2006/07/25

06/07/23 行いに従って報われる T

行いに従って報われる 
2006/7/23
ローマの信徒への手紙2:1_11
 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示した言葉を記した元宮内庁長官の故富田朝彦氏のメモが公表されました。東京裁判は勝者による敗者への復讐以外の何物でもないと思えますが、それが国際政治の世界です。処刑されたB、C級戦犯の人たちの苦しみ、残された遺族の方の悲しみは私たちの想像を超えるものがあります。A級戦犯は日本を戦争へ導いた政治的責任を問われたのですが、当時の国際法には戦犯を裁く法的根拠はありませんでした。もし、戦争責任を問われるのならば、国家元首であり、大元帥であった昭和天皇が戦争責任を問われるべきでしたが、アメリカ大統領の政治的判断でなされませんでした。そういう意味からすれば、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示すのは論理的矛盾だと思います。「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」との言葉は、自らの戦争責任を含めてなされた言葉ならば私たち国民にも納得のいく言葉です。
 靖国神社、「靖国」は「国を安らかにする」という意味ですが、天皇の詔によって建てられた国事殉難者を祀るための特別な神社です。戊辰戦争、西南戦争などの国内の戦争では、明治政府側の犠牲者しか祀られていません。海外で行われた戦争でも日本軍人、軍属しか祀られていません。現人神のために命を捧げた靖国の英霊を祀り、遺族を慰めるための神社でした。近代国家では武士階級、貴族階級が独占してきた職業軍人の世界も市民に開放され、徴兵された兵が軍務に付くようになりました。国家は兵隊が国家のために身命を投げ捨てることを必要としたのです。お国のために殉死した人を顕彰する施設が必要とされたのです。
 靖国神社は進駐軍と日本政府との妥協の産物です。キリスト教の信仰からすれば、靖国神社は宗教とは言えませんが、靖国の英霊を祀っている以上宗教です。宗教である以上、政教分離の憲法の規定で政府は靖国に干渉するわけにはいきませんが、靖国神社も政府との関係を絶たなければなりません。戦前、靖国神社は宗教を越える存在として理解されていました。靖国神社参拝は宗教の如何を問わずなされていたのです。キリスト者も靖国神社崇拝に矛盾を感じてはいませんでした。戦死者を祀る靖国神社を国民は宗教を越える存在と理解していたのです。戦後、靖国神社は宗教法人を隠れ蓑にして靖国参拝を既成事実化してきました。千鳥ヶ淵墓苑も無宗教とはいえ事実上は自衛隊が管理しているそうです。政教分離の原点に戻り、靖国神社と国家との特別の関係を絶たなければなりません。
 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、靖国神社参拝を拒否されたことが明らかにされたのは、日中政府の関係改善としてA級戦犯分祀を具体的に考えている政治勢力がいるということです。中国、韓国の排日姿勢は遠交近攻、遠い国と親しく交わり、近い国を攻める策と思われるので、事態の根本的解決になるのかは不明ですが、自民党の後継総裁が対中政策を見直す機会にはなると思います。中国の国内問題、貧富の差の拡大からくる社会不安に対し反日カードが使われているようですが、中国も対日政策を変えようとしているのかも知れません。
 『総て人を裁くものよ』、神から特別に選ばれた民、選民であると自認しているユダヤ人を指しています。割礼と律法の世界から解放されていないユダヤ教徒だけではなく、選民意識の抜けきれないユダヤ人キリスト者にもパウロは呼びかけているのです。神から選ばれていると思い上がり、異邦人を見下げているユダヤ人の根拠、割礼と律法は救われるためには何の力もないとパウロは決めつけているのです。むしろ、自分だけが救いに至る道を知っていると錯覚しているだけではなく、他の人々が滅びに至る道を歩んでいると蔑む者を神様は裁かれるとパウロは指摘しているのです。自分を棚に上げて、人を裁くことは、神様を知らない人以上に弁解の余地のない罪を犯しているからです。パウロは割礼と律法があることを誇りにしているユダヤ人を喩えにし、救いの道を知っていると自惚れている人々に警告を送っているのです。人間は神様の憐れみによって悔い改めに導かれるのですが、悪の道を辿り、神様を知らないと言い続ける者には悔い改めの機会は訪れないからです。神様の慈愛、寛容、忍耐が、一人一人の頑なな心を溶かし、悔い改めさせ、人生の方向を180度変えさせ、神様に向かわせるです。
 『神様はおのおのの行いに従って報われる』とパウロにしては、首を傾げるような言葉が続きますが、私たちには「信仰のみ」、信仰義認に捉われすぎて行いを軽んじすぎる傾向があります。行いに現れない信仰はあり得ないし、信仰を伴わない行いもまたあり得ないからです。パウロは『行い』か『信仰』か、二者択一を迫る単純化された議論を避けようとしています。パウロは神様の憐れみの下に身を置くか否かを激しく問い質しているのです。信仰は非常に抽象的な概念です。信仰が行い、日々の生活に現れなければ、信仰は単に心の問題として具体化されません。証しの生活が伴わない信仰は空疎なものになってしまうからです。
 パウロは神様の憐れみの下に身を置く者には永遠の命が与えられ、悪を行う者には怒りと憤りが与えられると警告しています。パウロはユダヤ人の特権、神様に選ばれた民、選民であることを認めません。悪を行う者、善を行う者についても、ユダヤ人であるから、ギリシア人であるからといって特別視されることはないと主張しています。神様はユダヤ人でもギリシア人でも分け隔てなさることがないからです。神様はおのおのの行いに従って報われるからです。
 初代教会の人たちには信仰は非常に具体的なものでした。哲学者が観念の世界で遊ぶのとは意味が違いました。信仰を持てば周囲の無理解の中で生きて行かなくてはならなかったからです。キリスト者の数は非常に少なく、教会堂すらありませんでした。日曜日に礼拝を守ることは、通常の仕事に就けないことを意味しています。礼拝は有力者の家で行われたでしょうが、そこに集まる信徒の多くは社会的弱者でした。彼らにとっては信仰生活を守ることは闘いであったのです。
 パウロはローマの信徒へ宛てて手紙を書いていますが、この手紙はローマ帝国内に散らばる教会で読み上げられました。信徒たちのほとんどは文盲、字を読むことができない人々でした。教会で読み上げられた手紙の内容さえも理解できなかったかも知れませんが、地平線の遙か彼方から来た手紙を喜んで受け入れたに違いありません。例え辺境の地にある自分たちの群れは小さくとも、自分たちの群れを覚えていてくれる仲間がいることが、各教会の信徒を力づけたでしょう。
