2006/06/26

06/06/25 不信心と不義 T

2006/6/25
ローマの信徒への手紙1:18?23
 自衛隊のイラク駐屯部隊への撤退命令が発動されました。イラクでの2年半にわたる自衛隊の任務は無事終了しました。小泉首相は日本の単独撤退も辞さない覚悟でいたようですが、政治状況が急変し、国際社会と連動して撤退できるようになりました。これで小泉劇場は事実上幕を下ろしました。カーテンコールとして日米首脳会談がセットされているだけです。小泉首相により日本は日米同盟に大きく梶を切りました。ブッシュ大統領との個人的信頼関係が日米関係を濃密なものへと変えました。日米同盟の証しとしてなされた自衛隊派遣も無事終了しました。政治家小泉純一郎は、良くても、悪くても、稀代の政治家でした。彼の評価は歴史が定めるところですが、彼の出現で日本の政治は確かに代わりました。
 イラク戦争は、今から振り返れば大儀のない戦争でした。アメリカはイラクが大量破壊兵器を保持し、それを使用する意志を持つと国際社会に説明し、イラクに侵入しましたが、大量破壊兵器は発見されませんでした。ホワイトハウスが情報操作をした可能性も排除できません。しかし、イラクでは憲法が制定され、国会も招集され、政府も樹立されました。ムサンナ州では治安が保たれ、自衛隊は一人の負傷者を出すことなく、一発の実弾も発射することなく任務を終えることができました。自衛隊の派遣部隊は安全を最優先にし、設営された陣地に籠もり、人道支援が十分になされたとように見えませんでしたが、現在の日本ができる具体的な支援としては限界でした。自衛隊派遣を積極的に支持する人たちから見れば、不満の残る自衛隊派遣でしたが、日本の法体系からすれば、グレーゾーンだったと思えます。日本の得意な分野は、自衛隊派遣よりも経済的な支援だと思えます。ムサンナ州も日本に期待するのは雇用の拡大とインフラ整備です。特に、発電所建設に期待が寄せられています。深刻な電力不足の解消と失業対策を望んでいるようです。これからは自衛隊ではなくODA、政府開発援助の出番です。自衛隊派遣では国論が二分されましたが、ODAについては異論は少ないと思います。日本の得意とする分野ですから、早急に発電所建設やインフラ整備に取りかからなければならないと思えます。自衛隊の人道支援からODAに速やかに切り換え、日本からの援助を滞らないようにするのが日本に課せられた課題です。
 自衛隊派遣は現在の法体系からすればグレーゾーンで 法を整備する必要があるのですが、憲法改正論議を含めて、次期総裁に引き継がれることになりました。日本は法治国家であるはずですが、現実に合わせて法を拡大解釈する傾向があります。平和憲法、憲法9条についても、自衛隊の存在が先にあり、自衛隊を合法化するために、憲法を無理に拡大解釈したとしか思えません。憲法改正論議は民主党の代表が小沢代表に代わり下火になりましたが、私たちの望むこの国の未来像を、国民の間で幅広く討議する必要があります。自衛隊の海外派遣を是とするか非とするかは憲法改正論議の本質に関わります。憲法改正は身近な生活とは関係ないと錯覚しがちですが、社会生活そのものが根本から変えられるのです。
 人間の不信心と不義は福音の真理、『神は神であり、人は人である』を悟る目を曇らしてしまいます。人間は終わりの日、最後の審判の時に神の前に立たされますが、その時に総ての人間は神様の怒りの前に立たされます。なぜなら、神様について知りうることは人間に明らかにされているからです。人間は天地創造の時、アダムとエバが神様を欺こうとした時から、神様の意志に背いて生き続けてきました。神様は預言者を通して、何度も人間に自らの姿を啓示なされましたが、人間は悔い改めませんでした。人間は自らの力に頼り、何度も滅びの道を歩んできました。イスラエルの民は出エジプトの旅、バビロン捕囚などの国家的危機を何度も味わってきましたが、それでも悔い改めようとしませんでした。彼らは異教の神々、豊饒の神々に心を奪われ、唯一の主をないがしろにするばかりでした。イスラエル民族、ユダヤ人の歴史は、唯一の主から離れ、異教の神々を崇める王や民衆と『主に帰れ』と悔い改めを迫る預言者との歴史です。ユダヤ人には律法が与えられていましたが、律法は神様がイスラエル民族、ユダヤ人の神となり、ユダヤ人が神様の民となる契約の徴です。十戒で『私は主である。私をおいて他に神があってはならない』と唯一の主は宣言されていますが、『神は神であり、人は人である』のはこの契約からも明らかです。イスラエル民族、ユダヤ人は神様から選ばれた民であるのは、神様との間に結ばれた契約、律法があるからです。
 一方パウロはユダヤ人以外の人間にも、天地が創造されてから、目に見えない神の性質、永遠の力と神性が被造物の中に現されていると主張しています。自然の摂理、自然界の移ろいの中に、神様の天地創造の御業が明らかにされているのにも拘わらず、神様を崇めることも感謝することもしない。空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなっている。と言葉を連ねています。パウロはギリシア人に対し、あなた方も森羅万象の中に神様の姿を見ることができるのに、知恵があると吹聴しながらも愚かになっている。ギリシア人の誇る知恵は、神様の真実の姿を見ないで、人間や鳥や獣、這うものなどに似せた像、空しい偶像を崇めることをしている。あなた方は神の栄光を偶像と取り替えてしまっていると主張しているのです。あなた方は『人間を神の座に押し上げているが、人間は神ではない』、この矛盾を知るだけの知恵がないから、偶像礼拝、被造物を崇めてしまうのだと論じています。パウロは人間には神の摂理が被造物、自然界を通して明らかにされているのに人間はそれに気づかないほど愚かである。神様のことを知りながらも神様として崇めることすらしない。知恵があると思い込みながらも神様の栄光すら理解できないほど愚かである。だから偶像礼拝に走るのだと主張しているのです。
 ユダヤ人は、子供の時から律法と共に育てられ、唯一の主を知らされてはいますが、唯一の主から離れてしまうのがユダヤ人の歴史です。ギリシア人の歴史は、人間だけではなく、様々な被造物を拝む偶像礼拝の歴史です。いずれにしても、不信心と、不義の歴史です。人間は謙虚に自然界の移ろいを眺めていれば、そこに創造主、生ける主の御手が働かれていることを感じ取ることができるはずですが、創造主なる唯一の主を崇めずに、被造物である偶像を崇めている人間の愚かさをパウロは指摘しているのです。人間の不信心や不義、人間が神様から背いてしまう愚かさ、それに対する神様の怒りをパウロは厳しく指摘しているのです。
 パウロは『唯一の主、神の力と神性は被造物に現れている』と主張していますが、ギリシア人や日本人はむしろ被造物に宿るのは、様々な神々と思うでしょう。ユダヤ人には宇宙の万物を司っているのが唯一の主ですが、森羅万象にはそれぞれ神がいると考えるのが多神教の世界に生きる人間です。人間の本姓からすると多神教の世界が普通であり、一神教の世界の方がむしろ例外なのです。人類の誕生からの歴史を考えると、身の回りのものを神様とする世界、豊饒の神々が支配する世界、妖精が飛び交う世界がむしろ人間の親しんできた世界です。世界史を振り返れば、イスラエル民族以外は、偶像でできた神々を崇めていました。なぜかイスラエル民族のみが唯一の主、ヤーウェを信じる特異な民族でした。イスラエル民族を侵略したアッシリア、バビロニア、ペルシャなどはそれぞれの神々を崇めていました。ギリシアの都市国家もローマも多神教の国です。ローマは多宗教、多民族、多文化のコスモポリンタンな国家でした。ローマは勢力を伸ばした国々の神々を取り入れてきたので、神様の数があまりにも多くなり、神様の名を記した辞典がいるくらいでした。オリエントの国々は王様が支配していたので、それぞれの国々には王様を支配者とする神々がいました。戦争はそれぞれの国の神々との間の争いを意味し、戦争の勝ち負けは神々の勝ち負けを意味しました。勝者の神々が敗者の神々に勝利したので、敗者の神々を破壊しつくしました。
