2006/08/28

06/08/27 ”霊”による割礼 T

”霊”による割礼
2006/8/27,ローマの信徒への手紙2:17_29
 淀川キリスト病院で過去7年間、8人の赤ちゃんが両親の同意の下、死が避けられないと判断されて延命治療が停止されました。新生児集中治療室で治療中の無脳症や致死的な脳室内出血の赤ちゃんの余命が「数十分から1、2時間」になったところで積極的治療が停止されました。
 医療チームを複数の医師、看護師、ソーシャルワーカーで組織し、家族との対話を重ねた結果判断したそうです。家族との時間を尊重し、『看取りの医療』を目指し、家族が『別れの儀式』を持つことができるように配慮したものです。
 淀川キリスト病院はホスピス、末期がん患者の終末期ケア、ターミナルケアを日本本で最初に導入した病院として知られています。ホスピスとしての実績を、新生児にも適応したとも言えます。法的には全く問題がないそうです
 医学の進歩は従来なら死産と思われる新生児を出産させることが可能になりました。超未熟児、異常分娩、障害児でも現代の医療で救命できる可能性が高くなりましたが、その反面、医療の限界で救命できない新生児も増えてきました。
 現代の医学は超未熟児、法的にはまだ人間と見なされない赤ちゃんも出産させ、成長させることも可能にしました。また、超未熟児の赤ちゃんも正常分娩した赤ちゃんと変わることなく成長させる育児技術も確立されてきました。
 一方、新生児でも生きる権利があると共に人間としての尊厳を保った死を迎える権利もあります。さらに、赤ちゃんを失う両親にも子供との『別れの儀式』を持つ権利があります。医療は両親の心の癒しも考えなくてはなりません。
 「日本水頭症協会」代表の山下泰司さん(41)は「私は重症新生児への延命治療拒否は絶対ノー。生まれてくる子の命を奪う権利は、親といえどもない」と主張しますが、「同じ立場の親たちには『一緒に頑張ろうよ』と伝えたいが…」、一概に親に強制することもできず、複雑な胸の内を明らかにしました。
 「どんな重度の障害を持って生まれても、その子は懸命に生きようとしている。今後このような風潮が強まれば、障害者を社会から排除する思想にもつながりかねない」というのは正論ですが、それで割り切れない現実があります。
 医療チームが赤ちゃんの生命を救うために懸命に努力しても医療の限界に達した時に、延命治療の停止を考えざるを得ない時代になったのです。死に行く赤ちゃん、残される両親のために何が最善かは人間の思いを越えるでしょう。
 「人間にとって平等なのは死だけである 」誰かの言葉であったと思いますが、人間はこの世に生を受けた時から死に向かった旅をしています。科学も、文学も、宗教も、人を肉体的な死から解放することはできません。
 淀川キリスト教病院は人の死を無とは考えていません。人の死の向こうに主イエス・キリストがおられることを信じています。天国で赤ちゃんが両親と会えることを確信しているのです。だから赤ちゃんにも両親にも人間としての尊厳を保った死を迎えさせたやりたいのです。それが教会が建てた病院の使命だからです。
 パウロはユダヤ人が律法を授けられ、唯一の主を誇りにし、主の御心を知らされ、律法に基づき何をなすべきかを弁えています。また律法の中に知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負していることに言及しています。さらに、
なぜ他人に教えながら自分には教えないかと言っているのです。『盗むな』と説きながら盗み、『姦淫するな』と言いながら姦淫を行い、偶像を忌み嫌いながら神殿を荒らすユダヤ人の不誠実さをあげつらっているのです。ユダヤ人は律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っているからです。『あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている』とイザヤ書に書いてあるとおりだからです。
 ユダヤ人には神から特別に選び分かたれた民、選民の徴として律法が与えられているのにも拘わらず、律法を守ろうとしないユダヤ人の不誠実さを追求しています。律法には「何をなすべきか」、「何をしてはいけないか」、行動規範が明記されています。「唯一の主を主とする」、「律法を遵守する」、主と契約を結んだユダヤ人が律法を守らないのは神の民としての資格がないと主張するのです。
 さらに、パウロはユダヤ人が受けている割礼も律法を守るから意味があるのであり、律法を破れば割礼を受けていない者、異邦人と同じであるというのです。だから、割礼を受けていない異邦人が律法が要求することを実行すれば、割礼を受けた者と見なされると主張するのです。ユダヤ人が文字で書かれた律法を所有し、割礼を受けていながら律法を破っているのだから、割礼を受けていなくても神の律法を守る者、異邦人キリスト者がユダヤ人を裁くことになると言うのです。
 パウロは外見上のユダヤ人、肉体に割礼を施されているが律法の遵守を建前としながらも律法を破っているユダヤ人が真のユダヤ人ではなく、内面がユダヤ人である者こそ真のユダヤ人、肉体的には割礼が施されていないが神の律法を守っている異邦人キリスト者こそが”霊”による割礼を受けた人たちであると主張しています。その誉れ、神の民としての徴は人からではなく神から来るのです。
 ローマの信徒にはユダヤ人もいましたが、異邦人が多くいました。人は律法が文字として残されているユダヤ人、割礼が肉体に施されているユダヤ人と割礼が施されていない異邦人とに二分されますが、パウロは神の律法を守る者が神から選ばれた民、真のユダヤ人であり、律法を守らないユダヤ人は割礼が施されていてもユダヤ人ではないと主張しているのです。パウロは割礼がない異邦人キリスト者も神の律法に生きれば主に選ばれた民、選民であると強調しているのです。
 異邦人伝道者パウロと「割礼と律法の遵守」を金科玉条のごとく掲げるユダヤ人との間で激しい摩擦が生じていました。パウロの伝道を具体的に妨げたのはユダヤ人同胞でした。教会はユダヤ人の頑迷な「割礼と律法の遵守」から解放されることが必要でした。異邦人教会の理論的な基礎が必要とされたのです。
 『福音には神の義が啓示されている』、パウロは福音に生きることのみが神から選ばれた民、選民としての資格であると考えていました。「割礼や律法の遵守
」は行いが伴わなければ全く無意味であると考えていました。神の律法、言葉を換えれば生ける主の福音こそが人を神の民とするからです。ユダヤ人、異邦人との間には何らの差別はないのです。福音に生きる者だけが主の民だからです。
 ローマ世界ではユダヤ人は特殊な民として認知されていました。ローマは多神教の上に、支配下の国々の神々を取り入れたので数十万の神がいたそうです。ローマは多民族、多文化、多言語のコスモポリタンな国家でした。オリエントの国々は他国を侵略、略奪する機会をいつも狙っていました。彼らは略奪し尽くし、生き残った者を奴隷にし、神殿、都市を廃墟にしましたが、ローマは敗者を属国にし、彼らの宗教、慣習を認めました。ユダヤ人には神殿税をエルサレムに送る権利、最高法院、律法により自治、安息日の遵守が例外的に認められていました。
 ローマは一神教のユダヤ人を理解することができませんでしたが、ユダヤ人と争えば膨大な戦費と軍隊が必要とされるので、ローマの秩序を犯さない範囲で独自な宗教と慣習を認めていました。ユダヤ商人は帝国内の物の移動を担い、ローマにも利用価値がありました。ローマの統治上なされた配慮ですが、紀元70年にはエルサレムが廃墟にされ、ユダヤ人は故郷から強制的に離散させられました。
 ユダヤ人は神から選ばれた民、選民意識が強く、ユダヤ人以外を異邦人として蔑視しました。帝国内に移り住んでいたユダヤ人は汚れることを恐れ、異邦人との交わりを避けました。ユダヤ人は会堂を中心にして彼らだけで生活しました。周囲の人間を異邦人と差別すれば彼ら自身も差別されます。ユダヤ人は世界中で現代に至るまで「最もいやな民族」として差別され、迫害されてきました。
 ローマ世界の人たちには礼拝の対象を持たない宗教は理解できませんでした。偶像礼拝を堅く禁ずるユダヤ人は「神々を愚弄する民」としか思えなかったのです。さらに、ユダヤ人の異邦人に対する軽蔑に満ちた目はそのまま彼らに返されたのです。ユダヤ人のこの閉鎖性が彼らに茨の道を2000年間歩ませたのです。
 パウロはバイリンガル、ヘブライ語とギリシア語を併用するユダヤ人であったからこそ、ユダヤ人キリスト者でもユダヤ人特有の傲慢さから逃れられない現実を見つめていたのでしょう。一方、「割礼と律法からの自由」を掲げる異邦人教会でも異邦人キリスト者に「割礼と律法」に対するこだわりがあったのでしょう。心の片隅にはユダヤ人キリスト者に対するコンプレックスがあったように思えます。「割礼と律法」こそ福音伝道を遮る高い壁であると強く感じたのです。
 パウロはエルサレムへ上京し、エルサレム教会との和解を目指しています。パウロは教会の教理として「割礼、律法からの自由」を認めさせなくてはならないのです。教会が「割礼と律法」に拘れば、異邦人伝道が妨げられるからです。ユダヤ人教会と異邦人教会とが異なる福音に陥る可能性が高かったからです。
 パウロの視線は主の教会の一致に注がれていました。帝国内に散らばる異邦人教会とパウロは教会のネットワークで固く結ばれていましたが、エルサレム教会とは意思の疎通ができていなかったようです。両教会が一致するためには「割礼と律法からの自由」が踏み絵になっています。パウロの「真のユダヤ人」論は福音によるユダヤ主義からの解放を主張しているだけです。ユダヤ人キリスト者の「割礼と律法の遵守」も信仰によるのならば否定しているわけではないからです。
 パウロの主張はキリスト教が世界宗教になるためには乗り越えなければならない壁でした。主の世界宣教命令『あなた方は行って、すべての民を弟子にしなさい』は「割礼と律法」の壁を乗り越えなければ実現不可能であったからです。
 パウロが考える「真のユダヤ人は」は神の律法、人間に普遍的な規範、例えば『盗むな』、『姦淫をするな』を守る者を意味し、ユダヤ人であるか否かを問いません。「割礼と律法」を知りながらそれを守らないユダヤ人よりも、内面がユダヤ人である異邦人こそが”霊”、聖霊による割礼を受けた者だと考えています。
 人間に普遍的な規範、『良心』は洋の東西を問わないである。少なくともパウロは伝道旅行の中でそう確信したのです。現代の私たちの生きている世界は様々な宗教や価値観で満ち溢れています。人間として通じ合える部分があることを経験する場合が良くありますが、理解し合えない部分があるのもまた事実です。
 しかし、憲法で「思想、良心の自由」を保障しているのは、日本は『良心』を信じる社会を造り上げることを宣言したからです。日本の六法には宗教的な規範はありませんが、律法、イスラム法では宗教的な規範の方が主です。かつて日本にも宗教的な規範、タブーもありましたが、現代では余り見られなくなりました。
 教会にもかつては厳しい宗教的な規範がありました。異端裁判は教会の歴史と共にありましたが、現代では、同性婚、家族計画、進化論等ではホットな議論も交わされていますが、刑事罰を下されることはありません。教会でも宗教的なタブーを強調する教派もありますが、日本キリスト教団は原則として自由です。
 私たちは頑迷なユダヤ人のように「割礼と律法」に囚われてはならないのです。律法主義と言われるのは信仰生活を形式的に続けることに気を奪われ、信仰的な判断を下すことができなくなった状態を言います。『良心』が硬化してしまい、柔軟な発想ができなくなるのです。常識的な判断が下せなくなるのです。
 神様は私たちに自由を与えて下さいましたが、自由と共に『良心』も与えて下さったのです。私たちが神様から離れるときは良心そのものが曇ったときでしょう。良心を曇らせないためには日々の生活の中で目覚めていることが大切なのです。自分にとって何が本当に大切なのかをいつも自問自答することです。
 答えは実に単純なものです。この世のもの、富や地位や名誉のような朽ちるものに囚われるのではなく、永遠に朽ちないもの、神の変わることのない生きた御言葉に生きればよいのです。視線をわたしたちの本国、天に向ければよいのです。
 私たちは思い患いをし過ぎるのかも知れません。自分の良心にもっと信頼を置いたら良いのです。自分の常識をもっと信じたらよいのです。素直に心の内から語りかけてくる言葉に耳を傾ければよいのです。自己中心的な考えに惑わされていた世界から生ける主が支配なさる心の内なる世界に移ればよいのです。
 内なる世界は教会生活を続ける中で確実に成長してきます。本人が気づかないだけで、5年には5年の、10年には10年の、30年には30年の世界が形成されているのです。信仰生活に近道はありません。愚直に前に歩み続けるしかないのです。
 信仰に弱い、強いはありません。神様とチャンネルが通じているかいないかの違いだけです。主に生かされていることを信じて日々を送られればよいのです。必要な力は神様が与えて下さるのです。それを信じるのが信仰の世界です。
 人に感動を与える人生を歩んだ信仰の先達は大勢いますが、彼らは普通に人生を歩んだだけですと言うでしょう。普通に、常識的に、良心的に歩み続けた人生が少し目立っただけなのです。凡人は凡人らしい人生を誠実に歩み続けましょう。
    