 ユダヤ人には神様から特別選ばれた民、選民としての誇りがありました。エルサレム教会も割礼と律法の遵守から解放されていませんでした。ユダヤの慣習に染まり、神殿詣でも続けられていました。パウロの自由主義教会、異邦人教会とユダヤ主義、ユダヤ人教会との間には福音理解について溝ができていきました。異邦人を見下げるユダヤ人教会、ユダヤ人キリスト者に対しパウロは主の憐れみの下に身を置くかどうかが主の裁きの基準であることを明らかにしました。
 パウロは氏素性の正しいユダヤ人でガマリエル門下で学んだラビです。彼はダマスコ郊外での回心で主を迫害した者から主を宣べ伝える者へと変えられました。彼にもユダヤ人としての誇り、選民としての誇りがありましたが、主の福音の前では意味のない誇りであることに気づかされたのです。パウロは誰よりもユダヤ人同胞の救いを願いましたが、ユダヤ人の方が彼から離れていったのです。
 パウロはまずギリシア人も森羅万象を通して神の真理を啓示されているのにも拘わらず、偶像礼拝をしている罪を指摘しました。神様はその様な異邦人を恥ずべき情欲に任せられたと指摘しました。彼は返す刀でユダヤ人であることが主の裁きから逃れる理由にならないと一刀両断しました。自らを正しいとする者はユダヤ人、ギリシア人、あるいはキリスト者であろうが主の日に裁かれるからです。
 このパウロの主張は従来のユダヤ人、ギリシア人、あるいは善、悪という二分法を越えて、神様の主権に総てを委ねることが救いに至る道であることを明らかにしたものでした。パウロは神学的思考、哲学的思考のできる人でしたが、実践家でもありました。彼の手紙を読むと原理原則論では割り切れないトラブルに具体的に答えているのが分かります。主張が時により異なるので戸惑うこともあるのですが、一貫しているのは主の憐れみの下で生きなさいということでした。
 ローマ帝国はギリシア世界、アフリカ北岸、イタリア本国、ヨーロッパ、イベリア半島などを含む広大な帝国でした。多宗教、多文化、多民族国家でした。ローマ法が機能していましたが、地方分権が進んだ国でした。属国には属国に相応しい法律や宗教や慣習が認められていたのです。カトリック教会のような中央集権化した制度はありませんでしたが、教会のネットワークが発達していました。
 パウロやその他の信徒が書いた手紙もローマの交通網に載って行き来しました。国境の防衛戦でも手紙のやりとりはできました。しかし東西南北数千キロメートルに渡る帝国内では、手紙が改竄されたりすることもありました。公用語はギリシア語ですが、国々の言葉もあります。習慣も違いますから、手紙の内容が正確に伝わらない場合も多くありました。パウロは基準にすべき物、規範、聖典が確立していない状況の中で、主の憐れみの下に身を置きなさいと勧めたのです。
 キリスト教が広がれば広がるほど、信仰の規範が必要とされてきたのですが、現在の聖書が聖典と定められたのは後世のことです。当時は色々の手紙、福音書が出回っていました。現代の私たちから見ればこれがキリスト教と思われるものもありました。確かなのは「主の十字架」と「復活」であり、「イエスは主である」という信仰告白です。多数の教会が並立しながらネットワークを組んでいたのが、3世紀までの教会です。教会の多様性を認めながらも、パウロは主の憐れみの下に身を置く信仰を教会のスローガンとして用い、統一性を模索したのです。
 『主は行いに従って報いになられる』、パウロ神学を前提として考える現代の私たちからすると不可思議なパウロの言葉ですが、信仰は哲学のような観念の世界の産物ではなく、具体的な応答が要求されたのです。パウロの時代には迫害は始まっていませんでしたが、信仰に生きることは文字通り村八分の生活を受け入れることでした。親族を捨て、仕事を捨て、信徒の交わりの中だけで生活することに耐えなくてはならなかったのです。信仰生活は社会との闘いの生活でした。
 証しの生活は世の無理解と闘いながら、「あの人のようになりたい」と周囲の人に思わせるような生活を送ることでした。隠遁生活を送る修道院のような教団もありましたが、多くのキリスト者は社会生活を営みながら、日曜日に礼拝を守っていました。日曜日に休む習慣のないローマ世界で、日曜日に礼拝を守ることがどれほど破天荒なことであったかは想像に難くありませんが、それを守り通すことが証しの生活であったのです。信徒の多くは社会的弱者、女性や奴隷、下層市民、貧農などでした。礼拝を守ることだけでも人一倍の努力がいることでした。
 日曜日が休みになったのは明治になってからです。江戸時代は休みは盆と正月だけでした。日曜日が休みでない時代に礼拝に出ることは至難の業だったでしょう。信仰生活を守るということは周囲からの軋轢に晒されるということです。信仰は生活そのものであったのです。『行いの伴わない信仰』はあり得なかったのです。私たちは信教の自由に守られ、信仰生活の厳しさを忘れ去っています。
 宗教改革の三原則『信仰のみ、聖書のみ、万人祭司』を貫くために、ヨーロッパでは宗教戦争が起きました。現在のイラクのテロとは桁違いの犠牲者が出ました。信仰はそれだけ多くの先達の血で贖われているのです。現在の日本の平和も多くの人々の血、300万人を越える同胞の血と、3000万人を越えるアジアの人たちの血に贖われているのです。平和は無償で得られるものではないのです。
 キリスト教は血なまぐさい宗教です。主が十字架の上で流された血潮で私たち人間の罪が贖われたことを信じるからです。聖餐式も主の血潮を想起、思い起こす儀式です。ユダヤ人的な血に命が宿っている感覚が強く残されています。農耕民族である日本人、総てを水に流す日本人には受け入れがたい感覚なのです。
 「清く、正しく、美しく」、日本人の情緒的な感覚では主の十字架での血潮で私たちの罪が贖われたことを実感しがたいのです。観念の世界の中だけで福音を捉えると主の愛と恵みだけが一人歩きしてしまうのです。信仰に生きることが行い、この世との闘いを伴うことを私たちは忘れ去ってしまいやすいのです。
 私たちには罪を赦された者としての生き方があります。一方では主の赦しに感謝し、他方では隣人を赦すことが必要なのです。主が私を愛してくださるように私の隣人を主が愛しておられるから私たちは愛し合うことができるのです。人間的な思いからすれば兄弟姉妹と呼べない相手がいるかも知れませんが、主に等しく愛されている者同士だから、主の肢体である教会では兄弟姉妹なのです。
 私たちには時として厳しさが必要とされる時があります。信仰を守り抜くことはこの世との闘いの中に身を置くことですが、主の憐れみの中に身を置くことが闘いに勝利する道なのです。ヘブル書2章、『事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです』。                     

2006/07/16

06/07/16 情欲に任せられた T

情欲に任せられた
2006/7/16
ローマの信徒への手紙1:24?31