 例えば、イスラエル民族、ユダヤ人のバビロン捕囚では、唯一の神ヤーウェがバビロニアの神々に負けたのですから、敗者であるユダヤ人は勝者であるバビロニアの神々を崇めることを求められたのです。ユダヤ人は唯一の主がバビロニアの神々に負けたから国を奪われ、異国の地に連れ去られてきたのですから、信仰の大きな危機でした。その時にユダヤ人は自らの神、唯一の主はどういうお方であるかを真剣に問い直したのです。絶望の中にあって生ける主を探し求めたのです。その時に編纂されたのが創世記だと言われています。自分たちの信じる主は天地を創造なされた主であり、人間を創造し、その他の被造物を創造なされた主であることを証ししたのです。唯一の主はバビロニアの神々に取り囲まれた時に、イスラエル民族、ユダヤ人に生ける唯一の主であることを啓示なされたのです。
 イスラエル民族、ユダヤ人はモーセが出エジプトの旅の中で唯一の主から十戒を授けられました。このときからユダヤ人は唯一の主のみを信じる民とされたのですが、約束の地カナンの周囲の民は豊饒の神々を信じていました。イスラエルの歴史は異教の神々を拝む王や民と、悔い改めを迫る預言者との歴史でした。唯一の主を生まれながらに教えられているのに人々は異教の神々を信じてしまうのです。人間の習性からすればいかに唯一の主は信じがたく、異教の神々が信じやすいかをイスラエルの歴史は証明しています。パウロの時代では異教の神々を信じる民族が普通で、唯一の主を信じるユダヤ人はむしろ例外的な世界に生きる民でした。ユダヤ人であるパウロには自然の総ての営みを司るのは唯一の主であると思えたのですが、ギリシア人にはそうは思えませんでした。パウロはギリシア人に対し、知恵があると自惚れながらも、心が鈍く暗くなったいる人と非難しているのですが、ギリシア人からすれば心外と思えたかも知れません。いずれにしろ、パウロは偶像礼拝に励むギリシア人を愚かだと決めつけているのです。
 ユダヤ人であったパウロは自然の営みの中に唯一の主、創造主なる神様の御業を感じ取ることができましたが、ギリシア人はむしろ様々な神様の存在を感じました。人間は本質的にはギリシア人のような多神教の世界、様々な神様が混在する世界に生きるのが普通であり、ユダヤ人のような一神教の世界、唯一の主が総てを司る世界に生きるのは例外なのです。偶像を崇めるのは人間の本質に適ったことであり、むしろ偶像の存在を許さないユダヤ教が特殊な宗教なのです。
 世界史的に見れば、アジアの西南部、オリエント地方の片隅、パレスチナでイスラエル民族、ユダヤ人により細々と守られてきた一神教、ユダヤ教からキリスト教が分かれ、さらにユダヤ教からイスラム教が分かれました。離散のユダヤ人は世界各地に散らばりました。現在は一神教が世界人口の半数を占めていると言われています。ユダヤ人が陰の力として世界を動かしているのは周知の事実です。
 多神教の世界であったローマは4世紀に入ると、コンスタンティヌス大帝によりキリスト教へと大きく梶を切りました。中近東では7世紀にムハンマド、マホメットによりイスラム教が始められました。17世紀になるとヨーロッパからの移民と共にキリスト教がアメリカに渡りました。日本には明治維新に宣教師がキリスト教を伝え、太平洋戦争後、進駐軍と共に宣教師が大勢やってきました。
 一神教の世界は『私は主である。私をおいて他に神があってはならない』ですが、『隣人を自分のように愛する』世界でもあります。隣人に対する愛を見失えば、宗教の押しつけになります。これが極端になると十字軍のようにキリスト教国とイスラム教国との闘いに発展してしまうのです。あるいは、植民地の人々を人間と見なさなかったかつての宗主国、ヨーロッパ諸国、奴隷制を合理化したかつての教会のようになってしまいます。『神はご自分にかたどって人を創造なされた』のですから、基本的人権、信教の自由も保障されなくてはならないのです。
 私たちは多神教の世界、日本で生活しています。クリスチャン人口は1%程度と言われています。多神教の世界では唯一の主イエス・キリストを信じていても、それほど異端視されるわけではありませんが、一神教の世界で生きる私たちにはそれなりの工夫が必要です。日本の慣習の中で信仰的に受け入れられないものと受け入れることができるものとを整理する必要があります。冠婚葬祭に関しても、例えば死者を拝まないこと、お花代とすること、記念会は死者ではなく家族への慰めのためにあることなどを理解する必要がありますが、敢えて事を荒立てる必要はないと思います。お目出度い席では共に祝い、共に喜べばよいと思います。
 信仰生活の基本は唯一の主イエス・キリストのみを主とすることであり、その他のことは応用問題です。私たちはキリスト教原理主義に陥らないように気をつけなくてはならないと思います。証しの生活では原理原則は譲れませんが、柔軟に応用問題を解く姿勢が大切です。なぜなら、社会の中で生活することが伝道に繋がるからです。修道院の中で信仰を守る生き方もあるでしょうが、私たちは現実の社会の中で生きているのです。日本に主の福音の種を蒔き、それを育てるのが私たちの使命だからです。瀬戸キリスト教会は伝道の最前線に位置しているのです。私たちの日々の信仰生活が福音伝道を進める力として働くのです。主にある兄弟との交わりを求めながらも、堅く信仰に立ち、孤立を恐れてはなりません。

2006/06/21

06/06/18 福音を恥としない T

福音を恥としない
2006/6/18
ローマの信徒への手紙1:16_17
 村上ファンドの村上代表がライブドアの堀江社長、ホリエモンに続いて逮捕されました。金融緩和の流れの中で、株を武器に一時代を築き上げた二人の逮捕で、兜町も落ち着きを取り戻したかに見えましたが、余震はまだまだ続くようです。二人は金融緩和の流れの中に咲いたあだ花かも知れませんが、日本の金融取引の未熟な点を鋭く突き、あぶく銭を手に入れた手法は鮮やかでした。外資が未成熟な日本の市場を食い荒らす前に、株式市場、経営者に警告を与えた点に彼らの歴史的使命があったのかも知れません。戦後の焼け跡の中にできた闇市で財産を築き上げ、一流企業のオーナー社長となった人たちと大差はないと思えます。
 村上代表の登場は銀行や系列企業で株を持ち合い、サラリーマン社長が絶対的権限を奮っていた日本の会社制度に一石を投じました。村上代表の登場以前は、日本の経営者の視線は株主の方を向いていませんでした。彼らは株主でもないのに会社を自らの所有物のように錯覚していたのです。そこに村上代表が株主の権利を主張して登場したのです。彼は会社の資産に対し株価が相対的に安い企業の株を買い占め、物言う株主として、会社に株主に対して利益を還元するように迫りました。企業は株主対策として特別配当などをせざるを得なくなり、株価が上昇し、買い占めた株を高値で売却した村上ファンドが膨大な利益を得ました。
 村上代表が出現する前の日本の企業は、株主を単なる投資家ぐらいにしか認識していませんでした。株主総会に2?3時間もかかればニュースになるぐらい、株主の権利は無視されてきました。バブル崩壊で銀行が不良債権を積み上げ、優良企業の株さえ手放さざるを得なくなったので、一般株主の発言権が相対的に増してきました。株価は低迷を続け、会社の資産と株価とが釣り合わない企業が出てきましたが、そこに目をつけたのが村上代表です。彼は経済産業省でM&A、企業の合併・買収に関する法律を作成した官僚でしたが、官僚の世界に見切りをつけ、村上ファンドを旗揚げしました。逼塞感の漂っていた経済界には村上代表に期待する人たちも多かったようです。福井日銀総裁も、当時は民間人でしたが、彼に期待した一人でした。彼を支持した財界人も少なくありませんでした。村上代表のファンドを立ち上げた当時の理念を評価する人は多いのですが、インサイダー取引で利益を上げるようになってはただの総会屋と変わりはありません。