06/08/20 自分自身が律法である T

自分自身が律法である
2006/08/20
ローマの信徒への手紙2:12_16
 小泉首相が終戦記念日に靖国神社を参拝しました。去年は普通の日に一般参拝者に交じり参拝しました。私服で参拝し、ポケットから取り出した500円玉を賽銭箱に投げ込み、黙礼をしただけでした。記帳もしませんでした。このスタイルならば私的参拝の要件に適い、政教分離を定めた憲法に違反していないと感じました。小泉首相の主張する心の問題との整合性も取れていると思えました。
 しかし、今年の参拝はモーニングを着用し、拝殿に上り、内閣総理大臣小泉純一郎と記帳しました。常識的に考えれば、政教分離を定めた憲法に反していると見なされます。私人、小泉純一郎の信教の自由、良心の自由よりも、公人、内閣総理大臣小泉純一郎に求められる政教分離の方が法律として優先されます。
 靖国神社は戊辰戦争、西南戦争などの国内戦争では天皇側、政府軍の戦死者のみを祀っています。それ以後の国外における戦争でも日本軍の戦死者のみを祀り、民間人の死者は祀られていません。天皇の軍隊のためにのみ存在する神社です。
 招魂社、後の靖国(国を安らかにする)神社は明治天皇の勅令で建てられた神社です。内務省ではなく軍部が管理していました。「靖国の英霊となる」、「靖国で遭おう」といって若者は死んでいきました。軍人製造器の役割を果たしました。
 A級戦犯合祀が社会問題化されていますが、小泉首相は明確にA級戦犯の戦争責任を認めています。A級戦犯に戦争責任があると思いますが、天皇の戦争責任が問われていない点、官僚、参謀の戦争責任が問われていない点で不十分です。
 日本では国家として先の戦争、アジア・太平洋戦争の総括がなされていません。戦争責任が明確なナチス・ドイツと日本を同一線上で裁こうとした東京裁判には無理がありました。アメリカの政治的意図、世論対策を優先にしたからです。
 日本には明確な国家的意図、戦略がありませんでした。泥縄的にアメリカに戦争を挑んでしまいました。八紘一宇、大東亜共栄圏、鬼畜米英などのスローガンはありましたが、聖戦意識のみで国家戦略を立てうる指導者がいませんでした。
 軍人は「現人神」、「皇国不滅」、「神風が吹く」ことを信じていたのかも知れませんが、信じられない非合理的な作戦を各地で遂行し、自滅しました。靖国の英霊の過半数が戦死ではなく、餓死であると主張する人も少なくありません。
 自衛戦争、アジア解放戦争と先の戦争を美化する人もいますが、数千万人を越す被害者を出した民族解放戦争とは何なんでしょうか。相手国に頼まれもせずに進駐し、植民地化し、搾取の限りを尽くしたのが大日本帝国の真の姿です。
 私たちは個人が靖国神社を参拝するのに反対しているのではありません。公人の間、靖国神社を参拝するのを控えるように求めているだけです。マスコミの過剰な反応が靖国問題に対する冷静な議論を妨げ、問題を複雑化しているのです。
 靖国神社は憲法、信教の自由で保障されている宗教法人です。政治がA級戦犯の分祀を求めるのは政教分離に反します。各県にある護国神社のように、いつの間にか靖国神社が国民から忘れ去られるようにするのが賢明な措置でしょう。 パウロはユダヤ人とギリシア人とを律法のある、なしで二分しています。ユダヤ人であるパウロには律法が有罪か無罪かの基準ですが、律法を知らないギリシア人でも律法に違反すれば罪に定められると主張しているのです。一方、律法が支配する世界で生きているユダヤ人は当然律法によって裁かれます。いずれにしろ、終わりの日に滅びの道に至るとパウロは警告しているのです。
 律法が与えられているユダヤ人ですが、律法を守らなければ神の前で正しい者とされることはなく、律法を実行して初めて神の前で義とされるからです。
 パウロはユダヤ人の特別に選ばれた民、選民としての意識に対して警告を発しています。ユダヤ人は唯一の主ヤーウェとの契約、「唯一の主を主とする、主の民として律法を守る」があるユダヤ人と、契約のない民、異邦人とを明確に区別しました。彼らは総ての人間をこの二種のどちらかに区分したのですが、パウロから見れば律法のある、なしに関わりなく罪を犯した者は総て裁かれるのです。
 例えば、律法を持たない異邦人でも律法の命じることを自然に行えば、『自分自身が律法である』とパウロは主張したのです。聖書にはアダムとエバが『善悪を知る木になっている果実を食べた』時から人は善悪を知るようになったと述べられていますが、律法の求めるのは『心』、『良心』、『心の思い』であるとパウロは纏めています。ヘレニズム世界の哲学では普通に通用していた概念でした。
 パウロはギリシア人、異邦人であるローマの信徒に対し、ユダヤ人の世界、律法が支配する世界の常識を持ち込むことを強く避けています。異邦人教会には本山であるユダヤ人教会に対する憧れのようなものがあったかも知れません。あるいはユダヤ人や律法に対し一種のコンプレックスがあったかも知れませんが、パウロはユダヤ人も異邦人も主の前では同じであることを強調しているのです。
 異邦人伝道者であるパウロはユダヤ人を特別視することはなく、異邦人も含めて同じ人間として一括りに考えていました。例えば、律法という基準がなくても人間は自由と自覚により自分の行動を律することができると考えたからです。ユダヤ人以外、つまり異邦人にも彼らなりの行動規範があるからです。さらに、パウロには人間の心の内に働かれる生ける主に対する深い信頼があったからです。
 パウロはユダヤ人は神から律法を与えられ、何が罪に当たるのかを予め知らされた者として裁かれ、異邦人は生まれながらの良心による規範が与えられた者として裁かれることを明らかにしました。最後の裁きは主イエス・キリストが再臨なされる終わりの日に明らかにされるであろうとパウロは預言しています。
 パウロはユダヤ人としての特権、神の救いの歴史における特別な位置を全く否定しているのではありません。ユダヤ人には神の言葉が委ねられきたからです。ユダヤ人は神の民として神の言葉、旧約聖書を代々守り抜いてきました。救い主イエス・キリストがこの世に遣わされることを預言したのも聖書だからです。
 しかし、パウロはユダヤ人の思い上がりを認めることはできませんでした。律法のある、なしではなく、行いによって裁かれるという視点は異邦人教会の原点です。エルサレム使徒会議で律法、割礼からの自由を主張する異邦人教会と律法、割礼を遵守するユダヤ人教会との間に和解が成立しましたが、両者の間には意識の差がありました。それを乗り越えるためにも同じ基準が必要とされたのです。