 世界第2位の富豪で投資家のウォーレン・バフェット氏が世界第1位の富豪でマイクロソフト社創業者のビル・ゲイツ氏が経営する財団、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金に約4兆の財産を寄付することにしました。
 バフェット氏は金融投資の世界、M&Aで成功し、一代で世界2位の富豪になりましたが、生活は質素なものだそうです。彼は富める者が子孫に遺産を遺すことに批判的で、ブッシュ政権の相続税軽減政策に反対しています。彼は富める者が財産を子孫に残すのは、2006年度のW杯出場者の子供に、20030年のW杯を争うようなものだと批判しています。バフェット氏は「税金を払って財務省に任せるより、ビル・ゲイツ夫妻の財団の方がお金の効用を最大化してくれる。私が投資の能力で他人より優れているように、社会還元ではゲイツ夫妻の財団が優れている」と言っているようです。 
 ビル・ゲイツ氏もウインドウズシリーズを開発し、世界標準OSソフトにしました。マイクロソフト社の創業者として世界一の金持ちになりましたが、彼の大好物はハンバーグで、ジーパンを愛用しています。ビル・ゲイツ氏も第一線から引退することを既に決めているので、 世界第1位と2位の富豪、アメリカンドリームの体現者が財産を社会に還元することに決めたのです。
 キリスト教国であるアメリカでは人は「神の栄光を地上に現すために働き、死ねば地上で得た物を神の元へ返す」ことを信じている人は少なくありません。西郷隆盛が「児孫のために美田を買わず」と言い残したのは有名な話ですが、彼らが財産を子孫に残すよりも、社会に還元する道を選んだのとは意味が違います。彼らがキリスト者であるかどうかは分かりませんが、地上で得た富を社会に還元するのはアメリカではスマートな生き方とされるのでしょう。
 アメリカでは多くの財団が設立され、富の社会還元の一翼を担っています。慈善事業、教育事業、文化事業などを各種の財団が支えています。社会還元は税制面でも優遇され、社会にもバックアップ体制が整備されています。例えば、ハーバード大学を始め私立大学の運営費は寄付で賄われています。税金が運営費の多くを占めている日本の私立大学とは性格が根本的に違います。
 ホリエモンに代表されるヒルズ族は、お金を稼ぐのを自己目的化してしまい、何のためにお金を稼ぐのかが分からなくなっていたのではないでしょうか。勝ち組になった彼らは持ちなれないおもちゃを与えられた子供と同じで、財産を使いこなすための想像力が欠如していたように思えます。
 オウム真理教に走った有名大学出身の科学者にも感じられたのですが、想像力の欠如した人間、デジタル思考しかできない人間からは人間としての潤いが感じられません。現代の知識偏重の教育は子供から想像力を奪ってしまったのではないでしょうか。子供の時から文芸作品に親しませ、幅広い教養を身につけさすことが必要だと思います。教会学校も幼い心を育てるためにあるのです。
 パウロは神様は人間に自由を与えられたが、その自由を人間は濫用していると主張しています。人間の欲望に従えば不潔なこと、性的な乱れがローマ世界の中で蔓延していると指摘しているのです。さらに、ローマ世界の中では偶像礼拝が盛んに行われ、多くの人々が神の真理を疎かにしていると嘆いているのです。パウロは、例えギリシア人でも森羅万象の中に創造主なる唯一の神ヤーウェを見ることができるのに、悔い改めのために足を踏み出さない人々を糾弾しています。
 多宗教、多民族、多文化社会に生きるローマ世界の人たちに、一神教の世界、唯一の神ヤーウェのみを崇めて生きるユダヤ人は受け入れられていないように、キリスト者も唯一の主のみを信じ、多神教の世界、偶像礼拝の世界から離れて生きようとしているので、ローマ世界では異分子として扱われていました。
 一夫一妻制のキリスト者はローマ世界に満ち溢れている性的な放縦から背を向けて生きていました。性的な放縦の根源にはローマ世界各地にある豊饒の神々を祀る神殿、民間信仰の拠点が大きな役割を果たしていました。巫女と交わることにより霊験が分け与えられると信じていました。ローマ市民の間では一夫一妻制は事実上崩れており、離婚、結婚の繰り返しがむしろ普通になっていました。
 神様はその様なローマの現状を放置なされたのです。人々の情欲が赴くままに生活することを放任なされたのです。人間はますます恥ずべき行為にのめり込んでいきました。男も女も自然の関係、男女の正常な交わりを捨てて、同性愛、小児愛など異常な性愛にうつつを抜かしていました。皇帝、貴族から市民に至るまで絢爛豪華たる公衆浴場で淫らな行為に耽ったと言われています。道徳的、倫理的な逸脱は彼ら自身を貶めることになりました。彼らは無価値な思いに渡され、してはならないことをするようになったのです。神を認めない彼らが払うべき当然の報いを受けたのです。神の裁きは彼ら自身の行いに現れているのです。
 パウロは不義、悪、貪り、悪意、妬み、殺意、不和、欺き、邪念、陰口、誹り、神を憎悪、侮り、高慢、大言壮語、悪事、親不孝、無知、不誠実、無情、無慈悲、と悪徳表を掲げています。これはパウロの独創ではなく、広くヘレニズム世界に行き渡っている悪徳を取り上げたものですが、心の問題に集中しており、宗教の領域というよりはむしろ社会生活の領域にまで踏み込んだものです。彼らは悪を行う者が死に値するという神の定め知りながらもなお悪から離れられないのです。異邦人は唯一の神ヤーウェを知る機会が与えられていながらも、主を認めることを拒否し、道徳的にも倫理的にも乱れた生活を送っているのです。特に性的な乱れは彼ら自身の欲望をさらにかき立てるだけではなく、人間の本能に逆らう愚かな行動の行き着く先は自滅しかないのです。異邦人は主を知りながらも彼らの情欲のおもむくままに悪を行っているのです。それだけではなく、他人が悪を行うのも是認しているのです。異邦人の根本的な問題は、悪を悪として認識できず悪を行ってしまうのではなく、悪を悪として認識できるのにも拘わらず悪を行う点にあります。彼らは確信犯ですから、彼らには弁解の余地はないのです。
 ローマ世界の人々にも森羅万象を通じて唯一の神を知る機会が与えられているのにも拘わらず、まるで神がいないかのように、死に値する行動を平然と行っている異邦人には弁解の余地はありません。なぜなら彼らは確信犯であるからです。
 パウロはローマ世界の人々が、偶像礼拝に陥っている現状を鋭く批判しています。厳格な一夫一妻制のユダヤ人やキリスト者にはローマ世界に住む人々の性的な乱れは目に余るものでした。豊饒の神々はローマ世界の至る所に祀られたいました。豊饒の神々は地の実りが豊かであり、子供が多く生まれるように祈りを捧げた神々なので、本質的に性に対し大らかでした。乳房が一杯あるような豊満な女性像が発掘されています。神々の神殿では犠牲が捧げられると共に、男女の淫らな交わりもあったようです。巫女と交わることにより神の力、霊験が与えられると信じられていたからです。神殿娼婦による売春も元来は宗教的な儀式でした。