 村上代表はホリエモンを利用してライブドアのフジテレビの乗っ取り騒動に紛れて膨大な利益を上げました。主役はホリエモンでしたが、脚本、演出は村上代表のようであったようです。この二人に代表されるような新しいビジネスが日本でも起きてきました。世論を巻き込み株価を左右する手法は、個人投資家を増やし、デイトレーダー、一日に何回も株取引をする人を増やしました。インターネット取引も気軽にできるようになり、学生でも億万長者になれる世界を創り出しましたが、ハイリスク、ハイリターンの世界に日本人は馴染めないようです。金融の世界では日本は後進国で、彼らの登場が良い刺激になればよいと思えます。
 パウロは、フィリピで投獄され、テサロニケから追い出され、ベレヤから密かに連れ出され、アテネで嘲笑されたことがありました。コリントでも彼の宣べ伝える福音は『ギリシア人には愚かであり、ユダヤ人には躓き』でありました。理性的なギリシア人には死者の蘇り、復活はバーバロイ、野蛮人の迷信のように思えました。ユダヤ人のファリサイ派は復活を信じ、サドカイ派は信じていませんでしたが、いずれもナザレのイエスを救い主メシアとは認めず、パウロを『主の名を汚す者』、異端者として迫害しました。パウロはギリシア人からもユダヤ人からも理解されず、孤軍奮闘していました。その様な中で彼は各地に教会を建ててきましたが、教会にも様々な問題が起きてきました。主の福音と現実の世界、教会の姿はあまりにも懸け離れていましたが、それでもパウロは『私は福音を恥としない』と宣言しているのです。『福音は信じる者総てに救いをもたらす神の力だからです』とパウロは声を高くして、主の福音を証しし続けているのです。
 パウロがローマの信徒、ギリシア人に宣べ伝えようとする『救い』はギリシア哲学がかつての生命力を失い、ギリシア人が哲学に変わる救いを模索していたのに答えるものでした。ギリシア人は哲学的思考に優れ、この世界を構成させている唯一の基本的要素は何であるか、と言う問題について議論してきましたが、暴君や征服者が現れ、政治的・社会的な危機に陥り、社会が活力を失ってきました。パウロの時代の哲学者セネカは我々が必要としているのは「我々をすくい上げるために下ろされた手」であると述べています。ギリシア哲学はギリシア人を救いうる力を既に失い、ギリシア人は救いをもたらす手を待ち望んでいたのです。
 『神の義』、神様が罪人である人間を義とされるのは、人間に義とされる理由があるわけでもなく、神様が罪人を善人としてくださるわけでもありません。ただ神様が神様からの一方的な恵みとして、罪人をあたかも罪人でないかのごとく取り扱ってくださるだけなのです。『義とされる』ことは、神様との新しい関係、神様と愛と信頼の絆で結ばれ、神様との新しい交わりの中に入れられることを意味します。神様と人間とは全く異なる存在なのです。『神は神であり、人は人である』のです。例えば人間が律法にいかに忠実であったとしても、それは人間の問題であり、神様の与り知らぬことなのです。神様が人間を義とされるのは、人間が総てを神様に委ね、自分自身を神様の愛と恵みとに投げ出したからなのです。
 『信仰』は福音の真理に耳を傾けようとする時に既に始まっているのです。福音の真理はイエス様の甦り、復活の事実を信じることから始まります。ギリシア人にとって復活の事実は大きな躓きでした。彼らの合理的な思考では理解できない事実を認めることを求められたからです。彼らに神様が啓示する、神様ご自身が人間の力を越えて働かれ、それを知らしめられたのです。神様の救いの御業は、神様の人間を救うとなされた決意から始まり、神様を総てを賭けて信頼し続ける人間の信仰によって実現されるのです。パウロは旧約聖書から『正しい者は信仰によって生きる』を引用しています。正しい者は旧約聖書の世界では律法を厳格に守る者を意味していましたが、パウロは新約聖書の時代に相応しく、神の義に生きる人を神様の愛と恵みに総てを委ね切って生きている人の意味で用いています。神様の前で正しい、聖い、は神様との関係を抜きにしては語れないからです。
 パウロは『福音を恥としない』と信仰を証ししています。ギリシアは哲学、ローマは法学、ユダヤは神学の国だと言われますが、ローマ帝国はローマ法により治められていた法治国家でした。パウロの時代にはキリスト教はユダヤ教ナザレ派として公認されていましたが、ローマ法で守られているから、教会が守られ、福音宣教が前進したわけではありません。パウロをユダヤ人からの迫害からローマの官憲がしばしば守ってくれましたが、それは治安を維持するために執られた行動に過ぎません。福音はそれを宣べ伝える者の個人的なカリスマ、賜物に負うところが少なくありませんでした。一言で言えば、『あの人のようになりたい』と思わせなければ福音伝道は進みません。福音伝道が前進したのは、福音伝道に励む働き人がいたからなのです。『法を犯さない』と『福音を恥じない』との間には質的な差があるのです。法がまだ整備されていない古代の人にとって、『恥ずかしい』行いか、『恥ずかしくない』行いかが、法よりも重要な判断の基準でした。例えばローマ法に反してはいなくても、恥ずかしい行いをすれば村八分にされたでしょう。ローマは多神教、多文化、多民族国家ですから、ローマ法はアメリカ合衆国憲法のようなものであり、各民族、各国家にはそれぞれの法律、慣習が認められていました。ギリシアの都市国家には都市国家なりの法や慣習があり、ユダヤには律法や慣習がありましたが、パウロは福音はそれらを越える真理であることを確信していたからです。パウロは福音を信じ、それを宣べ伝えることは、自らの良心に省みて、何ら恥ずかしいことはないと証ししているのです。
 福音はユダヤ人には異端であり、ギリシア人には野蛮人の土俗信仰でした。福音を証しすることは、人々から迫害を受け、軽蔑されることを意味していましたが、パウロは『福音を恥としない』と宣言したのです。教会は周囲の人たちから胡散臭い人たちの集まりと思われていたに違いありません。『死者の甦りを信じる狂信者の集団』として、周囲の人たちが眉をひそめる存在であったかも知れません。少なくとも『死者の甦り』はローマ世界で生活している人たちにとっては荒唐無稽な主張でした。福音を証しし続ければし続けるほど、狂信者の烙印を押されたのです。多神教世界ですから野蛮人の信じる神様がいても差し障りがないのですが、多くの人たちは腹の中で教会をあざ笑っていただろうと思います。
 教会は法的には認められていましたが、社会からは無理解の壁で隔てられていました。福音を信じる一握りの信徒が教会を支え続けてきました。この時代にはまだ独立した教会堂はなく、信徒の家庭で家庭礼拝を守っていただけです。毎週おかしな集まりをしている家として、周囲の人たちからは敬遠されていただろうと思います。社会から閉ざされた信徒たちだけの世界で信仰を守り続けるだけでは伝道ができないのです。ユダヤ教はユダヤ人だけの宗教ですから、伝道を全く考えていません。彼らはローマ世界に進出しても、会堂を中心にしたユダヤ人だけの社会を造り、彼らだけで生活していればよかったのですが、キリスト教徒の使命は福音伝道にあるので、社会から孤立して生活することは許されなかったのです。周囲の人たちと交わりを持ち、信仰を証しできるような生活をしなくてはならなかったのです。社会生活の中で、『あの人のようになりたい』と思われるところから伝道は始まるのです。伝道の基本は証しの生活にあるからです。