 パウロの『自分自身が律法である』という主張は人間には生まれながらに行動規範が備わっていることを信じる彼の信念から来ています。ギリシア語とヘブライ語とのバイリンガル、両方の言語を使いこなすパウロには馴染みの概念でした。ギリシア哲学、ストア派では人間には生まれながらに固有の、本能的な知識が植え付けられていると考えられていました。ギリシア世界では常識的な概念でした。アリストテレスは「教養と自主性のある者は、自分自身を律法として自分の思うとおりに振る舞う」と語りました。ヘレニズム世界の中で育ったパウロにとっては目新しい考え方ではありませんでした。ローマの異邦人教会、少なくともギリシア語が理解できる人たちにとっても普通に受け入れることができる概念です。一方、ローマ人化したユダヤ人キリスト者にも理解できる概念であったでしょう。
 ソクラテスは「悪法も法なり」といって毒杯を飲み干しましたが、ギリシア人は法律よりも哲学的思考を好む民族でした。法学的な思考はローマ人が得意とするところでした。ローマ帝国はローマ法で治められていた法治国家です。ユダヤの律法は宗教的なタブーを含む規範でしたが、ローマ法は実用的な規範、法律でした。ローマ帝国で生活するすべての人々に通用した点で画期的な法律でした。
 イエス様は『天地が消え失せるまでは律法の一点に一画も消え去ることはない』と言われましたが、『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ』とも言われました。イエス様は律法を形式的に守ることに専念し、『正義、慈悲、誠実』をないがしろにしている指導者を非難なされたのです。律法は安息日など宗教的なものを除けば、日常生活を送るための普遍的な戒めでした。
 パウロはギリシア哲学、ローマ法、律法に共通する行動規範は人間が生まれつき備えているものであると主張しているのです。人間が人間であるために守るべき規範は『心』、『良心』、『心の思い』に記されていると主張しているのです。
 十戒にある『あなたの父母を敬え』、『殺してはならない』、『姦淫してはならない』、『盗んではならない』、『隣人に関して偽証してはならない』、『隣人の家を欲してはならない』は民族が違い、文化が違っても変わらない行動規範です。人間が社会生活を営むときに守らなくてはならない普遍的な行動規範なのです。
 ローマの信徒へ宛てた手紙ですので福音に生きることを前提として書かれていますが、ユダヤ人以外、言葉を換えれば律法を持たない異邦人に対して、『自分自身が律法である』ことをパウロは明らかにしました。異邦人のユダヤ人に対する律法コンプレックスを解消し、律法からの自由を理論的に立証したのです。地中海世界全域を歩き回ったパウロの実体験が言わしめた言葉でしょう。
 パウロの伝道旅行の先々でパウロを迫害したのはユダヤ人同胞で、ローマ当局はむしろパウロを保護しました。パウロはパレスチナから小アジア半島、ギリシアに至るヘレニズム文化圏で様々な人たちと出会いました。パウロは民族、文化の違う人たちの間で伝道をしました。ギリシア人とも激しく論争をしました。
 『自分自身が律法である』はパウロの実体験に裏打ちされた結論です。机上の空論ではありません。オリンポスの神々や様々な地方の神々を信じる人たちとの生活の中から形成されてきたパウロの信念です。多神教世界に生きる人間に対する無限の信頼感が、パウロの世界伝道旅行に対する執念を支えたと思われます。
 パウロの律法のある、なしに拘わらず人間は行いによって裁かれるという主張は異邦人教会の信徒を律法コンプレックスから解放しました。人間にとって何が大切かを示したのです。パウロが「『心』、『良心』、『心の思い』として表現した人間固有の規範が誰にでも備わっている」、『自分自身が律法である』という主張は律法と割礼からの自由を唱える異邦人教会の理論的な主柱となりました。
 教会はローマ法を基礎として教会法を造り上げてきました。16世紀の宗教革命、17世紀のピューリタン、清教徒による清教徒革命、名誉革命、18世紀のアメリカ独立宣言、フランス革命、世界人権宣言、が基本的人権を市民の権利として認めさせてきました。創世記の『神はご自分にかたどって人を創造された』から「何人も人として尊重されなければならない」権利が認められてきたのです
 伊藤博文が欧米諸国を視察し、プロシアを参考にし、立憲君主制を日本に導入しました。大日本帝国憲法が明治22年(1889)に発布され、日本は立憲君主国になりました。基本的人権の概念も導入され、法律の範囲内でしたが認められました。明治政府のキリシタン弾圧は欧米の圧力により撤回させられましたが、信教の自由は国家の安寧秩序、臣民の義務を妨げない範囲で認められただけです。
 戦時中の教会は天皇制を宗教を越えた概念とし、偶像礼拝とは見なさなかったようです。宮城を遙拝し、靖国神社を参拝することにも矛盾を感じなかったようです。基本的人権も特高警察、憲兵により著しく束縛されましたが、欧米の革命の血で贖われた人権と日本の与えられた人権とは異なる展開を見せました。
 先の大戦に負け、アメリカ軍が進駐してきました。日本国憲法はGHQに与えられた憲法ですが、基本的人権が侵すことのできない永久の権利として認められています。信教の自由、思想、良心の自由も明記されています。基本的人権が無条件で認められたのです。戦争で亡くなられた人たちの血で贖われた憲法です。
 基本的人権、特に信教の自由は教会の生命線です。戦時中、安芸でも森派が弾圧され、殉教者を出しました。かつてのソ連、現在の中国でも教会は迫害を受けています。基本的人権は一度失うと革命でも起きない限り取り戻すことはできません。教会は人権を守るためにいつも目覚めていなければならないのです。
 教会は政治団体ではありませんが、信仰の闘いを放棄してはならないのです。私たちの闘いは地道に教会生活を続けていくことに尽きます。社会を支え続けるのは市民の日常生活だからです。ビラを撒いたり、デモをするだけが闘いではないのです。何があろうとも教会に通い続ける信徒の集団が教会の歴史を造り上げてきたのです。中世の暗黒時代も含め、教会に連なり続けた人の波が歴史を造り上げてきたのです。生ける主の福音が時代を超え、空間を越えて働いたのです。
 私たちの教会も2000年に渡る教会の歴史の上に、多くの先達の血と汗の上に立っているのですから、私たちも主の福音を広げ、次の世代に残さなくてはならないのです。私たちの生活の基盤である人権も福音がもたらしたものだからです。
 日本では教会生活と社会生活とは一致しない場合が多くありますが、社会生活を営む中で信仰を守り抜くことが大切なのです。良き市民であることが伝道の要なのです。「あの人のようなりたい」と思われるのが伝道の第一歩です。信仰生活の目標は敬虔なクリスチャンであり良き市民であることに尽きるのです。