 ローマ人は入浴の好きな民族でした、帝国内の至る所に豪華絢爛たる大理石造りの公衆浴場がありました。男女が浴場で淫らな行為にふけることも珍しいことではなかったようです。ローマでは結婚、離婚も単にパートナーを取り替える感覚で行われ、男女を問わず一生の間に何回も結婚を繰り返すのが普通でした。子供は女性の家で育てられ、父親が違う子供が何人もいるのが普通であったようです。一人のパートナーと生涯を共にするのは、変人の部類に入ったと思えます。
 パクス・ロマーナ、ローマの平和と言われる時代で、防衛戦で前線勤務をする兵士を除き、ローマでは平和が続きました。世界中の富がローマに集中しました。世界各地から山海の珍味が集まってきました。ローマ版バブルが起きていました。平和が続き、市民は労働、兵役から解放され、奢侈な生活を楽しみました。飲めや歌えの生活が続き、円形競技場でも様々なイベントが繰り広げられました。皇帝や貴族は競って公衆浴場や円形競技場を建設し、イベントを主催しました。
 ローマは内部から崩壊しつつありました。人々の止めどもない欲望を満たすために、あらゆることが試みられました。道徳感、倫理感は人々の心から失せていきました。「何でもあり」の世界の中で人心は荒廃してきました。豊饒の神々は人々の心から欲望を解き放ちました。ブレーキを失ったローマは繁栄の絶頂にあるかのように見えましたが、坂から転がり落ち始めていたのです。帝国の防衛戦、国境を東方ではパルティアが西方でゲルマニアが犯し始めていたのです。
 一方、教会はバブルで浮かれているローマ帝国内の各地に静かに進出し始めていました。人と物の往来が頻繁になると共に、教会は各地に進出していきました。異教の神々は供え物をし、礼拝をするだけで、教義と言われるものはなかったので、教典と言われるものはありませんでした。それに引き替え、教会は文書の交換が盛んでした。3世紀まで、教会は独自の建物を持たず、有力者の自宅を解放して礼拝を守ったと思われますが、礼拝の中で様々な文章が読み上げられたと考えられます。それらが取捨選択されて聖書が定められたのは後世のことです。
 文字が読める人は非常に限られていましたが、礼拝の中で有力者が文章を読み上げ、会衆、文盲の社会的身分が低い人がそれを聴いていたのでしょう。パウロが書いた手紙以外にも多くの手紙や福音書、四福音書以外にも多くの人が書いた福音書が知られていますが、それらが教会間で回し読みされました。ユダヤ教、教会の信仰は文書で裏打ちされた信仰である点で、異教の神々への信仰とは根本的に違います。文字で表される信仰には理性が伴います。道徳、倫理にも厳しくなります。人間の欲望を反映しただけの偶像礼拝とは質的な違いが見られます。
 パウロは唯一の神は森羅万象を通して自らを啓示なされているのにも拘わらず偶像礼拝が横行しているローマ世界の現状に怒りを覚えています。神様を知りながらも神様から離れていく異教徒は、道徳感、倫理感に反し、死に値する行動を感情のおもむくままに行っているのが、神様からの怒りの表れだということを知らないのです。特に性的な乱れは、ローマ帝国を根本から腐らせていきました。
 神様を知らないから善悪の区別が付かないのではなく、神様を知りながらも死に値する行動を行うだけではなく、他人の行いも是認してしまう異教徒には弁解の余地がありません。その報いを既に受けているとパウロは強調するのです。
 ローマ帝国は多宗教、多文化、多民族国家でした。一神教であるユダヤ人は紀元70年エルサレムが陥落し、イスラエル共和国が建設されるまで2000年間、離散のユダヤ人として過ごしました。教会は4世紀、コンスタンティヌス大帝の時代までは、帝国内で静かに勢力範囲を広げていきました。ローマの偶像礼拝は神々を崇める時代から皇帝を崇める時代に変わりましたが、教会は立ち続けました。
 ローマ帝国が衰退して原因の一つには、道徳観、倫理観の衰退がありました。人々は教会に道徳、倫理の基準を求めたのです。神の律法の実現を求めたのです。教会にも「この人のようになりたい」と思わせる人材が輩出しました。パウロや四福音書の著者以外にも多くの人々が手紙や福音書を書き記しました。それらは何度も書き写され、各教会で回覧されました。多くの信徒は社会的弱者で文盲でしたが、礼拝で教育のある有力者がそれらを朗読しました。伝道の主体となったのは名もない人々でした。彼らの証しの生活こそが伝道への力となったのです。
 私たちは高度な情報化社会に生きています。日曜日の礼拝で語られることが唯一の情報源の時代とは違います。様々な雑音が入ってきます。御言葉に集中できない環境の中で、主の福音を聞き分ける賢さが求められるのです。伝道の基本は昔も今も変わりません。証しの生活こそが人々を主の福音に向かわせるのです。
 日本ではクリスチャンには良いイメージ「道徳的、倫理的な規範が高い」、が定着していますが、パウロの時代の教会もそうでした。社会の道徳的、倫理的な規範が崩れてくると、危機感を抱く人も出てきます。その様な人々に向かって教会は神の律法を説かなくてはならなかったのです。形式的な律法に拘ったユダヤ人ではなく、私たちは神の愛、神の律法を証ししなければならないのです。
 神の律法を解くキーワードは愛です。いかに高邁な理想も愛がなければ空しいのです。パウロはコリントの信徒へ『愛がなければ、私たちは騒がしいどら、やかましいシンバル』と書いた手紙を送っています。様々な書物が出ていますが、愛の裏付けがない知識をいくら貯め込んでも、血となり肉となる事はないのです。
 ギリシア人は哲学で真理を究めようとし、ローマ人は法学を行動原理にしました。ユダヤ人は神学が総てでしたが、真理に到達することはできませんでした。プロテスタント教会は宗教改革の三原則『信仰のみ、聖書のみ、万人祭司』の上に立っていますが、教会は主が再臨なさる日まで主を待ち望み続けるのです。
 教会で最も必要とされるのは愛です。『自分を愛するように隣人を愛せよ』が教会の行動原理です。視点がここから離れなければ、後は応用問題です。礼拝に集い、御言葉に耳を傾け、祈りを合わすのもこの原理を再確認するためです。

2006/07/11

06/07/09 神と出会う備えをせよ M

2006年7月9日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
神と出会う備えをせよ
アモス書4章12_13節
讃美歌 20,340,385
堀眞知子牧師