 伝道の基本は証しの生活にあると思います。神学は学問であり、信仰の世界とは違います。信仰を伝えていくのは個人のカリスマ、賜物であると思えます。特に初代教会では神学は学問として成立していませんでした。パウロの伝道の対象の異邦人には、聖書に関する知識はありませんでした。多神教の世界に生きてきた彼らには一神教、唯一の神、主は理解できない概念でした。彼らを折伏、論理で屈服させても意味はありません。生きている世界が違うからです。多神教の世界から一神教の世界に導くのは、『あの人のようになりたい』と思わせることしかありません。心の世界は論理で屈服さても、必ず怨念が残ります。心の世界はその人固有の世界であり、第三者が力で介入してはいけない領域だからです。
 伝道は心の奥底に働きかけなくてはならないのです。氷のような頑なな心が少しずつ溶けてくるのを待ち続けなくてはならないのです。力を加えれば心が砕け散ってしまうからです。主の愛と恵みが凍り付いた心を溶かすのを時間をかけて見守る忍耐が必要です。傷口を覆うのは医者ですが、癒すのは主だからです。
 私たちは、例えば教会で三位一体の教理を教わり、教会生活の中で身につけていきますが、初代教会の信徒は三位一体の教理を知りませんでした。教理は教会の歴史の中で形作られてきたものです。初代教会の人たちの信仰は素朴なもので『イエスは主である』、「ナザレのイエスが救い主である」と告白していました。
 信仰の世界は、このような素朴なものではないかと思えます。聖書を何遍も読破し、神学書を読みあさっても信仰が生まれるものではありません。信仰は心の奥深くに神様が直接語りかけて下さる時に生まれるのです。知識が信仰を生むのではありません。私たちは子供の頃から知識を身に付ける訓練を受けてきました。知識さえ身につければ、この世のことを総て理解できるかのごとく錯覚させられてきたのです。さらに、現代科学が総てを解決してくれると思いこまされてきたのですが、21世紀にはそれが思いこみであることがを明らかになるでしょう。
 現代科学では説明できない世界があるのです。信仰の世界はその最たるものです。19?20世紀にかけて理神論が力を持ちました。現代科学が急速に進歩したので、神の世界も理性で理解できるかのように錯覚したのです。人間の知性が有限なることを認識できなかったのです。有限な知性で無限な神の世界を知ろうとするのは無謀だと思えますが、日本人の多くは知性が有限であることを自覚していません。子供の頃からの知性偏重教育が理性を育むことをしなかったからです。
 初代教会の信徒たちは、素朴に主を信じました。教会の歴史の中では異端との闘いは激しいものでしたが、異端狩り信徒たちとは別の世界での出来事ではなかったでしょうか。主を信じる者同士の連帯は何物にも勝るものであったに違いありません。週の始めに、先ず主を賛美し、御言葉に耳を傾け、祈りを会わせ、聖餐の食事に与ることが信徒の生活の中心でした。彼らはこの世の富や名誉を求めませんでした。名もない信徒として主のために一生を捧げ尽くすのが願いでした。
 私たちも、名もない信徒として主のために一生を捧げ尽くしましょう。私たちが見つめるのは主の御姿だけにするべきです。この世にある教会は様々な矛盾を抱えているからです。人間を見たら躓きます。人間に人間の希望を重ねてはならないのです。主のみが私たちの負っている重荷を共に担って下さるからです。
 

06/06/11 神の支配といやし 東神大教授 朴 憲郁牧師

2006年6月11日 聖霊降臨節第2主日礼拝、瀬戸キリスト教会にて
マルコ福音書1:29_39
「神の支配といやし」
朴 憲郁 牧師 (東京神学大学教授)
 今朝こうしてお招きをいただきまして、皆さんと共に礼拝できますことを心から感謝いたします。しばらく前に高知の方に来ることが決まりましてから、堀先生の方からいち早く日曜日の朝、こちらの教会でぜひ、御言葉を分かち合わせていただきたいという申し出がありまして、週報とさまざまな資料をいただきました。頭の中でどんな教会だろうか、どういう方がおられるのだろうか、そんなことを思い巡らしておりましたけれども、今日このように大変良い天候の中で、心を合わせて礼拝することを通して皆さんにお会いできましたことを大変嬉しく思います。このことも、わたしたちを一つに招いて下さる神様の御心であるということを思わずにはおられません。今朝、与えられましたマルコによる福音書の御言葉を通して、共に神様の御支配と癒しということを学びながら、それが信仰の糧となることを願っております。
マルコによる福音書一章の後半のみ言葉が与えられておりますけれども、この後の45節までを含めて考えてみますと、この29節から45節までを、三つに分けることができるかと思います。29節から34節までの箇所は主イエスが病人をお癒しになったことを記しており、その後35節から39節までは巡回伝道の様子を描いておりますし、そしてその後の、今日はお読みしませんでしたけれど、40節から45節までは重い皮膚病の人のお癒しの物語が記されております。ここには、いくつもの大切なテーマやメッセージを見出すことができますが、これらを貫いている一つの事柄がございます。それは神様の御支配、神の国が近づいたという喜ばしい知らせを伝える主イエスの「伝道」ということと、この神の国に招かれている人々が抱えこんで苦しんでいる、そういう病いに対する慰め、あるいは「癒し」という事柄が切り離せない仕方で結び合わされているという点です。御言葉を宣べ伝えるということと癒しの業という二つのことが、一つになっているということです。つまり主イエスの神の国の教えと、癒しの業という二つのことが一つにされています。
カファルナウムの村における一日の伝道活動に関する記事だけを見ましても(1:21以下)、イエスを、教える人、癒す人、あるいは伝道する人として捉え、描いています。
ですから、19世紀後半から欧米の宣教師たちがアジア諸国における福音伝道を本格化させていきました時にも、この福音書の御言葉から伝道の基本的なあり方と方法とを学んで、それを伝道実践に生かしてまいりました。それは、キリスト教精神に基づく伝道と教えと癒しの業です。このことを宣教師たちは英語で表しまして、三つのingだと言いました。それはpreaching, teaching, healingだというふうに三つに分けて語ってまいりました。それは、主イエスの神の国のご活動の中に、それら三つのモデルを見いだしたからであります。従って、異教の地に教会が建ち、近代教育理論に基づくミッションスクールが建ち、近代的な医療技術をもちいた病院が建ったのです。教会と学校と病院が建ったのであります。そして、そのような仕方で宣教の地に赴いた訳ですので、その国の多くの人々を主イエスが説いた神の国の福音に導いたというだけではなくて、その国自体の近代的な発展のために、少なからぬ貢献をすることになったのです。こうした聖書のモデルに従った宣教の働きやアイデアの実現を、私たちの国においても身近なところでしばしば確認することができるのです。この高知においてはどうだったのでしょう。私は詳細な歴史を特に存じてはおりませんけれど、おそらくどこかに、もれなく、それが関わっているということは言えるのではないでしょうか。
さて、そのような海外宣教のモデルとなるほどに近現代に影響を与えたこのマルコ福音書一章の中で、今日の箇所は特にhealing、すなわち病いの癒しの業を集中的に描いています。この箇所からメッセージを受け止めたいと思うのです。今日は教会の暦に従いますと、聖霊降臨日から始まって第二週を迎えています。聖霊降臨節第二週です。このマルコ福音書の一章の10節および12節に記されていますように、主イエスはヨハネのもとから洗礼を受けられて川の水から上がられた時、そして荒野に送り出された時、主の霊に捕らえられてお働きになったと語られています。そして力強く神の国の宣教を開始なさいました。そういう意味で今日の、この御言葉の教会暦にしたがった聖霊降臨節の、この季節に相応しい御言葉の一つではないかと思うのです。
