2007/11/27

07/11/04 主こそ我が光 M 

 2007年11月4日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主こそ我が光     ミカ書7章7-10節
讃美歌 54,522,298
堀眞知子牧師
7章は「悲しいかな」という、ミカの嘆きの声で始まります。以前にも申しましたが、ミカはエルサレムの南西約30キロに位置する、モレシェト・ガトの出身でした。モレシェト・ガトとは「ガトの所有」という意味で、その言葉が表すように、ペリシテ人の最盛期には、彼らの5大都市の一つであるガトに属していました。また北イスラエルは紀元前722年にアッシリアに滅ぼされますが、その10年後、アッシリアはガトと同じ、ペリシテ5大都市の一つであるアシュドドを占領しました。さらに10年後、アッシリアは南ユダに侵入してラキシュに陣を敷きますが、モレシェト・ガトはラキシュの北東10キロに位置するために、アッシリア軍の進路となりました。このように外国の侵略を受けやすい町の出身であり、アッシリアがカナン地方に侵略してくる時代に預言者として召されたミカは、神の民イスラエルの信仰的堕落がもたらす倫理的・政治的堕落に対する、神様の刑罰について語らざるを得ませんでした。そのように刑罰を語ることは、ミカにとって苦痛であったでしょう。さらに、イスラエルがすべて悔い改めたのでもありません。確かに列王記下18章に「ヒゼキヤは、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い」と記されているように、南ユダの王ヒゼキヤは、ミカやイザヤの預言を受け入れて宗教改革・政治改革を行いました。けれども歴代誌下32章には「ヒゼキヤは受けた恩恵にふさわしく答えず、思い上がり、自分とユダ、エルサレムの上に怒りを招いた」とも記されています。ヒゼキヤにも人間としての過ち、思い上がりがあったのです。
ミカは「悲しいかな」という嘆きの声を上げました。預言者としての働き、働きがもたらす実りを思う時「私は夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、私の好む初なりのいちじくもない」と言わざるを得ませんでした。夏の果物とは、いちじくを指しています。夏の果物を集める、ぶどうの残りを摘む。それは落ち穂拾いのように、収穫後の取り残しの実を取り入れることを意味しています。ミカは果樹園に入って、ぶどうやいちじくの取り残しを求めましたが、実はすでに腐っており、食べられるものは一つも残っていませんでした。失望の中で、何も手にすることなく帰って来ました。そのようにイスラエルには、真の神様との契約に生きる人、信仰者が絶えてしまいました。ミカは「主の慈しみに生きる者はこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった」と語っています。イスラエルは皆、ひそかに人の命をねらい、互いに網で捕らえようとし、彼らの手は悪事にたけていました。民を治め、裁く立場にある役人や裁判官も、報酬を目当てとしていました。民の模範となるべき名士も、私欲をもって語りました。しかも、彼らは悪事を包み隠し、何事もなかったかのように振る舞っていました。ミカが「彼らの中の最善の者も茨のようであり、正しい者も茨の垣に劣る」と語っているように、当時のイスラエルの中でもっとも善人とされる者、神様の前に正しいとされる者さえ、茨のようにトゲをもって人を傷つけながら、四方へはびこっていました。ミカが苦痛をもって、神様の御言葉を語り続けているにもかかわらず、警告を受けいれる者は少なく、彼の預言者活動は、むなしい実りしかもたらしませんでした。
このような邪悪な社会には、神様の刑罰が下ります。ミカは「お前の見張りの者が告げる日、お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる。隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな。お前のふところに安らう女にも、お前の口の扉を守れ。息子は父を侮り、娘は母に、嫁は姑に立ち向かう。人の敵はその家の者だ」と言いました。見張りの者とは、ミカを初めとする預言者です。預言者が警告を与え続けてきた、その刑罰の日が来る。その日には大混乱が起こる。すでにイスラエルが起こした無秩序、無法以上のことが、次から次へと起こる。隣人も親しい者も信じてはいけない。軽率に心の内を口にすると、妻さえ夫を裏切る。家庭の中にあっても、一人一人が自分勝手な行動をとり、家族関係そのものが崩壊してしまう。信じうる者が一人もいない。そのような大混乱が、神様の裁きであることをミカは告げています。