4章も3章と同じように、ヘブライ語原文では「聞け、この言葉を」という言葉で始まります。そして3,5,6,8,9,10,11節は「主は言われる」という言葉で終わっています。さらに6,8,9,10,11節は、その前に「しかし、お前たちは私に帰らなかった」という言葉が繰り返されています。北イスラエルの退廃した姿、そして裁きの言葉が記されています。「聞け、この言葉を」の第2部は、サマリアの女性達への非難から始まります。アモスは「サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ」と呼び掛けます。バシャンはガリラヤ湖東岸の肥沃な平原で、牧畜に最適な場所です。申命記32章に「彼らは、牛の凝乳、羊の乳、雄羊の脂身、バシャンの雄牛と雄山羊、極上の小麦を与えられ、深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ」と記されているように、バシャンの牛や山羊は肥え太っていて、極上のものでした。同時に詩編22編に「雄牛が群がって私を囲み、バシャンの猛牛が私に迫る」と記されているように猛々しくもあり、力のある敵をも象徴する言葉でした。サマリアの裕福な女性達の姿は、バシャンの雌牛にたとえられています。彼女達は弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げていました。もちろん女性が直接、公の場に出ることはありませんが、彼女の夫や父親が、弱く貧しい者から搾取した金銭によって、贅沢な暮らしを送っていました。また夫に対し「酒を持ってきなさい。一緒に飲もう」と言うことができる、つまり働くことなく酒を飲める生活を送っていました。これは女性達が一方的に悪かったというのではなく、北イスラエルという国そのものが悪事を働き、怠惰な生活を送ることができる社会構造になっていたのです。
悪徳が栄えている状況に対し、神様の裁きの言葉が語られます。しかも神様は「厳かに誓われ」ます。弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げることは、彼らを傷つけることですが、それ以上に神様の前に人間の力を誇ることです。弱者を守ろうとしない者、財力を自ら得たかのように振る舞う者は、自分を中心に生きていることであり、神様に対立する生き方です。神様に背く者として、裁きの言葉が語られます。「見よ、お前たちにこのような日が来る。お前たちは肉鉤で引き上げられ、最後の者も釣鉤で引き上げられる。お前たちは次々に、城壁の破れから引き出され、ヘルモンの方へ投げ出される」サマリア陥落の日、アッシリア捕囚の日のことが語られています。「最後の者も」と語られているように、今は裕福な生活、贅沢な生活を送っている女性達が一人残らず捕虜となり、アッシリアに連れて行かれる惨めな姿、徹底した敗北の姿が明らかにされています。捕虜となった女性達は、アッシリアが破壊した城壁から引き出され、バシャンの北に位置するヘルモン山、アッシリアの支配する土地へ連れて行かれるのです。神様に背いて、貧しい者を犠牲にし、贅沢な生活を送ってきた人々は、神様の裁きを受けることになります。
次にアモスの言葉は、形式的な礼拝に向けられます。そして今まではサマリアで語られていましたが、ここでアモスは、ベテルへ移動したと考えられます。祭りのために集まった人々を前にして、彼は語ります。そこには大勢の人々が集まり、いけにえをささげる煙、パンを焼く匂いが満ちていました。「ベテルに行って罪を犯し、ギルガルに行って罪を重ねよ。朝ごとにいけにえを携え、3日目には10分の1税を納めるがよい。感謝の献げ物に酵母を入れたパンを焼け。大声で、随意の献げ物をする、と触れ回れ。イスラエルの人々よ、それがお前たちの好んでいることだ」ベテルは北イスラエルの最初の王ヤロブアムが、金の子牛を置いて聖所とした場所です。またギルガルにも聖所がありました。聖所に行く、それは礼拝のためです。ところがアモスは「ベテルに行って罪を犯し、ギルガルに行って罪を重ねよ」と言いました。前回も申しましたように、アモスが預言者として召された時、アッシリアは無力な王のために一時的に衰退しており、北イスラエルと南ユダは領土を拡張し、経済的に豊かな時代でした。北イスラエルはヤロブアム?世のもと、この世的な繁栄を謳歌していました。彼らは豊かな財力に従って、神殿へ十分な献げ物をしていました。彼らは朝ごとにいけにえを携え、3日目には10分の1税を納め、感謝の献げ物に酵母を入れたパンを焼き、随意の献げ物をしていました。朝ごとのいけにえとか、3日目ごとの10分の1税などは、聖書に規定がありません。規定がないから献げ物をしてはいけないというのではありませんが、彼らは熱狂的に献げ物をしていました。またレビ記7章に感謝の献げ物として、酵母を入れて作った輪型のパンをささげることが記されていますが、焼いてささげる物ではなかったようです。さらに随意の献げ物をする時、大声で「随意の献げ物をする」と触れ回るような、人目に立つ行動を取っていました。
イスラエルは、神様に対する心からの感謝からではなく、人に注目されたい、人から称賛を受け社会で認められ、自己満足を得たいという思いから、献げ物をしていました。神様は「イスラエルの人々よ、それがお前たちの好んでいることだ」と、彼らの心を見抜いて語られました。彼らは神様ではなく、人間を中心にして礼拝をしていました。アモスは、人間が神様に対していかにあるべきか、その基本を問い質すように厳しい言葉を述べました。礼拝は他人に誇るものでもなければ、自己満足に終わるものでもありません。また献げ物によって神様を味方に付けるもの、いわゆる御利益宗教ではありません。絶対者であり、主権者である神様の前に、私達が畏れをもってひれ伏し、すべてを神様に委ね、神様を賛美する、それが礼拝です。けれどもアモスの時代、イスラエルは神様の恵みを得るために熱心に献げ物をしていました。彼らは神様を追い求めながら、実は神様から遠ざかる道を歩んでいたのです。
4?11節には、最初に述べましたように「しかし、お前たちは私に帰らなかったと主は言われる」という言葉で締めくくられている、5つの警告が記されています。神様が天災などを通して、イスラエルを警告してきた事実が記されています。
第1に神様は「私もお前たちのすべての町で、歯を清く保たせ、どの居住地でもパンを欠乏させた」と言われました。「歯を清く保たせ」とは、飢饉によって食べ物がなくなり、食べることができなくなったために、歯が汚れなかったことを意味しています。第2に神様は「刈り入れにはまだ3月もあったのに、私はお前たちに雨を拒んだ。ある町には雨を降らせ、ほかの町には雨を降らせなかった。ある畑には雨が降ったが、雨のない畑は枯れてしまった。2つ3つの町が水を飲むために、1つの町によろめいて行ったが、渇きはいやされなかった」と言われました。収穫前の雨が降らないと、干ばつに襲われ、それまで育っていた穀物が枯れてしまいます。しかもイスラエルは狭い国土であるにもかかわらず、雨は部分的に降ったり降らなかったりするのです。そこには神様の自由な意志、自然を支配される神様の御力が示されています。あるいは雨が降る町があり、雨が降る畑が残されたのは神様の憐れみであり、悔い改めの機会を与えられたのかもしれません。第3に神様は「私はお前たちを黒穂病と赤さび病で撃ち、お前たちの園とぶどう畑を枯れさせた。また、いちじくとオリーブの木は、いなごが食い荒らした」と言われました。穀物の病気といなごの害は、食糧不足につながります。第4に神様は「かつて、エジプトを襲った疫病を、私はお前たちに送り、お前たちのえり抜きの兵士と、誇りとする軍馬とを剣で殺した。