今日の御言葉の中で第一に、最初に弟子となったシモン・ペトロの家で、主イエスは彼の姑の熱病をお癒しになりました。この熱病がどれほど深刻であったか、新約聖書においてまれにしか用いられない「そこに横たわる」(カタケイマイ)というギリシア語の動詞に示されております。マルコ福音書の中では、他に2章の4節にだけ用いられています。このように熱病が生死に係わるものであったということについては、ヨハネ福音書の4章52節でも直接語っています。弟子の第一人者となる、いや愛弟子であったペトロに妻がいたということは、案外わたしたちは知らないのですけど、後に手紙を書きましたパウロのコリントの信徒への第一の手紙9章5節を見ますと、別名ケファ、ペトロに妻がいたということが分かります。ペトロの妻の母が同じ家に、あるいは彼の近くの別の家に住んでいて、その彼女が重い病気で横たわっていた、というこの記事は読者であるわたしたちの関心をひく事柄であるに違いありません。しかしいずれにしましても、ここに特に詳細な説明はありませんが、主イエスが他の病人に対する場合と同じように、ペトロの姑の重い病気を見て深い憐れみの気持ちを抱き、そして神のみ力による癒しの御手を差し伸べたに違いありません。それは、このあとに描かれる皮膚病を患った人の癒しの物語の41節において、主イエスが、「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れた」、というのとまったく同じであったに違いありません。
今日も身体に、あるいは心の病いにかかって、その苦しみの中から、主の憐れみと癒しを叫び求める人々が何と大勢いることでしょうか。今日のこの御言葉の中では、悪霊を追い出したというふうに書かれています。もちろん当時のことでありますから、近代の医学的知識というものは十分でなかったかもしれません。風邪にかかっても何か病にかかっても、それはすべて何かたたったのではないか、あるいは悪霊に取り憑かれたのではないか、そんなふうに考えたりしました。ある人は近代的に考えると、つまり今の時代から見れば、それは迷信だと考える人もいるでしょう。しかし、悪霊に取り憑かれたということは、もっと深い次元で捉えられておりまして、人間の現代的な知識や技術を超えたところで人間を取り押さえている勢力、破滅や死に追いやってしまう肉的な人間の思い、あるいは人間の手に負えない悪しき力というものをこういう言葉で言い表していて、そういう悪しき力、あるいは肉的な支配を、主イエスは神の御支配によってしっかり取り押さえ、それを追い出して、まことに解放された人間として神の御前に立たせて下さるという喜ばしい御業をなさっているのであります。
そのことと合わせて、私たちは病ということを別の角度からも捉えてみることができるのではないでしょうか。これは人々を戦々恐々とさせた新型肝炎SARSや鳥インフルエンザのように、不意に外から疫病が私たちに感染して起こる場合もありますが、もう一方では、自分の過去における不注意な私生活が原因で結果する場合も少なくありません。それは長い時間をかけて自分でまいた種の結果を自分で刈り取るようなものである場合が多くございます。よく言われますように、成人病が生活習慣病と言われるのも、そういう理由からです。このように、病を自分の身に招いてしまうような生活態度というものは、自分を追いつめる程に忙しく駆けめぐる人間の姿の中に現れ、あるいは蓄積されてきています。今日の御言葉で申しますと36?37節に、そのことを思わせる言葉がございます。このように書かれています。「シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、『みんなが探しています』と言った。」 忙しく駆けめぐる人間の姿が、ここにあります。
しかし、忙しく駆けめぐるのとは反対の姿が、これらの節の前の35節ではないでしょうか。こう書かれています。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」と。真の人間として、同じ私たちの弱さや悲しみを抱え、この地上を生きられた主イエスの生活様式というものが、ここにあるのではないでしょうか。あるいはリズムと言っても良いのではないでしょうか。それは活動ともう一方の休息・祈りということです。こんなに忙しい神の国運動のさなかにある主イエスが、35節に記されていますように、また同じマルコ福音書の6章やゲッセマネの祈りを描いた14章などに記されていますように、一人静まって祈り、神様との対話に早朝または夕暮れのひと時を割いて用いています。ここでは神様との交わりの中で魂と心の真髄に生命の息吹を感じ取っておられたに違いありません。それが一日の活力の源泉となっていたに違いありません。
ところが、そんなことをまったく意に介しない弟子たちは、群集の要望を代弁するかのように、主イエスの居場所を突き当てて、押しかけてきました。そして、祈る主イエスを妨げます。36節終わりの「追いかける」(ディオーコー)という動詞は、ほとんど否定的な響きをもって使われます。おそらくそんな時の彼らは、「先生、こんな寂しいところに来て、一人静かに祈っている場合じゃないでしょ!」、と言わんばかりの気持ちだったに違いありません。37節の「みんなが捜しています」という言葉は、主イエスの教えと行動に聞き従う姿勢というのではなく、主イエスを自分たちの町に引き留めようとする利己的な態度の、あるいは目先の恵みを追求する態度の表明であります。イエス様を一生懸命求めているようでありますけれども、どうもそうではないのです。彼らは、自分たちの要求と生活リズムの中に主イエスを合わせようとするのです。
しかし、彼らの息つく暇もない生活リズムの中で、いつの間にか彼らの心と体を徐々にむしばんでいく、いくつもの要素が蓄積されていきます。人間の体というのは大変正直でありまして、無理をするとどこかで吹き出してしまいます。それが軽いものであれば治療して治るのですけども、とても困難な場合があります。あとで気づいたら、取り返しもつかない病いに犯されている、ということになってしまいます。実際私たちは、それほど深刻な病でなくとも、病気で寝込んだり、熱を出して床でうなったりしている時など、ふと自分の生活の仕方についてしきりに反省し、自問していることに気づきます。その意味におきまして、病いは人生の一つの危機であると同時に、自らを省みる最大の学校であるとも言えます。病に伏してみて、自分の生活をじっくり反省してみるのです。ノヴァーリスという人はこう申しました。「病気、殊に長い間の病気は、人生の芸術を学び、又精神を陶冶するための、年季奉公する如きものである」と。なるほどと思うのです。病は学校だということは、なるほどだと思うのです。
しかし、そうとは言いましても、病気を余り持ち上げて謳歌したり、良かったなどと考えるのは、決して正しいことでないと思います。ここで私たちは、病気が人生の学校であるよりも、むしろ危機であるということの方を自覚すべきでありましょう。一塊の肉体だけではなくて、その肉体を引きずって歩んできたその人の生き方がひどく病んでいたからであります。病はその人の生き方を物語っています。しかも多くの場合、体や心が背負い込んだその病いのゆえに、人の前では一人前に生きられず、そこから離れて孤独や失望を味わうことがあります。従って、主イエスがそれを見て深く憐れむ時、一塊の肉体が引きずってきたその人の生き方を見つめておられ、何かある一つの部分を見ているというのではなくて、その疾患の奥にある、その人の生き方を見ておられる。そこでまさに横たわる彼女/彼に向かって、神様との交わり、神様の御支配の中に引き移して、神様との交わりの回復に向けた福音を語り告げ、内面的・外面的な癒し、すなわち魂と体の癒しの力を発揮なさるのです。ですから私たちは、このような主イエスの御力ある御業を信じ、主イエスのこの憐れみを請い求めて手を差し伸べる生き方をしたいのです。
