そしてカナンの地に着いた時、そこには先住民族がいたにもかかわらず「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束されました。実際にイスラエルがカナンの地を得るのは、それから800年くらい後のことです。神様はモーセを指導者として立てられ、エジプトで奴隷生活を送っていたイスラエルを、カナンまで導かれました。モーセはカナンの地に入る前に、イスラエルに神様の御言葉を取り次ぎました。その中で「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える」と神様を愛することを命じられ、愛するなら、約束の地カナンで人口が増えることを約束されました。同時にカナンには、先住民族が住んでいて、彼らの宗教がありました。ですから「あなたが行って追い払おうとしている国々の民を、神が絶やされ、あなたがその領土を得て、そこに住むようになるならば、注意して、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らに従って罠に陥らないようにしなさい。彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい」と異教の神々を尋ね求めることを禁止されました。さらにイスラエルが、異教の神々の影響を受けて誤った道に進まないために「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、私のような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない」と預言者を立てる約束をされました。その約束に従い、神様に背き続けている北イスラエルに、何人もの預言者が立てられました。今、ホセアが立てられ、自らの結婚生活をも通して神様の御言葉を語っています。けれども北イスラエルは、ホセアの言葉に耳を傾けようとしません。「彼らは私から離れ去った。私に背いたから、彼らは滅びる。どんなに彼らを救おうとしても、彼らは私に偽って語る」神様は「離れ去った」と完了形で語られました。イスラエルは、エジプトの奴隷状態から助け出し、約束の地カナンまで導かれ、その土地を与えられた神様から離れ去ってしまったのです。神様はイスラエルを御自分の宝の民として愛され、何とかして救おうとして再三、助けの御手を差し伸べましたが、イスラエルは真心をもって神様に仕えようとはしませんでした。ヤロブアム2世の時代、北イスラエルは経済的には繁栄していたので、その豊かな富に従って神様に献げ物をしましたが、それは形式的な信仰であって、神様に立ち帰ったのではありませんでした。異教の神々に献げ物をするのと同じ心で、まことなる神様に献げ物をし、形式的礼拝を行っていたのです。彼らの心は偽りで満ちていました。神様に背き続けていました。何が本当の信仰であるかさえ、見失っていました。ですから神様は「北イスラエルは滅びる」と厳しい宣告をされました。もともとカナンの地は、メソポタミアとエジプトに挟まれた地であり、双方から狙われている土地でした。ペリシテ人のように、地中海の島々から攻め入ってくる民族もいました。先住民族もいました。神様から与えられた地は、絶えず外敵の危険にさらされ、先住民族の影響も受ける土地でした。平穏な土地ではありませんでした。そのような地にあって、唯一なる神様にのみ信頼して生きる、それがイスラエルに求められた生き方でした。ところがイスラエルは危機の中にあって、この世の力に頼り、神様に助けを求めようとはしませんでした。「彼らは心から私の助けを求めようとはしない。寝床の上で泣き叫び、穀物と新しい酒を求めて身を傷つけるが、私には背を向けている」と神様は言われました。「寝床の上で泣き叫び、穀物と新しい酒を求めて身を傷つける」というのは異教の習慣です。北イスラエルは異教の習慣をもって、神様の助けを求めようとし、真心から神様の助けを求めようとはしませんでした。神様に背を向けたまま、異教の習慣をもって神様を呼び続けたのです。神様は長い年月をかけて、イスラエルを御自分の民として訓練し、育て続けてこられました。けれども「私は、彼らを教えてその腕を強くしたが、彼らは私に対して悪事を企んだ」と語られているように、北イスラエルは神様から与えられた力によって、逆に神様に反抗しました。「彼らは戻って来たが、ねじれた弓のようにむなしいものに向かった。高官達は自分で吐いた呪いのために、剣にかかって倒れ、エジプトの地で、物笑いの種となる」北イスラエルは神様の助けを、自分の欲望のためにしか受け取っていませんでした。ねじれた弓のように神様の目的から離れ、むなしい人間の力に頼りました。人間の力に助けを求めた者は、人間の力によって倒れることになります。アッシリアによって滅ぼされ、エジプトからは嘲りの的とされるのです。
神様によって召し出され、神の宝の民とされたにもかかわらず、神様から離れ去ってしまった北イスラエル。離れ去ってしまったがゆえに、危機の中で神様に助けを求めなかった北イスラエル。神様に助けを求めるよりも、アッシリアやエジプトに助けを求め、結果として滅んでしまった北イスラエル。この北イスラエルの姿は、私達には愚かなものに見えます。しかし私達もまた、本当に神様に背いていないのか、神様に助けを求めているのか、神様にのみ信頼を置いているのかということには、絶えず注意を払い、吟味しなければなりません。洗礼を受けてキリスト者として召された。教会生活を守っている。それはキリスト者として大切なことですが、それだけで神様に従順であるとは言えません。イスラエルは生まれながらにして神の民であり、礼拝を怠っていたのではありません。神の民という自覚を持ち、礼拝を守りながらも、形式的な信仰に陥っていたのです。いざという時に、神様にすべてを委ねることができませんでした。この世の権力や富、外交政策に頼ってしまったのです。私達キリスト者も、世から隔絶した生活を送っているのではありません。むしろキリスト者が1%にも満たない、異教社会の中で生きています。その中にあって、まことの神様に従順に生き、神様にのみ信頼を置いて生きることは、決してたやすいことではありません。時として神様よりも自分の力、健康、家族をはじめとする人間関係、金銭に頼ることはないでしょうか。キリスト者の間でも「元気でいること、健康が大事よね」という会話が、あまりにも気楽になされてはいないでしょうか。すべてを神様からいただいていること、神様からキリスト者として召し出されていることを忘れていることはないでしょうか。本当に頼るべき御方は、父・子・聖霊なる三位一体の唯一なる神様のみです。そして困難の中にあって、助けを求めるべき御方も神様のみです。今、私達は主イエス・キリストの御受難と御復活を覚える、レントの時を過ごさせていただいております。御独り子の命さえ惜しまなかった父なる神様、私達のために十字架にかかって下さったイエス様、私達を導いて下さっている聖霊にすべてを委ね、神様にのみ信頼を置き、神様が差し伸べて下さっている救いの御手にすがり、神様にのみ助けを求める歩みを、神様によって整えていただきましょう。