私は陣営に悪臭を立ち上らせ、鼻をつかせた」と言われました。これは、出エジプトのできごとを思い起こさせます。エジプトで奴隷であったイスラエルを助けるために、神様はエジプトに10の災いを下されました。その中には疫病の災いがあり、また最後の災いでは、エジプトの国中の初子、ファラオの初子から奴隷の初子、家畜の初子まで死にました。同じような疫病がイスラエルにもありました。さらに「剣で殺した」とも言われていますので、戦争による被害、多くの兵士や軍馬が死んで、そのまま放置され、悪臭を放つほどの被害がもたらされました。第5に神様は「かつて、神がソドムとゴモラを覆したように、私はお前たちを覆した。お前たちは炎の中から取り出された、燃えさしのようになった」と言われました。これは地震を意味しているのかもしれません。ソドムとゴモラの町が一夜にして消え去ったように、破滅的なできごとが起こりました。そしてイスラエルは、炎の中から取り出された、燃えさしのように、命からがら救い出されました。
これらのできごとすべてが、アモスの時代あるいはその直前に起こったというのではありません。北イスラエルの200年近い歴史の中で、神様の警告としてなされた御業でした。イスラエルの悔い改めを導くために、神様がなされた御業でした。神様の忍耐とイスラエルの頑なさ、それが200年近い歴史の中で明らかにされたのです。しかも、このような警告が与えられたにもかかわらず、イスラエルは神様に帰らなかったのです。飢饉と欠乏もイスラエルを動かしませんでした。干ばつも、イスラエルが自らの状況を見きわめるのに何の助けにもなりませんでした。黒穂病と赤さび病といなごは、穀物をだめにしましたが、イスラエルの目を開くことはありませんでした。疫病や戦争による被害も、イスラエルにとっては無駄でした。ソドムとゴモラの町に起こったような破滅的なできごとにおいてすら、イスラエルは自らの危機的状況を理解することができませんでした。といって、全く何もしなかったというのではないでしょう。それなりに対処はしたでしょうが、それは政治的・経済的な対策、つまり人間の力の範囲内にしか過ぎなかったのです。神の民イスラエルとして、根本的に生き方を変えなければならない、神様に立ち帰らなければならない、そこに目を向けることができませんでした。惰性的な生き方から、自分達を引き離すことができませんでした。
列王記で、イスラエルの王が立てられるたびに繰り返されていた言葉「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった」指導者である王が罪から離れることができなければ、民も罪から離れることができません。アモスが預言者として立てられる前に、すでにエリヤやエリシャが遣わされていましたが、イスラエルは神様に立ち帰りませんでした。200年近い歳月、神様に背いて歩いてきた歴史を省みることができませんでした。根本的な問題が、どこにあるかを見きわめることができませんでした。彼らは豊かな財力に従って、神殿へ十分な献げ物をすることが神様に近づく道であると考えていました。神様の御心を尋ね、神様にすべてを委ねて歩むことができませんでした。偶像礼拝の罪から抜け出すことができませんでした。「しかし、お前たちは私に帰らなかった」イスラエルは誤った宗教心に陥り、その頑なさから抜け出る道を見失い、ついに神様に立ち帰ることができませんでした。
 悲惨なできごとを通しての、たびたびの警告にもかかわらず、神様に立ち帰ることのなかったイスラエルに対し、神様はアモスを通して、もう一度、呼び掛けます。「それゆえ、イスラエルよ、私はお前にこのようにする。私がこのことを行うゆえに、イスラエルよ、お前は自分の神と出会う備えをせよ」アモスの目の前にいるイスラエルは、ベテルの神殿で熱心に礼拝をしています。けれども、それは形式的礼拝にしか過ぎません。彼らに対し、神様は「私はお前にこのようにする。私がこのことを行う」と言われました。「このように、このこと」という言葉が、具体的に何を指しているのかは分かりません。イスラエルは神様に期待していました。豊かな献げ物をしている自分達に、神様が恵みを与えて下さることを期待していました。しかし、神様が語るのは裁きです。神様に対する畏れと感謝からではなく、人間中心の礼拝を行っているイスラエル、唯一なる神様を見失ったイスラエルに対する裁きです。そのために「自分の神と出会う備えをせよ」と言われました。
「神と出会う備えをせよ」イスラエルが出会うべき神様は、どのような神様であるのか。アモスは語ります。「見よ、神は山々を造り、風を創造し、その計画を人に告げ、暗闇を変えて曙とし、地の聖なる高台を踏み越えられる。その御名は万軍の神なる主」目に見える山を造り、目に見えない風を創造される御方。自らの御計画を人に知らせる御方。暗闇に光を与える力を持つ御方。イスラエルの王達が築いた聖なる高台を踏み越える御方。すべてを超える御力を持つ御方です。
私達は神様が創造主であり、救い主であることを知らされています。聖日ごとの礼拝において神様を賛美します。礼拝において、私達は神様と新たなる出会いの時を備えられています。新たなる神様との出会い、それは喜びの場です。けれども今日の箇所でアモスが語る出会いは、裁きの時の出会いです。アモスを通して語られた神様の御言葉は厳しいものです。私達は神様に対して、救いと憐れみを求めます。確かに神様は、私達を救われる御方ですが、裁く御方でもあります。私達はともすれば、この神様の厳しさを忘れているのではないでしょうか。礼拝は神様と出会う場です。そして私達が、1週間の歩みを振り返る時です。神の民としてふさわしい歩みをなしてきたか。そのことを神様に、また自身に問い掛ける時です。困難や苦難のすべてが、神様の警告のしるしではありません。けれども自らの歩みを振り返る機会にはなります。「しかし、お前たちは私に帰らなかったと主は言われる」これは、私達の人生における劇的なできごとを考えるために、また今、私達の歩いている道を考えるために、そして私達が初めに喜びをもって信仰を受け入れた時に歩いた道を、なお歩んでいるかを問うために、助けとなる言葉です。もし私達が、自分にとって都合の良い神、自分の願いを満たして下さる神を望んでいたら、それは偶像礼拝の罪に陥る危険性を含んでいます。まず神様の御心が地上に現されることを願う。そのために自らの体を差し出す。礼拝は、そこから始まります。新たなる神様との出会いの場として、喜びの場として、聖日ごとの礼拝を守れるように、日々の歩みの中で、神様と出会う備えを、神様によって整えていただきましょう。

2006/07/08

2006/07/02 主なる神が語られた T

2006年7月2日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主なる神が語られた
アモス書3章1_8節
讃美歌 68,2_154,241
堀眞知子牧師