ところで、人里離れて祈る主イエスの隠された姿から暗示されますように、第一段落の中の34節における悪霊に対する主イエスの沈黙命令、「誰にも語ってはいけない、黙れ」とおっしゃったこの言葉は、今日はお読みしませんでしたけれども、この後の40節から45節までの第三段落の中の44節で、皮膚病の癒し物語における主イエスの「誰にも言ってはいけない」というこの沈黙命令と共通しております。お癒しなさった後に、このことを誰にも知らせてはいけない、とお語りになったのですけれども、繰り返しそのようにおっしゃるとは、私たちには不可解です。そもそも、公に神の国の到来を宣べ伝え、町と村を巡り回って人々の病いをお癒しになる主イエスが、その都度お癒しになった人々に向かって、いったいどうして「誰にも、何も話さないように気をつけなさい。」と、しばしば口止めされたのでしょうか。聖書物語はこのように私たちに、一方ではよく分かる話であると同時に、首をかしげてしまうよく分からない話、いや私たちの常識的な考えをはばむ不可解な言葉を投げかけるのです。
しかし、実はそこに一つの深みがあるのです。福音書の研究をする人々の間では、ここに隠された何かがあるというふうに考えて、それをこの「メシアの秘密」の問題として、いろいろと議論してきたところであります。しかし、一つ確かな理由を挙げることができます。それは、先ほど指摘しました36節と37節における弟子たちの姿、息をつく暇もなく主イエスを探し当ててやってくる、押し寄せてくるような弟子たちの忙しさと何か関係があるのではないでしょうか。すなわち、奇跡を行う主イエスの評判を盛り上げ、彼を英雄視する気運または傾向に対する、主イエスの厳しい批判があるのです。人々は主イエスを持ち上げていく、主イエスの名は有名になる、このことに対する主イエス御自身の身を引き締めて、いわば退かれる姿がございます。苦境に陥った人間の病いを癒しつつ、神様の支配を実現する主イエスの真の救いの力は、実は主イエスの苦難と十字架の死の中に現れるのであって、奇跡行為者として民衆に担ぎ上げられる彼の英雄的な進展の中にはないということです。ですから、主イエスの厳しい口止め命令の背後には、病いに伏す人間の苦しみとあえぎを担ってくださる十字架の主の苦悩、痛みが隠されており、またそこに、神様の深い憐れみが注がれるのだということです。有頂天になって突き進むような御方ではないということです。
私たちはここに至って、主イエスが十字架の苦しみを覚悟しつつ多くの人々の病いを癒し、神のご支配に与らせることのできるお方であるということを信じて、癒しの恵みをいただき、日々歩んでいきたいと思うのです。それは何か薬をいただいて、ある部分が治るというような問題ではなくて、私たちの生き方が新しくされ、神の御支配にふさわしく生き直すことができることを意味します。それと同時に、私たちはその恵みに与り、癒しの恵みに支えられ押し出されて、癒しと救いを必要とする身近な多くの人々に御言葉を語り、この癒しの恵みを伝えていく人となるような、そういう生き方を伝えていきたいと思うのです。
今日最初に、海外宣教をした宣教師のお話を少し申しましたけれども、こういうことを身をもって実践したある医者宣教師の実話を御紹介したいと思います。東京神学大学では少し前は毎年していましたけれども、最近は2年に1回ほど、アジア伝道旅行をいたします。東京神学大学の中に日本の伝道はもちろんのこと、アジア伝道研究所というのがございます。70年初めにできたのですけれども、アジアの国々から若い、あるいは御高齢の先生方、神学生たちが留学に来て、献身の思いを強め、神学の多くを学ぶ方が毎年現れます。韓国からが最も多いのですが、台湾からも来ます。数年前は上海から学びに来た人がいました。そういうことで、日本人神学生たちも同じくアジア伝道圏に宣教された国々への関心を深めて、半年あるいは一年間、一つの国を定めてその国の歴史や文化やキリスト教を学びます。そして学んだ後、実際にその国に訪ねる研修旅行をもちます。6年ほど前には、台湾の教会を訪ねました。2年に1回ほどですが、フィリピンや中国や韓国や台湾を訪ねます。10名ほどで構成された研修旅行ですけども、6年ほど前には台湾の教会を訪ねました。台湾を一巡りしながら、台中に隣接する町、すなわち台湾のちょうど真ん中あたりの西海岸側の彰化という中都市にやってきました。そこの大きなキリスト教病院で、私たちは次のような貴重なお話を伺うことができました。
19世紀末に、イギリス・スコットランドの長老教会から一人の医者が妻と一緒に医療伝道のために台湾の彰化地方にやってきました。healingとpreachingが重なる医療伝道のためにやってきたこの医師の中国名は蘭(ラン)大衛です。奥様と共に初めて台湾にやって来てキリスト教を伝え、医療活動を住民の間に広げていくために、言葉で表せない苦しい困難なことが一杯ありました。言葉や生活習慣も違いますし、キリスト教のことなどまるで知らない土地の人々との接触における無理解と冷遇がございました。でも、この若いお医者さん夫婦は辛抱強くがんばりまして、少しずつ村人に受け入れられていきました。最初は珍しがられて、しかし次第に親しんでいったのです。それでもなお反対や嫌がらせがありました。それから30年ほど過ぎた1928年のことでした。小さな、しかし一つの確かな転機が訪れました。それは、村人のある有力な家の子の一人の子どもが大やけどをして皮膚がただれ、とても危険な状態に陥りました。さっそくラン医師のいる小さな病院に運ばれました。ラン先生はその子どもの火傷を見て、「これはとてもひどい! もし治療して直るとすれば、誰かの皮膚から移植するしかない。それも一か八かの冒険です。しかしそれ以外の方法ではとても助からない!」と申しました。そう判断したのです。でも、いったいそのために自分の皮膚を提供する人がいるでしょうか。しかも当時、皮膚の移植といのは、冒険的な医療方法でした。しかしそれを聞いて、とっさに、「自分の体の皮膚を是非どうぞ用いてください!」と申し出た人がいました。それは、何とラン先生の奥様だったのです。さすがに夫のラン先生も他の看護婦さんたちもびっくりして、困ってしましました。しかし、彼女は固い意志と口調で、「さあ、早く!」と叫びましたので、やむなくそれを受けて、黙々と手術が速やかに進められました。一か八かの賭けでしたが、手術は見事に成功したのです。このうわさは、直ちに村人の間を駆け巡りました。御存じの方もおられるでしょうが、道教(Taoism)が大変根強いですし、儒教も確かに影響があります。当時の台湾には、中国本土から人々が次々と移住してきたのですけれども、道教や土着の、伝統的宗教は、基本的に現世の目先の幸せを求めるご利益宗教です。信じたら何かそこで利益があると考えるのです。そういう宗教に寄りすがっていた人々にとって、自分の幸せではなくて、他人の幸せと命のために自分を犠牲にするという行動は考えられませんでした。ですから、この驚くべき愛の生き方を初めて目の当たりにしたのです。単に皮膚を移植するかしないかという問題ではないのです。その背後にある考え方や生き方が自分たちの発想とはまるで違う。しかし彼女の驚くべき犠牲的な行為を通して、その息子さんは助かったのです。つまり、ご利益的な生き方を乗り越えていくまったく別の生き方がある、そういう世界があることに、村人たちは初めて気付くわけですね。彼女の行動は衝撃的な感動を与え、村人たちの生き方や考え方、その心をまったく変えてしまいました。彼らは、どこにそういう愛の源、あるいは犠牲の秘密があるのかを知ったのです。ラン先生夫妻が身をもって証したイエス・キリストの福音がそれであることを、村人たちは知ったのです。ここには、癒しと福音伝道との見事な一致があります。この病院は、今は12?3階建ての大変大きな病院になっています。医者だけでなくて、牧会カウンセリングする牧者たちも数人います。