06/08/13 主の招きに従う M

2006年8月13日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主の招きに従う     マルコ伝8章31節_9章1節
讃美歌 9,332,461
堀眞知子牧師
31節はギリシア語原文では「それから彼は教え始められた。彼らに」という言葉で始まっています。イエス様は、弟子達に教え始められました。ペトロの「あなたは、メシアです」という信仰告白に続いて、イエス様は「弟子達への教え」として「人の子の受難」について語られました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達から排斥されて殺されることになっている」と。イエス様は「必ず多くの苦しみを受け、殺されなければならない」と言われました。イエス様の思いとか偶然とかではなく、神様の御計画として必ず成就しなければならないことを、強調されました。長老、祭司長、律法学者達はユダヤ議会を構成する3つのグループであり、当時のユダヤ人社会において指導的地位にありました。イエス様は彼らの手によって排斥され、殺されるように、神様によって定められていました。イエス様は「人の子の受難」だけではなく「人の子の復活」についても語られました。「人の子は必ず3日の後に復活することになっている」必ず復活しなければならない。神様の御計画として必ず成就しなければならないことを、強調されました。主イエスの復活は、イエス様の死が完全な死であったこと、つまり仮死状態などではなかったことを裏付けるものであり、同時に十字架の死が、ローマ帝国やユダヤ人指導者達に対する敗北ではなく、むしろ彼らが誤っていること、彼らが神様に背いていることを示すものでした。また、十字架の死は神様に呪われた死でもなく、罪に打ち勝ち、死に打ち勝った証でした。イエス様は「人の子の受難と復活」を弟子達に教えとして語られ、しかも、そのことをはっきりとお話しになりました。イエス様は受難と復活の予告を、群衆には示されませんでしたが、弟子達には明らかに語られました。この受難の予告はイザヤ書53章に記されている「苦難のしもべ」の歩みです。イエス様は「彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった」と500年前に預言されていたことを成就するために、世に遣わされました。
ところが「あなたは、メシアです」と信仰告白したペトロが、この受難と復活の予告を聞いて、イエス様をわきへお連れして、いさめ始めました。この「いさめた」という言葉は「厳しく叱る」という意味を持っています。弟子が先生に向かって使う言葉ではありません。イエス様がメシアであることは正しく告白できても、そのメシアの受難については、ペトロは受け入れることができませんでした。おそらく、この時のペトロには「復活の予告」は全く頭に入っていなかったと考えられます。復活の約束などは、どこかへ飛んでしまうほどに受難の予告が衝撃的でした。「受難の予告」で躓いてしまったのです。ペトロを初めとして、当時のユダヤ人が描いているメシア像がありました。それは栄光のメシア像であり、具体的にはローマ帝国を倒してイスラエルを再興し、ダビデ王国を支配するメシアでした。イエス様の「受難の予告」は、そのメシア像とあまりにも異なっていました。ペトロにとって、メシアは苦難を受けて死ぬような存在であってはならないのです。ペトロにとって、イエス様の「受難予告」は想定外のことであり、特にユダヤ人の指導者達によって殺されるということは、絶対にあってはならないことでした。ペトロは、イエス様が歩まれる道は、神様の御計画によるものであること、また神様の御独り子として従順に、その道を歩もうとされるイエス様を理解することができませんでした。自分の諫言が、神様の御心に反抗するものであり、イエス様の道を妨害する行為であることを理解することができませんでした。
ペトロの諫言を聞いたイエス様は、振り返って弟子達を見ながら、ペトロを叱られました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」イエス様はペトロを叱る時、彼だけを見たのではありません。弟子達全員を見ながら、彼を叱ったのです。イエス様は、ペトロが御自身をいさめたことを、サタンによる誘惑と受け取られました。神様のことを中心にしない人の思い、それは善意も含めて、サタンによる誘惑です。私達は、人の優しさに弱いのです。信仰的決断を必要とする時、100%、神様に信頼を置いて行動しないと、誤った道に陥ってしまいます。直前にイエス様は弟子達に「人々は、私のことを何者だと言っているか」と尋ねられました。それに対して弟子達は「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに『エリヤだ』と言う人も『預言者の一人だ』と言う人もいます」と答えました。再びイエス様が尋ねられました「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」ペトロは答えました。「あなたは、メシアです」「メシアです」と答えながらも、彼が抱いているメシア像は、従来のメシア像から抜け出ていませんでした。それは「洗礼者ヨハネだ」「エリヤだ」「預言者の一人だ」と答えると同様に、誤った捉え方でした。人間の思いに捕らわれていました。イエス様は父なる神様の御計画に従って、人間の罪を贖うために十字架に付くメシアとして、神様の御独り子でありながら人間として、地上に遣わされたのです。ペトロは人間の思いに捕らわれるのではなく、神様の御計画に従わなければなりませんでした。神様の御計画によれば、メシアは栄光の主であると同時に「苦難のしもべ」でした。ペトロも他の弟子達も、その真実を知らなければならなかったのです。そしてイエス様の「受難と復活の予告」によって、イエス様はどなたであるかが明確になりました。十字架の道によって、その使命を成就するメシアであり、復活によって栄光に輝くメシアであることが明らかになりました。
それからイエス様は、群衆を弟子達と共に呼び寄せて言われました。 受難と復活の予告が、弟子達への教えとして語られたのに対し「私の後に従いたい者は」という招きの言葉は、群衆にも向けて語られました。多くの人々は、弟子達さえも、イエス様の力ある業に与ろうとして、彼の後を追いかけていました。このような弟子達や群衆に向かって「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と語られました。私達はイエス様の後に従うのであって、イエス様の先を歩く者ではありませんし、自分の思いが優先するのではありません。「私の後に従いたいと願う者は誰でも」12弟子だけではなく、イエス様の周りにいる群衆に向かって、すでに弟子として召された者もそうでない者も、すべてに向かって語られました。主に従うとはどういうことなのかについて、福音に生きるとはいかに生きることなのかについて語られました。第1に「自分を捨てなさい」第2に「自分の十字架を背負いなさい」第3に「私に従いなさい」
イエス様は、第1に「自分を捨てなさい」と言われました。捨てるとは自己を否定すること、自己を放棄することです。イエス様のもとに集まってきた人々には、いろいろな思いがありました。ペトロは弟子となるにあたって、仕事を捨て、家族を捨てました。けれども自分を捨ててはいません。十字架も背負ってはいません。何よりもイエス様がおられます。けれども今や、イエス様が受難を予告された以上、主イエスの招きに従って歩む道も異なってきます。主イエスに従うということは、一度、自分の考えを捨てることです。弟子達や群衆が、いろいろな思いをもってイエス様に付いてきたように、私達も教会へ来るきっかけとなったできごとは、いろいろあるでしょう。人生における困難、金銭的あるいは人間関係、家族関係の問題、自分自身の病気や性格の問題など、あるいは死との戦い。そのような理由で教会へ来たとしても、それらは一度は捨てなければなりません。自分の思いを捨て、主イエスのことを考えることによって、主イエスのもとへ立ち帰ることができます。主イエスの真実と愛に触れた時、私達は変わらざるを得ないのです。イエス様御自身が、御自分の意志をすべて捨てて、神様に定められた道を歩まれ、神様の御心が成就することだけに、御自分の思いと存在を用いられたように、私達にも徐々に古い自分を捨てる、自分の判断によって自分の行く道を選ばず、神様の御心に従う道が開かれていきます。それは悟りのように自分を克服することではなく、自分を否定することです。自己否定によって救われる道へと、私達は招かれています。
イエス様は、第2に「自分の十字架を背負いなさい」と言われました。古い自分を捨てる道が開かれた者として、新しい自分を求めて主イエスに従う時、私達が負うべき十字架が明らかになります。主イエスに従う時、負うべき重荷が見えてきます。イエス様が十字架を負われたように、死を覚悟して主イエスに従う道です。それは強制されてではなく、自発的に引き受ける苦難の道です。イエス様は、第3に「私に従いなさい」と言われました。自分を捨て、自分の十字架を負う者として、主イエスに従うことです。自己否定と徹底した服従こそが、真実の信仰の姿であり、神様によって創造された人間の真実の生き方です。けれども自分を捨てることも、自分の十字架を負うことも、人間の努力や熱心によってできるものではありません。神様の力によって可能となります。ペトロがそうであったように、私達もまた上より聖霊の力を受け、聖霊の導きによって、主イエスの招きに従うことが可能となります。たとえ信教の自由が保証されていても、キリスト者が1%に満たない日本においては、日常生活の中において信仰の戦いがあります。
主イエスに従う者は、十字架を負わなければなりません。死と思える十字架が、実は命を得る道です。そこでイエス様は「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」自分の命を救いたいと思って、自分を大切にし、十字架を負って主イエスに従うことを拒否する者は、永遠の命を得る機会を失います。けれども主イエスのため、つまり福音宣教のために命を失う者は、神様によって救いに与ることができます。人間にとって、もっとも大切なものは命であって、それは全世界のものをもっても代えることができません。永遠の命とは、自然死によって滅びてしまう命ではなく、また霊魂不滅というようなものでもなく、神様によって与えられる命であり、神様との交わりに生きる命です。人間は、どうしても自分を生かそうとする方向に向きます。自分の考え、自分の人格、自分の判断を正しいとするからです。ところがそのような道を選ぶと、ますます神様から遠ざかる結果になって、神様から賜る永遠の命を失うことになります。福音を第1に生きる時、この世とは異なった法則に従って生きるのですから、この世では苦しみがあるのは当然です。けれどもその中で、主イエスと同じ姿に変えられていき、主イエスが復活して栄光を受けられたように、私達もまた栄光を受けることができます。この世にあって、たとえ全世界を自分のものとしても、永遠の命を失っては何の役にも立ちません。努力して成功した人の生涯も、神様の前には無に等しいものです。福音だけが人を救いに導く神様の力です。
命を救うか失うかの分岐点は、主イエスとの関わりが保持されているか否かにあります。もし自己の命を愛し、救うために十字架の道を避けるならば、主イエスとの関わりは断たれてしまって、再び罪の中に生きざるを得ません。十字架を負うことによって命が失われたとしても、主イエスとの交わりに生き続けることによって、命を新たに見出すことができます。排斥されて殺されるイエス様に従うことは、復活の主イエスとの交わりの中に生かされることです。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」荒れ野の誘惑において、悪魔はイエス様に、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう」と言いました。すると、イエス様は「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」と言われて、この誘惑を拒絶されました。けれども、この誘惑に引かれる者は、イエス様を捨て、殺し、同時に自らの生を無益なものに終わらせることになります。キリスト教は、自分を捨てることによって始まりますが、新しい自分を得ることをもって終わります。新しい自分とは、永遠の命を与えられた存在です。それは主イエスの招きに従った時から、主イエスを信じて、洗礼を受けた時から与えられます。
「神に背いたこの罪深い時代に、私と私の言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来る時に、その者を恥じる」イエス様の時代も、そして今も、信仰的に不誠実な時代です。イエス様の教えに従わず、主イエスのために命を失うことを拒む生き方は「私と私の言葉を恥じる者」になります。最後まで主イエスとその福音を恥じて受け入れない者は、主イエスの再臨の時、神の国を打ち立て、全世界の救いを完成する時、受け入れられません。地上における主イエスに対する態度が、来るべき終末の時に、神の国の一員として認められるか否かを決定します。十字架を負いつつ従ってきたか否かが、終末の日に明らかになります。神様の御言葉と主イエスにのみ、最後の信頼を置いて生きる時、私達は真に生きる力と方向性を与えられ、人間では測り知ることができない、神の平安が与えられます。
最後にイエス様は言われました。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる」イエス様は終末の日が近いと考え、弟子達のある者が生存している内に、神の国は到来すると考えていました。これは、現代に生きる私達にとっても重要なことです。私達は自分が生きている間には、主の再臨はないと考えてしまいがちです。瀬戸キリスト教会の群れの中に、その人が生きている間に主の再臨の日が来る、そのように信じて信仰生活、教会生活を送る、そういう緊迫感は持ち続けることが大切です。私達一人一人が主イエスの招きに従い、十字架の主イエスに支えられ、主イエスに従うゆえの苦難を積極的に担い、信仰の生涯を全うさせていただきましょう。また神の国の到来が近いことを祈り求める群れとして、この地に立たせていただきましょう。