サマリア陥落まで、もう40年もありませんでしたが、北イスラエルの人々は全くそのことに気付いていませんでした。むしろアモスが預言者として召された時、アッシリアは無力な王のために一時的に衰退しており、北イスラエルと南ユダは領土を拡張し、経済的に豊かな時代でした。北イスラエルはヤロブアム?世のもと、この世的な繁栄を謳歌していました。アモスは「主は言われる」と言葉を繰り返しながら、罪の告発と裁きの言葉を語った後「イスラエルの人々よ、主がお前たちに告げられた言葉を聞け」と命じます。ここはヘブライ語原文では「聞け、主があなたがたに語ったこの言葉を、イスラエルの子供達よ」となっています。まず「聞け」とアモスは語り、人々に注意を促します。何を聞けと言うのか。それは神様がイスラエルに語った言葉です。さらにイスラエルは、神様から「子供達」と呼ばれる特別な関係の中にありました。それは「私がエジプトの地から導き上った」「地上の全部族の中から私が選んだのは、お前たちだけだ」という神様の言葉の中に、はっきりと示されています。
イスラエルという名前は、もともとヤコブに与えられた名前でした。それが民族の名前として最初に記されているのは、出エジプト記1章7節です。エジプトで奴隷状態の中にあった時「イスラエル」という名前が、民族の名前となりました。神様は出エジプトの指導者としてモーセを召し出された時、自らを「私はあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と名乗られました。そしてモーセに「私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、私は降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。今、行きなさい。私はあなたをファラオのもとに遣わす。我が民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と言われました。モーセは最終的には神様の召しに応え、エジプトからイスラエルを導き出し、シナイ山で「十戒」をいただき、荒れ野の40年の旅を導きました。エジプトからカナンまで、イスラエルの不平に悩まされ、神様の怒りにあいながらも、神様への執り成しの祈りを怠ることなく、自身はカナンの地に入ることなく、その生涯を終えました。彼を支えたのは、燃える柴の間から「私はあなたと共にいる」と約束された神様の御言葉でした。また人間の目から見れば、指導者はモーセでしたが、イスラエルをエジプトの地からカナンへ導き上る、という御業をなされたのは神様御自身でした。
さらに神様は「お前たちだけだ」と言われました。2節前半は原文では「お前たちだけを私は知った。地上のすべての民族の中から」となっています。「お前たちだけ」という言葉が強調されています。神様は地上のすべての民族の中から、イスラエルだけを知ったと言われました。それはモーセを通して言われたように「あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた」という御言葉と同じです。そして神様は、イスラエルを御自分の宝の民とした理由として「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」と語られています。イスラエルが選ばれた理由は、神様のイスラエルに対する愛と、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた誓いです。愛も神様の一方的なものであり、誓いも神様の一方的なものです。人間の目からすれば「偏愛」としか言いようのない愛です。けれども逆に言えば、ここにこそ神様の主権性、絶対性が明確に表れています。人間の目からすればはっきりと分からない理由、不条理にさえ思われる理由、それは神様が創造主であり、私達が被造物にしか過ぎないからです。被造物にしか過ぎない私達に、神様の深い御計画、御心を測り知ることはできません。そのようにして神様は「イスラエルだけを知った」と言われました。「知った」という言葉は「選んだ」という言葉よりも、もっと深い人格的関係を表しています。神様は御自分の契約の相手方として、イスラエルを地上のすべての民族の中から選び出されたのです。
イスラエルは、アモスを通して神様が語られた「私がエジプトの地から導き上った」「地上の全部族の中から私が選んだのは、お前たちだけだ」という人間の歴史に現された、神様の御業は認識していました。けれども神様によって「選ばれた」という事実について、その真意、神様の御心を誤解していました。出エジプト、荒れ野の40年を経て約束の地カナンに侵入し、士師の時代を経てイスラエル王国が立てられ、ダビデ・ソロモンによって王国の基礎が築かれました。そのような歴史の中で、イスラエルは神様の守りと導きを経験しましたが、逆に誤った特権意識に陥ってしまったのです。イスラエルは、自分達は神様によって選ばれた特別な民であり、常に神様の守りの中にあり、何をしても罰を与えられることはない、と考えるようになったのです。神様がイスラエルを選ばれた、地上のすべての民族の中から選び出された、そこには目的がありました。選ばれた民としての特権、それは神様から与えられた使命に生きることでした。選びには祝福と共に責任が伴うのです。奴隷状態からの解放、約束の地カナンの獲得、それはイスラエルに対する神様の一方的な恵みであり賜物でした。同時にイスラエルは神様を愛し、神様に仕え、神様の栄光を地上の諸国民に現さなければなりませんでした。その責任を果たさなければ罰が下るのです。アモスを通して神様は言われます。「それゆえ、私はお前たちを、すべての罪のゆえに罰する」と。
「私はお前たちを、すべての罪のゆえに罰する」この厳しい言葉に対して、北イスラエルの人々は反発したでしょう。アモスが預言者であることを疑う者もいたでしょう。そこでアモスは日常的なできごとの中にも、必ず原因や理由があることを語ります。「打ち合わせもしないのに、2人の者が共に行くだろうか。獲物もないのに、獅子が森の中でほえるだろうか。獲物を捕らえもせずに、若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。餌が仕掛けられてもいないのに、鳥が地上に降りて来るだろうか。獲物もかからないのに、罠が地面から跳ね上がるだろうか」荒れ野では、あらかじめ約束でもしていない限り、2人が一緒に歩くということはあり得ないことでした。また獅子がほえるのは獲物を得た時でした。鳥は餌が設けられていなければ、地上の罠に捕らえられることはありませんでした。同じように神様の御心でなければ、町に災いが下ることもありません。「町で角笛が吹き鳴らされたなら、人々はおののかないだろうか。町に災いが起こったなら、それは主がなされたことではないか」角笛は敵の襲来を知らせる警報でした。角笛が吹き鳴らされたならば、町の人々は敵の襲来におののきます。