私たちのほとんどは、もちろん医者でもありませんし看護婦でもありませんし、またあのラン先生夫妻のような立派な愛の業を行うこともできませんが、私たちを病の床から立ち上がらせた主イエスに働くみに生かされて、私たちもまた小さな癒しと介護と、また福音を宣べ伝える証し人となることが許されているのではないでしょうか。そのことのために、神様は甦りのキリストの霊を私たちに与えて、導いて下さっていることを信じて、歩んでいきたいと思います
アーメン

2006/06/04

06/06/04 ペンテコステ礼拝 歴史に現された髪の御業 M

2006年6月4日 
瀬戸キリスト教会ペンテコステ礼拝
歴史に現された神の御業     アモス書2章9_11節
讃美歌 66,?62,499
堀眞知子牧師
 ペンテコステおめでとうございます。ペンテコステとはギリシャ語で50日目という意味です。出エジプト記34章22節に「あなたは、小麦の収穫の初穂の時に、7週祭を祝いなさい」と記しているように、もともとは過ぎ越しの祭りから50日目、小麦の収穫を神様に感謝するユダヤ教の祭りの日でした。その日が私達クリスチャンにとって、クリスマス、イースターと並ぶ三大祝節の一つとなったのは、この日に聖霊が降り、地上に主の教会が誕生したからです。いわば教会の誕生日であり、聖霊降臨日とも言われています。主イエスは復活された後、40日にわたって弟子達に現れ、神様の御国について語られました。そして「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」と話された後、天に上げられました。この約束に従って、10日後に聖霊が降り、主の教会が誕生しました。弟子達は聖霊の力によって、伝道者として派遣され、2000年後の今日、エルサレムとは反対側、当時のローマ帝国が知らなかった日本、しかも当時は入り江だった所で礼拝が守られています。まさに「地の果て」いや「海の真中」まで福音が宣べ伝えられました。それは豊かに注がれた聖霊の働きとして、教会の業としてなされてきましたし、今も続いています。また、主イエスの再臨の日まで続く教会の歴史の中に、すでに瀬戸キリスト教会も加えられています。神様は今も生きて働かれる御方であり、私達人間の歴史の中に、教会の歴史の中に御業を現しておられます。
さて神様は、アモスを通してダマスコ、ガザ、ティルス、エドム、アンモン、モアブの6つの周辺諸国に対する、罪の告発と審判を語られました。アモスが、これら6つの周辺諸国への裁きについて語った時、北イスラエルの人々は、むしろ共感したでしょう。アモスが預言者として召された時、アッシリアは無力な王のために一時的に衰退しており、北イスラエルと南ユダは領土を拡張し、経済的に豊かな時代でした。ですから周辺諸国への裁きは、イスラエルの繁栄に、さらに自信を持たせると言いますか、自らを正当化させる言葉であり、心地よい言葉でした。ところが2章4節以下において、神様はユダとイスラエルへの裁きを語られています。神様はアモスを通して、繁栄の絶頂期にある南ユダと北イスラエルに対して、ライオンの鳴き声のように響く、危険と破滅を知らせる警告を語られています。周辺諸国へ語られた時と同じように「主はこう言われる」という言葉で始まって「3つの罪、4つの罪のゆえに、私は決して赦さない」と記され、イスラエルに対しては「主は言われる」で閉じられています。
神様はユダに対して、2つの罪を告発しています。それは周辺諸国の罪とは、本質的に異なります。第1に、ユダは主の教えを拒み、その掟を守りませんでした。南ユダはダビデの家系が守られ、その子ソロモンは「十戒」を刻んだ石の板を入れている「契約の箱」を安置するために、エルサレム神殿を建てました。彼はイスラエルの全会衆を祝福して「私達の心を主に向けさせて、私達をそのすべての道に従って歩ませ、先祖にお授けになった戒めと掟と法を守らせて下さるように」と言いました。けれども、それからアモスの時代まで約200年間、南ユダは神様の戒めと掟と法に、必ずしも忠実ではありませんでした。神様の掟を与えられていること、掟を守って生きることがイスラエルの恵みでした。神様がアブラハムに「祝福の源となるように。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」と約束されたように、イスラエルは神様に選ばれた民として、神様から愛され、特別な使命を与えられ、責任を負っていました。けれども南ユダは、その責任を果たしていませんでした。第2に、ユダは偽りの神によって惑わされました。約束の地カナンに入るにあたって、神様はモーセを通して「もしあなたが主を忘れ、他の神々に仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、あなたたちは必ず滅びる」と言われました。ソロモンは晩年になって、多くの異国の妻達のために、異教の神々の祭壇を築きました。その後も南ユダには、神様の目にかなうことを行った王もいましたが、神様に背いた王もいました。「あなたは、私をおいて他に神があってはならない」という戒めに背いたのです。アモスの時代の南ユダは、偶像礼拝に惑わされていました。
その罪に対する審判として神様は「私はユダに火を放つ。火はエルサレムの城郭をなめ尽くす」と言われました。これは175年後、バビロニアの攻撃によって現実となります。列王記下25章に記されていたように、バビロンの王ネブカドネツァルによって王とされたゼデキヤが、バビロンに反旗を翻したがために、エルサレムはバビロンから攻撃されました。丸1年半のエルサレム包囲によって、民の食糧は尽き、城壁の一部が破壊され、都にバビロン軍が侵入しました。彼らはエルサレム神殿と町を徹底的に破壊し、貧しい民の一部を除いて、多くの人々はバビロンに捕囚として連れ去られました。エルサレム陥落の175年前に、すでに神様はアモスを通して警告されていたのです。