2006/08/06

06/08/06 神を愛し、人を愛す 橋本神学生

神を愛し、人を愛す
橋本いずみ神学生
マルコ12:28-34
瀬戸キリスト060806

「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか?」この律法学者が主イエスに問うた問いです。
この問いは、私たちに、とっても切実な問いであると思うのです。キリストを信じるというときに、何を一番大切にしなければならないのか。キリスト信じるとは、結局そうすればよいのか。という問いを持つのではないかと思うのです。

「どの掟が第一でしょうか?」という問いに対して、主イエスは、お答えになります。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい』この二つにまさる掟はほかにない。」

主イエスは、申命記とレビ記に記された二つの掟をお答えになります。さらに第一の掟として引用した「神を愛せよ」との掟に先立つ言葉をマルコだけが、記しています。それは、「聞け、イスラエルよ」という呼びかけです。「聞け、イスラエルよ」という言葉から始まる、「神を愛せよ。」という掟を第一の掟として命じられました。

『聞け、イスラエルよ、私たちの神である主は、唯一の主である。』この言葉は、おそらく、当時のユダヤ人なら誰でも知っている言葉であったと思います。来る日も来る日も、この言葉を暗誦し、この言葉を記したものを手や額に結び付けて持ち歩いたりしていました。さらには、家の門にこの言葉を書き記していました。ですから、「聞け、イスラエルよ、私たちの神である主は唯一の主である」この言葉は誰もが、覚えている言葉として、知られていたはずです。

さらに、「聞け、イスラエルよ、私たちの神である主は、唯一の主である」と聞けば、必ず思い出すであろう、一つの出来事がありました。それは、出エジプトの出来事です。この言葉を聞くと、当時の人たちは、主なる神の大きな御業を思い出したことでしょう。主なる神が、エジプトの国、奴隷の家から、イスラエルの民を導き出された。その出来事を、神様がイスラエルの民のために為してくださった偉大なみ業を、思い出したのです。

主イエスは、掟に先立って、神さまの大きな御業を思い起こさせます。

「第一の掟は何か?」という律法学者の問いに対して、主イエスは、「主なる神を愛する」という掟と、「隣人を愛する」という掟を紹介されました。ここでの問題は、私たちが愛することです。

私たちが、神を愛すること、そして、人を愛することが命じられています。

しかし、私たちが愛することに先立つものがある。それは、かつて主なる神が、イスラエルの民をエジプトの国から、導き出したということです。神様が、愛するイスラエルの民のために、御業をなしてくださったということ、どれほどにイスラエルの民を愛して、守り導いたかということを思い起こさせるのです。

当時のユダヤ人たちは、確かに出エジプトのあの出来事を思い出したでしょう。しかし、愛することをお命じになった主イエスは、もう間もなく人々の罪を担って十字架にお架かりになります。私たちの罪を担って十字架にかかってくださるお方が、神を愛すること、人を愛することを私たちにお命じになります。

主イエスは、十字架の上で、私たちのために血潮を流し、肉を割いてくださいました。私たちの罪を贖う犠牲になってくださいました。この十字架の出来事にまさる愛はありません。

主イエスは、私たちのために、命を棄ててくださいました。それは、私たちを神の御許に帰すためです。神さまの御許から離れようとする私たちのために、主イエスは、この世に来てくださり、私たちのために命を棄ててくださいました。このことが、主の愛のしるしです。

私たちが、神様のもとに立ち返るために主イエスは、命を棄ててくださった。神の御元に帰るために、犠牲になってくださったのです。

私たちを愛するゆえに、命まで惜しまずお棄てになった、そのお方が、私たちに愛することをお命じになります。命を棄ててまで、私たちを愛してくださるお方が、あなたも私、神を愛すことをお求めになる。

第一の掟として、主なる神を愛することをお命じになられます。しかも、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、」あなたの神である主を愛しなさいと仰っています。
すべての心、すべての精神、すべての理性、すべての能力を用いて、主なる神を愛するようにと命じます。私たちの全存在を持って主なる神を愛する。主イエスが、全存在をもって、父なる神を愛し、神の御旨に従って歩んだように、全存在をもって、主なる神を愛し、全てを神に捧げなさいという掟です。

それでは、愛するとは、どういうことでしょうか。主イエスは、私たちのために命を捧げてくださいました。これが、神のなされた愛のみ業です。

愛するということと献げることは、深く結びついていることであると思います。何かを捧げることで、初めて、愛が分かるのでは、ないでしょうか。心の中で思っているだけのことではなく、愛は目に見える形であらわれてくるのです。
主イエスが、十字架に架かってくださったのは、愛ゆえの出来事です。目に見える十字架に架かってくださったそのことを見て、初めて、神様がどれほどに私たちを愛してくださったかを知ることができたのです。

私たちの神様に対する愛も同様です。神様を愛するときに、それは、目に見える形で現れるのです。礼拝こそが、神さまを愛しているしるしです。この礼拝において、私たちが神様を愛しているということが最もはっきりと現されるのです。神さまを礼拝することこそが、神さまを愛することです。神さまの御前に進み出て、神さまを賛美し、神さまを主とあがめる。礼拝は、心の中の問題ではありません。このように、毎週日曜日に、人々が集う目に見える身体を用いてなされるのです。私たちの神さまへの愛は、見える形で現されるのです。

愛することは、献身するということができます。主イエスは、私たちのために命を捨てて、私たちのために献身してくださいました。献身とは、身体を捧げることです。私たちに身を捧げてくださった主イエスは、愛することを求められます。全身全霊をもって神さまを愛することをお求めになります。
私たちは、主イエスが献身してくださったゆえに、私たちも神様のために身体を捧げて礼拝し、自分の身体を献げることができる。そして、私たちの体も、私たちの思いもすべてを神様の前に差し出すときに、神様は御用のために用いてくださるのです。


「神を愛しなさい」という掟に引き続いて、もう一つの掟を紹介されます。それは、レビ記19章18節に記されている「隣人を自分のように愛しなさい」という掟です。この掟も、主なる神ゆえに命じられている掟です。レビ記の「隣人を自分自身のように愛しなさい」という言葉の後には、「私は主である」と続きます。神様が、主であるゆえに「隣人を自分自身のように愛しなさい。」と命じられているのです。

「隣人を愛しなさい」と言われると必ず、隣人とは誰か?と考えることでしょう。私にとって、あの人が隣人か。この人は、まさか隣人とは呼べないだろう。と考えるかもしれません。旧約時代、レビ記が記され、主イエスが生きておられたときの隣人は、同じユダヤ人のことを指しています。同じように主に救われた人々を隣人と呼んでいます。

では、私たちにとって隣人とは誰でしょうか?それは、主によって受け入れられた人々です。私と同じように、主に受け入れられた人が隣人です。また、これから、主によって受け入れられる人が私たちの隣人です。主イエスによってすべての人が、救われる可能性があるのです。だから、私たちの隣人は、私たちを取り巻くすべての人ということができるでしょう。

しかし、ここで、大きな壁にぶつかると思うのです。本当に私たちは、愛することなどできるか?私たちを取り巻くすべての人を愛せよと言われたら、だれもが、できないと答えざるを得ないのではないでしょうか。「神を愛し、人を愛せよ」という言葉を実行しようと思えば思うほど、神を愛することも、人を愛することもできないと感じるのではないかと思います。

さらに、ここで、隣人を愛すことの前提として「自分自身を愛する」ということ言われています。自分自身のことは、誰もが無意識に愛すことができるということでしょうか。

「自分自身を愛する」ということを深く考えてみますときに、本当に自分自身をゆがみのない形で愛しているでしょうか? 自殺をする人が増えている世の中で、自分自身を愛することは、自明のことであるとは、言えないのではないかと思います。また、自分自身を振り返ってみて、幾度となく他人と比べて、自分には賜物が少ないと思い、どれだけ自分の嫌なことばかりに目を向けてきたかと思います。欠けがあり、弱さがある自分を愛しているとは、言えないと思いました。