町に敵の襲来であれ、飢饉のような天災であれ、災いが起こったならば、それは神様の御業です。イスラエルに原因やり理由があるからこそ、神様は災いを下されるのです。「まことに、主なる神はその定められたことを、僕なる預言者に示さずには、何事もなされない。獅子がほえる、誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか」神様はイスラエルに災いを下す前に、預言者を通して御計画を示されるのです。獅子がほえる声に人々が恐れるように、神様の御言葉にも恐るべき御計画があります。北イスラエルの人々を恐れさせ、不安感を抱かせ、預言者アモスに対する不信感と憎しみをつのらせる御言葉です。けれどもアモスは、この恐るべき神様の御言葉、神様の召しに従っています。主なる神様が示された。主なる神様が語られた。ゆえに神様から御言葉を預けられた預言者として、語られた計画を話さないわけにはいかないとして、御言葉を告げているのです。そして北イスラエルの人々が、アモスの告知を預言者の言葉として受け入れないなら、神様が下される災いを免れることはできません。
9?15節には、サマリアの罪とそれに対する罰が記されています。サマリアは北イスラエルの首都であり、紀元前9世紀前半、アハブの父オムリが買い取った山に築かれた町です。やがて町だけではなく、その周辺の山々、そして地方全体を指す名前となりました。アモスは語ります。「アシュドドの城郭に向かって、エジプトの地にある城郭に向かって告げよ。サマリアの山に集まり、そこに起こっている狂乱と圧政を見よ。彼らは正しくふるまうことを知らないと、主は言われる。彼らは不法と乱暴を城郭に積み重ねている」サマリアは山に築かれた町であり、城壁に囲まれた砦の町であり、オムリとアハブによって築かれた宮殿があり、裕福な民が築いた大邸宅がありました。外見的には堅固な町であり、豪華な町でした。けれども町の中では狂乱と圧政、不正と乱暴が行われていました。神様はアシュドド(ペリシテ)とエジプトの城郭に向かって呼び掛けます。「サマリアに来て、その中を見よ」と。神の民であるイスラエルの狂乱と圧政、不正と乱暴の証人として、異邦の国々であるアシュドドとエジプトが、神様によって用いられます。まことの神様を知らない異邦の国々でさえも、イスラエルの罪の証人として、神様が用いられるのです。そして狂乱と圧政、不正と乱暴に対する裁きが語られます。「それゆえ、主なる神はこう言われる。敵がこの地を囲み、お前の砦を倒し、城郭を略奪する」敵がサマリアを囲んで滅ぼす。アッシリアによって滅ぼされることが予告されていますが、実際に滅ぼされるのは神様御自身です。
おそらくアモスが、ここまで述べてもイスラエルは、まだ神様の裁きを信じなかったのでしょう。自分達は選ばれた民である。神様が、そのような破滅をもたらすはずがない。必ず救い出して下さる。テコアの牧舎であったアモスは、自分の職業に関する律法から語ります。「主はこう言われる。羊飼いが獅子の口から2本の後足、あるいは片耳を取り戻すように、イスラエルの人々も取り戻される。今はサマリアにいて豪奢な寝台や、ダマスコ風の長いすに身を横たえていても」出エジプト記22章によれば、人が隣人から家畜を預かっていて、その家畜が野獣にかみ殺された場合は、その証拠を持っていけば償う責任から免れることができました。ですから羊飼いは、羊が獅子に襲われた時は、残された遺骸や骨などを証拠として持ち帰らなければなりませんでした。「羊飼いが獅子の口から2本の後足、あるいは片耳を取り戻すように、イスラエルの人々も取り戻される」この預言は救いを語っているようですが、実は厳しい裁きを語っています。現在、豪奢な寝台や、ダマスコ風の長いすに身を横たえる生活を送っていても、イスラエルは滅ぼされ、その後、神様によってイスラエルは取り戻されますが、生きた羊ではなく、野獣にかみ殺された証拠として残されるのです。残されたイスラエルは、アッシリアに滅ぼされた証拠としての存在にしか過ぎないのです。
北イスラエルの全面的崩壊について、アモスは語ります。「万軍の神、主なる神は言われる。聞け、ヤコブの家に警告せよ。私がイスラエルの罪を罰する日に、ベテルの祭壇に罰を下す。祭壇の角は切られて地に落ちる。私は冬の家と夏の家を打ち壊す。象牙の家は滅び、大邸宅も消えうせると、主は言われる」13節も1節と同じように「聞け」という言葉で始まっていますが、これはイスラエルに対してではなく、神様がアモスに対して「聞け、そして警告せよ、ヤコブの家に」と命じられています。神様がイスラエルを罰せられる日、その日にはベテルの祭壇に罰が降ります。ベテルの祭壇は、北イスラエルの初代の王ヤロブアムによって、エルサレムに対抗して築かれました。金の子牛像が造られ、これが北イスラエルを主なる神様から引き離す原因となり、この罪から離れることがなかったがゆえに、やがて北イスラエルは滅亡の日を迎えることになります。祭壇の角につかまれば命は保証されることになっていましたが、角が切られて地に落ちれば、もはや助けはありません。冬の家と夏の家、象牙の家、大邸宅は北イスラエルの王や貴族達の贅沢な生活を表していますが、それらも滅ぼされてしまいます。この世の力に頼り、神様に頼ることを忘れたイスラエルは滅びるしかないのです。選ばれた民が使命を果たさない時、神様にあからさまに背いた時、そこには滅びが待っているだけです。
私達もまた、神様によって選ばれた民です。私達の側に、神様から選ばれるのにふさわしい何かがあったのではありません。あるいは選ばれるために、何らかの努力をしたのでもありません。私達は、人間の目からすれば「偏愛」としか言いようのない愛によって、選び出され、召し出された者の群れです。選びの御業は常に神様の側から起こっており、神様の驚くべき恵みに根ざしています。新約の時代に生きる私達にとって、もっとも驚くべき神様の御業は、主イエスの十字架と復活です。イスラエルが、エジプトから導き上った神様の御業を、絶えず思い起こすことを求められたように、私達もまた、イエス様の十字架の御業を、絶えず思い起こすことが求められています。私達は、イエス様が十字架の上で流された血によって結ばれた、契約関係の中に生かされています。契約関係の中に生かされている者として、選ばれた者として、神様に応えることが期待されています。神様から与えられた使命に生きることが求められています。使命と言っても、特別にむずかしいことではありません。神様が語られる御言葉に耳を傾け、神様の招きに応えさせていただく生活です。主なる神様を愛し、神様の御言葉と恵みを人々に伝えることですが、パウロのような、伝道旅行が求められているのではありません。日々の生活の中で、神様から選ばれた者として、自らを誇ることなく、神様の前にへりくだって生きることです。この世的には不幸と思えるような状況の中にあっても、常に神様に希望をもって生きる時、喜びを持って生きる時、そのように生きる私達の姿を、神様が証の生活として、伝道の器として用いて下さるのです。