最後に、南ユダのテコアの出身でありながら、神様から北イスラエルに遣わされたアモスは、イスラエルに対する罪の告発と裁きを語ります。ここにこそ、アモスの預言者としての使命と目的がありました。そして周辺諸国とユダに対しては「3つの罪、4つの罪」と言いながらも1つあるいは2つであったにもかかわらず、ここでは4つの罪があげられ、裁きについても詳しく語られています。イスラエルの罪は、第1に、正しい者を金で、貧しい者を靴1足の値で売ったことです。これは、負債を返済できない者を奴隷に売ることを意味しています。正しい者とは法律的に正しい者、つまり奴隷として売られる正当な理由のない者です。また靴1足とは、きわめて少ない額を表しています。法的に何の責任もない者を、あるいは取るに足らぬ負債のために貧しい者を、奴隷として売買していました。第2に、弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げていることです。これは不正な裁判を意味しています。人間の欲望は限りないものであり、どんなに富があっても満足することができません。いや富があればあるほど、今の状態に満足できなくて、あるいは不安を感じて、もっと富を欲するのです。そしてイスラエルでは富のある者が、さらに富を欲して、富を利用して弱い者を踏みつけていました。裁判官が富のある者から賄賂を取り、不正な裁判を行い、社会的弱者を苦しめていました。それは財産の問題に留まらず、彼らの社会的生活、人生そのものを曲げていました。第3に、父も子も同じ女のもとに通い、神様の聖なる名を汚していることです。イゼベルによってもたらされたバアル信仰、豊穣の神々の祭りでは性を伴う宗教儀式が行われていました。神殿娼婦の所へ、父と子が訪れることもありました。また宗教的乱れから、若くて弱い立場の女性のもとへ、父と子が訪れることもありました。これも社会的弱者を苦しめることであり、同時に家族の倫理的基盤が崩れていました。第4に、祭壇のある所ではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ、科料として取り立てたぶどう酒を、神殿の中で飲んでいることです。祭壇のある所ではどこでも、と記されているのは、イスラエルが異教の神々をも含めて、およそ祭壇であるならば、どこでも宴を開いていたことを意味しています。しかも貧しい者から担保として取った衣服を敷物として用い、取り上げたぶどう酒を飲んでいました。社会の中で力のない人々が、経済的、法的、性的な虐待を受けていました。ヤロブアムの時代、北イスラエルは豊かさの中にあって退廃していました。経済的豊かさによって、宗教的儀式は盛んに行われましたが、主なる神様への信仰心を失っていました。
11,12節に記されているナジル人は、特別の誓願を立てて、神様に献身した者です。ナジル人である間は、ぶどう酒も濃い酒も、ぶどうの木からできるものはすべて、口にしてはならないことになっていました。ナジル人も預言者も、彼らの存在そのものが、神様の民としての恵みのしるしでした。ところがイスラエルは、ナジル人に酒を飲ませ、預言者に預言するなと命じました。社会的弱者が虐待され、恵みが恵みとして受け入れられないイスラエル。当然の結果として、神様の裁きが下ることをアモスは語ります。「見よ、私は麦束を満載した車が、わだちで地を裂くように、お前たちの足下の地を裂く。その時は、素早い者も逃げ遅れ、強い者もその力を振るいえず、勇者も自分を救いえない。弓を引く者も立っていられず、足の速い者も逃げおおせず、馬に乗る者も自分を救いえない。勇者の中の雄々しい者も、その日には裸で逃げる、と主は言われる」収穫時に麦束を満載した荷車が、その重みで地に深いわだちを刻むように、イスラエルの足下の地を裂く時が来る。神様の裁きの重さに圧倒されて、どのような抵抗も許されない時が来る。足の速い者も、その速さにもかかわらず裁きから逃れることはできない。力が強い者も、裁きの力の前には力を失う。危機に直面している人間が頼りとするものは、神様の力に対しては何の役にも立たない。アモスは、迫りつつあるイスラエルへの審判を語ります。神様に対して絶対的に依存すべきことと、神様に対する責任を負うべきことを真剣に受け止めようとしない、イスラエルの姿勢に対して、神様が自己を貫徹すること、神様の現実を証することが預言者アモスの任務です。豊かさに安住している北イスラエルですが、実はサマリア陥落まで40年もないのです。
神様はアモスを通して、御自分がどのような存在であるのか、どのような力をもっているのか、何をしてこられたのかを語られます。「その行く手から、アモリ人を滅ぼしたのは私だ。彼らはレバノン杉の木のように高く、樫の木のように強かったが、私は、上は梢の実から、下はその根に至るまで滅ぼした。お前たちをエジプトの地から上らせ、40年の間、導いて荒れ野を行かせ、アモリ人の地を得させたのは私だ。私はお前たちの中から預言者を、若者の中からナジル人を起こした」イスラエルの歴史の中に働かれた神様の御業が語られています。出エジプト、荒れ野の40年の旅、約束の地カナンへの侵入と土地取得、イスラエルのカナン定住、そこに働かれた神様の導きを語ります。イスラエルは神様が自分達のために何をなされたかを思い起こし、神様の愛の御業に応えるように促されています。エジプトで奴隷状態にあったイスラエルを解放した。荒れ野における試練の40年の旅を守り導いた。約束の地カナンの先住民族であったアモリ人を滅ぼし、その土地をイスラエルに与えた。「イスラエルよ、そうではないか」という言葉は、神様がイスラエルに確認を求める問い掛けです。
同じように私達キリスト者に対しても、神様は御業を語られ、確認を求めて問い掛けられています。「あなたがたのために、愛する独り子を遣わしたのは私だ。主イエスの十字架によって、あなたがたの罪を赦したのは私だ。主イエスの復活によって、あなたがたに永遠の生命を与えたのは私だ。あなたがたの群れに聖霊を降らせ、主の教会を地上に誕生させたのは私だ」エフェソの信徒への手紙1章22,23節でパウロは「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」と述べています。教会は、主キリスト以外の頭を持つことはなく、唯一の頭である主キリストの体なのです。以前にも申しましたが、教会は建物ではなく、神様によって召し出された人々の集まりです。聖霊が降り、地上に初めて主の教会が生まれた日、教会という建物はありませんでした。弟子達が一つの家に集まって祈っている時、神様から聖霊が降ったのです。また初代教会は、個人の家で礼拝を守っていました。たとえばフィレモンへの手紙の中で、パウロは「あなたの家にある教会へ」と書いています。建物ではなく、恵みの与え手である主キリストが満ちておられる所、それが私達の教会なのです。
アモスが預言者として立てられたイスラエルも、先在的な教会でした。またイエス様が伝道生活を始められてから、その周りに召し集められた弟子達の群れも、主の教会の原型をなしていました。しかし神様の御計画の最終的段階となる歴史的な教会は、主イエスの復活から50日目に当たるペンテコステの日に、聖霊が降ったことによって、地上に誕生しました。父なる神様によって、イエス様がこの世に遣わされた目的は、十字架の上で私達の罪を贖い、御自身の血の贖いによって召し集めた人々を、教会という群れとして、主イエスを救い主と信じる共同体として、地上に建て上げることでした。そして教会には、主イエスの一回限りのできごとである復活により、今も復活の主イエスが生きて働かれています。イエス様を通して現された神様の御力が、今や、教会の頭である主イエスの上にあります。主イエスの力ある御業によって、神様の愛と御力がすみずみまで満たされているのが、私達の教会です。教会の頭としての主イエスの支配の力は、教会を愛して、そのために御自身を捧げられた、イエス様の愛に基づいています。私達の現実がどうであれ、すでにイエス様が罪を贖って下さっています。もちろん、すでに贖われたからといって、何をしても良いというのではありません。罪を贖われた、罪を赦された。その量ることのできない愛と恵みに応えるために、私達は召されています。召された者としてふさわしい歩みがあり、その道を歩むように、神様は道を切り開いて下さっています。何度も何度も罪を犯し失敗を繰り返す人間が、神様のもとに立ち帰ることができるように、神様は地上に教会を建てて下さいました。主の教会において、私達が神様に礼拝を捧げ、聖書の御言葉に耳を傾け、神様を心から讃美する時、主の愛と御力が、この教会に満ちるのです。歴史に現された神様の御業を絶えず思い起こし「キリスト者よ、そうではないか」という呼び掛けに応えさせていただく。神様の愛と恵みに応えさせていただく。そのような群れとして、瀬戸キリスト教会が整えていただけるよう、上からの愛と御力を祈り求めましょう。