私は、神さまに受け入れられているにもかかわらず、自分を本当の意味で受け入れていないのではないかと思わされます。

神さまは、自分を愛するということを否定なさいません。いやむしろ、自分自身も愛すべき存在として受け入れるようにとお命じになります。あなたは、愛すべき存在であると言われるのです。

そして、現に、自身よりも、あなたを愛してくださるお方がおられます。主なる神は、私よりも私のことをよく理解し、私たちよりも、私たち自身を愛してくださっているのです。

主イエスは、私たちの身代わりとなって、十字架にかかり命を棄ててくださいました。そして、私たちに愛を示してくださいました。ですから、もはや、私の主は、私自身ではありません。主イエスこそが、私たちの主になってくださったからです。

その上で、隣人を愛することをお求めになるのです。自分自身を愛することと隣人を愛することが一つのことであるように、主イエスは愛することをお命じになります。

さらに、隣人を愛することと神を愛することを一つのこととして、愛することをお命じになるのです。

神を愛することと人を愛することは、一つのことです。主イエスが、私たちのために命を捨ててくださった。そして私たちは、愛を知りました。だから、私たちは、神様に身を献げるのです。主が愛してくださっている隣人のためにこの身を献げるのです。

神様を愛し、隣人を愛そうとすることは、無駄にはならない。必ず、主なる神様は、喜んで受け入れてくださいます。

「神を愛し、人を愛する」という掟は、私たちがどんなに頑張っても、到達できないような、努力目標のようなものではありません。この掟によって、本来の生き方が見えてくるのです。

神と共にある豊かな、最も自分らしい生き方がここで示される。主イエスは、私たちを愛し、神のもとに立ち返ることを望んでいるから、神を愛し、人を愛することを命じられました。

主が喜んでくださるゆえに、この身を献げて「神を愛し、人を愛する」一歩を踏み出したいと思うのです。

祈りましょう

私たちの真の救い主、主イエス・キリストの父なる神さま。主イエスは、命を棄ててくださいました。私たちはあなたの愛を知しりました。あなたが、私たちの主でありますから、どうかあなたの愛を示す器として、神を愛し、人を愛すことができますように。上よりの力で私たちを満たしてください。
この私たちを御前に差し出しますから、主よ、どうか、私たちを受け入れてください。
この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン

06/07/30 主を求めて生きよ M

2006年7月30日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主を求めて生きよ
アモス書5章4_7節
讃美歌 69,2_154,304
堀眞知子牧師
ヤロブアム2世の繁栄のもと、熱狂的ではあっても形式的な信仰に陥っている北イスラエル。神様は天災などを通して、イスラエルを警告してきました。けれども、アモスが「しかし、お前たちは私に帰らなかったと主は言われる」と語ったように、イスラエルは神様に立ち帰ることなく、200年近い歩みを続けてきました。神様に背いた歩みの中で、北イスラエルが神様と出会うならば、その結果は裁きの出会いであり、滅亡が待っています。北イスラエルが滅びないで生き延びる道、それは悔い改めて神様に立ち帰り、神様を求めて生きるより他にはありません。4章と同じように、アモスは、祭りでごった返しているベテルの聖所で語っています。経済的豊かさを背景にして、献げ物で満ちている聖所、けれどもそこに集まっているのは、まことなる神様への信仰、神様との生きた交わりを失ったイスラエルでした。5章には神様の裁き、神様に立ち帰ることの勧告、神様への賛美が交互にと言いますか、まとまりなく語られています。おそらくイスラエルの現状を前にして、アモスは神様の裁きを語らざるを得なかったし、同時に最後の生き残りを賭けて、神様への立ち帰りを勧めざるを得なかったし、すべてを支配されている神様への賛美が口をついて出てきたのでしょう。
アモスはイスラエルに「自分の神と出会う備えをせよ」と呼び掛けた後「悲しみの歌」を歌います。「イスラエルの家よ、この言葉を聞け。私がお前たちについて歌う悲しみの歌を」「悲しみの歌」と訳されていますが、この言葉は、単に悲しい歌ではありません。死を哀悼する歌であり、挽歌です。埋葬に際して泣き女が歌う習慣になっていた歌です。それは他の曲とは明らかに異なる調べでした。祭りの中に、アモスの挽歌が響きます。祭りの場にはふさわしくない歌です。ごった返していた人々は、驚いて耳を傾けたでしょう。北イスラエルは「おとめイスラエル」と呼ばれています。「おとめ」ですから、まだ結婚していない女性です。当時のことを考えれば10代前半でしょう。古代において、女性や子供は弱い立場にありました。父親や家族に守られなければ、生きていくことができません。人生も、まだこれからです。そのように弱く、人生経験も乏しくて、一人では生きていくことができない「おとめ」にたとえられた北イスラエルが「倒れて、再び起き上がらず、地に捨てられて、助け起こす者はいない」とアモスは言いました。原文では「倒れた。再び起き上がることはない。地に捨てられた。誰も起こしてくれない」となっています。北イスラエルがアッシリアに滅ぼされるのは40年後です。けれども、ここでは「倒れた」「捨てられた」というふうに、確実なできごととして語られています。また北イスラエルは倒されるのではなく、自ら倒れるのです。列王記に記されていたように、ヤロブアム2世の政治的経済的に安定した時代の後、アッシリアによって北イスラエルが滅ぼされるまで約30年、6人の王が立ち、4人が暗殺されます。宗教的混乱は政治的混乱をもたらしました。自力で立ち上がることができなくて、倒れたまま横たわり、地に捨てられた北イスラエルを、外から起こしてくれる人もいません。ただ死を待つのみです。アモスは続けます。「まことに、主なる神はこう言われる。『イスラエルの家では、千人の兵を出した町に、生き残るのは百人、百人の兵を出した町に、生き残るのは十人』」アッシリアとの戦いで、生き残る兵士は1割です。9割の者が死ねば、全滅と言った方が正しいでしょう。北イスラエルの絶望的未来ですが、アッシリアによる北イスラエル滅亡の背後には、神様の確かな御手、裁きの御手が働かれています。
「悲しみの歌」を歌った後、アモスは、北イスラエルの生き残る道を語ります。死の歌と共に生命の言葉が語られます。生をも死をも支配される神様の御力が明らかにされています。生命の道、それは「主を求めて生きる」道です。アモスは語ります。「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。私を求めよ、そして生きよ」神様はイスラエルに「私を求めよ」と言われました。「求める」という言葉には「主の御心を求める」という意味があります。北イスラエルの人々は、自分達が神様を求めていないとは思っていませんでした。アモスは、ベテルの聖所で、祭りのために集まった人々を前にして語っています。そこには大勢の人々が集まり、いけにえと献げ物を献げていました。彼らはベテルやギルガルの聖所に詣でていました。自分達は熱心にベテルやギルガルの聖所に詣で、十分な献げ物をしている。自分達は神様の御心を求めていると思っていました。けれどもアモスは「ベテルに助けを求めるな、ギルガルに行くな、ベエル・シェバに赴くな」とイスラエルに語ります。人々はベテルやギルガルの聖所へ行くことこそ、神様を求めることだと思っていました。ですからベテルやギルガルの聖所へ行くなとは、どういう意味なのかという疑問が湧いてきます。アモスは、その理由として「ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するから」と、聖所へ行くことの無益さを説きます。アモスは形式的信仰に陥っているイスラエルに警告していますが、人々は自分達の信仰が形式的であることにさえ気付いていないのです。最初の王ヤロブアムの罪から離れることのできなかった北イスラエルは、信仰的感性も失っていました。
「主を求めよ、そして生きよ」この神様の命令に聞き従わない時、神様の裁きの言葉が臨みます。「さもないと主は火のように、ヨセフの家に襲いかかり、火が燃え盛っても、ベテルのためにその火を消す者はない」ヨセフの家とは、北イスラエル王国を形成しているエフライム族とマナセ族です。神様の激しい怒り、正しい裁きは火のようにイスラエルに臨みます。ベテルの聖所も滅びから免れることはできません。さらにアモスは、イスラエルの信仰が形式的なものであることを指摘します。「裁きを苦よもぎに変え、正しいことを地に投げ捨てる者よ」これは支配者達が、裁きを自分達に都合の良いように変えている、北イスラエルの現実の姿です。まことなる神様を畏れるなら、正しいことはしっかりと確立されるべきなのに、支配者達は地に投げつけて、その上を踏みつけていました。裕福な者達が自分達の富のために、貧しい者から搾取していました。社会的弱者への配慮に欠けていただけではなく、彼らを顧みることなく、さらに不正が行われていたのです。
支配者達を非難したアモスは、神様をほめたたえます。「すばるとオリオンを造り、闇を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。その御名は主」すばるとオリオンは、もっとも目立つ星々です。現代と異なって夜は真っ暗闇です。数え切れない星々を仰ぐ時、人は創造主なる神様を思います。数え切れない星々を創造された神様は、同時に闇を朝に変え、昼を暗い夜にすることができます。古代の人々にとって、夜と闇は恐怖でもありました。その夜と闇を支配され、夜明けをもたらす神様。海の水を蒸発させ、雨、雪となって地に注がれる御方です。自然が神ではなく、自然そのものを創造され、それを秩序をもって支配される御方です。イスラエルが真実を憎み、熱心に悪を行っている現実の中にあっても、神様は秩序をもって、すべてを正しく支配されています。そのような力強さ、秩序正しさを持つ神様が「突如として砦に破滅をもたらされると、その堅固な守りは破滅」します。