神様の厳しい裁きを語った後、ミカは裁きのかなたにある希望を語ります。「しかし、私は主を仰ぎ、我が救いの神を待つ。我が神は、私の願いを聞かれる」この「仰ぐ」という言葉は、4節の「見張る」という言葉と同じです。ミカは神様を熱心に見つめます。彼は神様を「我が救いの神。我が神」と呼んでいます。彼を預言者として召し出された神様、預言者として召し出されたがゆえに、ミカは苦痛を味わわなければなりませんでした。そういう意味では、彼の心の中に「預言者として召し出されなかったら、もっと平穏な人生が歩めた」という思いもあったでしょう。けれども、預言者として召し出されたがゆえにミカは、より神様に近づくことができました。「我が救いの神。我が神」と呼び「我が神は、私の願いを聞かれる」という絶対的な信頼を与えられました。
神様に信頼する者として、ミカは語ります。「私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光」敵はミカを倒れさせるかもしれませんが、それは一時的なものであり、ミカは倒れても起き上がることができます。闇の中に座って、周りが全く見えない状況におかれても、ミカは不安や恐れを感じることはありません。それはミカに力があるとか、彼が頑張ったとかではありません。「主こそ我が光」神様御自身が、ミカの光として存在し、御力を現されるからです。ミカは、自分とイスラエルを含めて語ります。「私は主に罪を犯したので、主の怒りを負わねばならない、ついに、主が私の訴えを取り上げ、私の求めを実現されるまで。主は私を光に導かれ、私は主の恵みの御業を見る」サマリア陥落、北イスラエルの滅亡、アッシリアによる南ユダ攻撃などの悲惨なできごと、これから臨むであろう大混乱。それらはイスラエルが、神様の前に罪を犯したからでした。エジプトの奴隷状態から解放し、約束の地カナンまで導き、カナンを嗣業の地として与えて下さった真の神様を忘れ、神様との契約に忠実ではなかったからです。ゆえに、イスラエルは神様の怒りを負わなければなりません。けれども神様の前に罪を認め、神様の裁きを受け、心から悔い改める時、神様に対する新たな信頼が生まれます。かつて、エジプトで助けを求めるイスラエルの叫びを聞かれたように、神様は私の訴えを取り上げて下さる、という確信が与えられます。私のために法廷を開き、裁きを行って下さる。闇の中に座っていた者を必ず救われ、光の中へと導き出して下さる。その確信を与えられた者は、神様の恵みの御業を見ることができます。イスラエルが神様の罰に服している時「お前の神、主はどこにいるのか」と言っていた敵、つまり異教の国々の者は、神様のイスラエルに対する救いの御業、恵みの御業を見て恥に覆われます。それは未来のことですが、ミカは断言します。「私の目はこの様を見る。今や、敵は路上の泥のように踏みつけられる」と。
 ミカの目は、はるか未来を見つめています。「あなたの城壁を再建する日、それは、国境の広げられる日だ。その日、人々はあなたのもとに来る、アッシリアからエジプトの町々まで、エジプトからユーフラテスまで、海から海、山から山まで。しかし、大地は荒れ果てる、そこに住む者の行いの実によって」「あなたの城壁を再建する日」それはバビロン捕囚から解放され、バビロニアによって壊された、エルサレムの城壁を再建する日のことです。ミカの時代から約160年後、ペルシア王キュロスによってバビロン捕囚は解かれ、エルサレム帰還が許されますが、エルサレムの城壁が再建されるのは、紀元前445年です。ミカの時代から250年以上後のことです。めまぐるしく社会が変化し、身の回りのさまざまなことが短期間で変化していく現代の私達には、少し考えにくい時間の長さですが、ミカは確信をもって語ります。もちろんミカ自身、自分が神様によって語らされていることが、250年後のことであることを知りません。知らされてはいませんが、いや、たとえそれが1000年後のことであっても、ミカは神様の御業を確信をもって語るでしょう。エルサレムの城壁が再建される日は、同時に国境が広げられる日である。御存じのように実際の歴史として、イスラエルが国土を広げることはありませんでした。けれどもエジプトやバビロンに散らされていた民が、エルサレムに帰ってきました。エルサレムの大地は、イスラエルが離れている間に住んでいた、異教の人々によって荒れ果てていましたが、そこに神様の御業がなされていきます。
ミカは祈ります。「あなたの杖をもって、御自分の民を牧して下さい、あなたの嗣業である羊の群れを。彼らが豊かな牧場の森に、ただひとり守られて住み、遠い昔のように、バシャンとギレアドで、草をはむことができるように」羊飼いの持つ杖は、羊を狼などの外敵から守り、また羊を豊かな牧草地や水飲み場へ導くものでした。真の羊飼いである神様によって「あなたの嗣業」神様の所有とされたイスラエルが牧され、豊かな牧草地で、神様に守られて平穏に住むことができるように、ミカは願い求めます。バシャンとギレアドは、ヨルダン川東部に位置し、牧畜に適した場所でしたが、紀元前734年にアッシリアによって占領されました。その地を取り戻し、そこで養われることを願い求めます。ミカの祈りに、神様は答えられます。「お前がエジプトの地を出た時のように、彼らに驚くべき業を私は示す」イスラエルがエジプトを脱出した時、エジプトに10の災いを下し、イスラエルに葦の海を渡らせたような奇しい御業を示されることを、神様が約束されました。