ヤロブアム2世のもと、繁栄の陰にある社会の不正をアモスは語ります。イスラエルの町は城壁に囲まれていました。出入りのための門があり、門の内側にある広場は裁判の場でもありました。町の長老達が、町の中で起こった事件や問題、家庭内の問題、反抗する息子や相続の問題も含めて、判定を下していました。ところがアモスの時代、支配者達は、訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌っていました。また裕福な者は弱い者を踏みつけ、穀物の貢納を取り立てていました。アモスは彼らに対して、裁きを宣言します。「切り石の家を建てても、そこに住むことはできない。見事なぶどう畑を作っても、その酒を飲むことはできない」自分で建てた立派な家に住むことができず、育てたぶどうから作ったぶどう酒を飲むことができないということは、神様の祝福に与れないことを意味しています。繁栄の中にあり、神殿詣でを熱心に行い、豊かな献げ物を献げ、表面的には信仰的な生活を送っているけれども、それは表面的なものであって、神様の目には罪は明らかでした。「お前たちの咎がどれほど多いか、その罪がどれほど重いか、私は知っている。お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている」裕福な者と貧しい者が公正に裁かれていない。そのような社会では真実を明らかにしても、何の意味もないから、知恵ある者も沈黙を守ります。語るべき人が語らない社会です。アモスは「まことに、これは悪い時代だ」と非難しています。
アモスは再び、勧めの言葉を語ります。「善を求めよ、悪を求めるな、お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主は、お前たちと共にいて下さるだろう。神様を求め、善を求める道こそ神が共にいます道。悪を憎み、善を愛せよ、また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が、ヨセフの残りの者を、憐れんで下さることもあろう」イスラエルが悪ではなく善を求めるなら、生き残る道があるかもしれない。けれども、このアモスの言葉は「主を求めよ、そして生きよ」という言葉ほど力には満ちていません。アモス自身「そうすれば、あるいは」と一つの望みとして語っているに過ぎません。イスラエルの悔い改めに、神様が恵みをもって応えて下さる可能性に、アモス自身が最後の望みをかけているような言葉です。
ゆえに再びアモスは、現状のままのイスラエルに臨む裁きについて述べます。「憐れんで下さることもあろう」と言ったものの、イスラエルの罪はあまりにもひどく、希望がもてないのです。イスラエルのすべての町や村に、嘆きの声が上がります。その理由として、神様は「私がお前たちの中を通るからだ」と言われました。これは、出エジプト記12章の「主がエジプト人を撃つために巡る」と同じ言葉です。神様の裁きが、イスラエルの町にも村にも臨みます。18?20節にアモスは「主の日」について語っています。最初にアモスは「災いだ、主の日を待ち望む者は」と断言しています。アモスの時代、人々は「主の日」について甘い期待を持っていたようです。そのようなイスラエルに向かって、アモスは「主の日」は彼らにとって光や輝きではなく、暗闇であることを宣告しています。暗闇、それは獅子や熊から逃れて、安全な場所である家にたどりついて、壁に寄りかかった瞬間、手を蛇にかまれるような、決して避けることのできない神様の裁きの日です。イスラエルにとって「主の日」が神様の厳しい裁きの日である理由の一つとして、彼らの誤った礼拝姿勢がありました。神様はアモスを通して、イスラエルの礼拝のすべてを拒否すると宣言されました。
神様が求めておられるのは「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」ということでした。波のように押し寄せ、岸を激しく洗い、すべてを清める洪水のように国中に流れる正義、そして季節に変わりなく、大河のように国中に流れ続ける恵みの業でした。イスラエルでは不正が行われていました。イスラエルの礼拝は受け入れられませんでした。「私を求めよ、そして生きよ」「主を求めよ、そして生きよ」と神様がアモスを通して勧めざるを得ないほど、礼拝は形式的なものとなり、神様を求めていませんでした。神様との霊的交わりがなくなっていました。まことなる神様を畏れるなら、不正は行われないし、正義を行うことは、神様に対する神の民としての応答です。献げ物で満ちている聖所、祭りでごった返している聖所が、神の民としての応答ではありません。神様はエジプトからカナンまでの旅を思い起こさせます。40年の間、荒れ野にいた時、イスラエルが神様に献げ物をささげたから、顧みられたのではありません。イスラエルが、まことなる神様を求めていたから、過ちを犯しながらも、神様はカナンまで導き上ったのです。今、イスラエルは、まことなる神様を求めないで、献げ物に夢中になり、偶像礼拝の罪も犯しています。神様はイスラエルに対し、アッシリア捕囚は御自身の御業であることを宣言されました。まことの神様へ、まことの心をもって礼拝をささげないイスラエルに、神様の刑罰が下るのです。
「主を求めよ、そして生きよ」これは私達にも語られている言葉です。私達が推理小説で犯人を追うかのように、覆われている謎を解くのではありません。神様の方から覆いを取り去って下さり、神様の方から「私を求めよ」と招いて下さっています。私達には主を求めて、与えられた人生を生きる道が開かれています。絶望的状況の中にあって、人間の目から見れば救いようのない状況の中にあって、なお主を求めて生きる道が開かれています。人は絶望に陥り、死をさえ願う時があります。死を願わないまでも、生を見捨てる、生きることへの熱意を失う時があります。そのような私達に対して神様は、さらに「生きよ」と言われています。生きる力も神様から与えられるのです。申命記4章に「あなたたちは、あなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう」とモーセを通して語られた御言葉が記されています。どのような状況の中にあっても、私達が心を尽くし、魂を尽くして主を求めるなら、生きる力が与えられ、生きる道が開かれています。生命の道で、神様と出会うことができます。神様と出会うことにより、共にいます神様を知ることができます。それは頭の中で考えることではなく、実感として神様を知ることです。霊的な交わりを知ることです。それによって、信仰が深められ、また神様を求める心が強められていきます。信仰生活は、その繰り返しであり、日常生活の中で積み上げられていくものです。それが証の生活であり、私達の証の生活を通して伝道の御業がなされていきます。「主を求めよ、そして生きよ」この招きの御言葉に応える群れとして、瀬戸キリスト教会の歩みを整えていただきましょう。