神様の約束に対して、ミカは言います。「諸国の民は、どんな力を持っていても、それを見て、恥じる。彼らは口に手を当てて黙し、耳は聞く力を失う。彼らは蛇のように、地を這うもののように塵をなめ、身を震わせながら砦を出て、我らの神、主の御前におののき、あなたを畏れ敬うであろう」かつて「お前の神、主はどこにいるのか」と言っていた敵、異教の国々の民は地上において、どんなに大きな力をもっていたとしても、真の神様の大いなる御業を見て恥じ入ります。驚きと恐れによって、沈黙を守ります。あえて沈黙を守るのではなく、語る力を失います。また驚きと恐れによって、耳も聞こえなくなります。大きな声で語られても、それを聞く力を失ってしまうのです。蛇は地を這って生きるので、地の塵にまみれて生きていると考えられていました。かつてイスラエルを嘲笑っていた民は、真なる神様の御業の前に恐怖を持ち、完全な敗北を味わいます。異教の民も、イスラエルの神である、真なる神様を畏れ敬うようになります。
最後にミカは、神様をほめたたえます。預言者の警告に耳を傾けないイスラエル、その犯した罪に対する刑罰としての大混乱。それにもかかわらず、最終的に恵みの御業を、異邦人にも明らかなように現して下さる神様。「主こそ我が光」とミカが確信し、絶対的信頼を置いている神様をほめたたえます。「あなたのような神が他にあろうか、咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない、神は慈しみを喜ばれるゆえに。主は再び我らを憐れみ、我らの咎を抑え、すべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか、ヤコブに真を、アブラハムに慈しみを示して下さい、その昔、我らの父祖にお誓いになったように」「あなたのような神が他にあろうか」それは、他に存在しないということです。ミカは確信をもって「あなたこそ真の神様である」と告白します。真の神様はイスラエルの咎を除き、罪を赦されます。罪と悪が満ちる中にあって、神様は、御自分の計画を地上において現され、御心を示されるために、常に残りの者を備えられ、集めて下さいます。神様は怒りよりも慈しみを喜ばれるがゆえに、イスラエルを憐れみ、その罪を再び思い出すことのないように、またイスラエルが目にすることがないように、海の深みに投げ込まれます。そしてアブラハム、イサク、ヤコブへの約束は、イスラエルにおいて成就し、その真と慈しみは決して変わることがありません。
詩編119編105節に「あなたの御言葉は、私の道の光、私の歩みを照らす灯火」と記されています。またヨハネによる福音書8章において、イエス様は「私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と言われました。光がなければ、人間はもちろん、すべての生物は生きていくことができません。神様が最初に「光あれ」と命じられたように、光が存在して、初めて生物は存在し、その生命を維持することができます。人間も他の生物も、自分の力で光を得ることも、作り出すこともできません。暗黒に覆われた世界にあって、神様のみが光として存在されています。さらに、光として御言葉を与えて下さっています。神様の御言葉は、足元を安全に照らす灯火であり、進むべき道の方角を示す灯火です。私達には、神様の御言葉として聖書が与えられています。さらに旧約聖書によって預言され、新約聖書において証言されている、主イエス・キリストが明らかにされています。主イエス御自身が、神様の御言葉そのものです。その主イエスが「世の光」として私達を照らし、私達の歩むべき道を照らし、御自分に従って歩むように招いて下さっています。主イエスこそ、私達の光です。私達は主イエスを知るまで、主イエスこそ私の救い主と信じるまで、闇の中を歩いていました。しかし、主イエスを私の救い主と信じた時から「主イエスこそ我が光」と告白し、主イエスに従って歩む道が開かれました。私達の罪を贖い、新しい生命を与えて下さった主イエスを知らされた恵みの中に、主イエスの血によって立てられた新しい契約の中に、私達は生かされています。今朝も主イエスの血によって立てられた新しい契約を覚えて、聖餐の恵みに与ります。「主イエスこそ我が光」この信仰告白に生かされている群れとして、私達の教会の歩みを整えていただき、一人一人を伝道者として豊かに用いていただきましょう。

8 Comments:

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