2006/09/25

06/09/24 正しいものは一人もいない T

正しいものは一人もいない
2006/9/24
ローマの信徒への手紙3:9?20
 国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導が、東京地裁で違法とされました。国旗・国歌法案を成立させる過程で、政府は同法案を教育現場に持ち込まないことを国会答弁、官房長官会見で明言していたのにも拘わらず、教育現場では日の丸掲揚、君が代斉唱が義務づけられてきました。都教委の教育現場に対する過剰な干渉は教職員に対する大量処分となって表れています。
 日の丸や君が代には軍国主義の精神的支柱として利用された歴史があります。誰もが素直に受け入れられない現実があります。教職員が式を妨害するのは許されませんが、国旗掲揚や国歌斉唱を拒む自由はあります。東京地裁の思想良心の自由に基づく判決は常識的な判断だと思えます。むしろ、教育委員会が教育現場に日の丸掲揚、君が代斉唱を義務づけている現状が異常だと思えます。
 将棋の米長九段が園遊会で全国の学校に日の丸掲揚、君が代斉唱を広げるのが仕事であると胸を張ったのに対して天皇があまり共感を示さなかったのが思い出されます。国旗、国歌は強制させるものではなく、自然と国民の中に広がっていくのを待つべき性質のものだと思います。国技館で相撲を見に行った人々が優勝式で日の丸を仰ぎ見て、君が代を歌うのは自然な流れからくるものでしょう。
 私も学生時代、体育会系の日の丸掲揚、君が代斉唱には反発し、日の丸に対し後ろ向きになりましたが、今は若気の至りだと思っています。日の丸、君が代に対する国民の思いも時代と共に変化してきました。ワールドカップやオリンピックで日の丸や君が代に対し敢えて反対する者は現代の日本にはいないでしょう。
 都教委のような押しつけに対し現場が反発するのはむしろ自然な成り行きのような気がします。日の丸、君が代に反対するイデオロギー的な反対論を支持しているわけではありませんが、自然に日の丸、君が代が根付いていくを待つ姿勢が必要だと思えます。国旗、国歌を強制すれば、副作用の方が多くなります。
 多民族国家は国旗、国歌の元に集まるしかないのです。国旗に忠誠を誓うことが国家に忠誠を誓うことを意味するからです。国旗は国家の統合の象徴としての意味を持つからです。例えば、アメリカでは何処へ行っても星条旗が掲揚され、行事では必ず国歌が歌われます。彼らのアイデンティティーが国旗、国歌だからです。肌の色が違う人たちが国旗、国歌で一体感を感じられるからです。
 日本は単一民族ですから、敢えて国旗、国歌の元に集まらなくても良いはずです。それなのに国旗、国歌が強調されるのはそれなりの理由があるはずです。単一民族をさらに単一化させる理由があるからです。国家の効率が最も高いのが全体主義国家です。日本の指導者は戦前の全体主義国家を目指しているようです。
 国旗、国歌は国家から強制されるべきものではありません。日本が誇れる国であるのならば愛国心は自然に湧いてきますし、国旗、国歌を大切にするようになります。日本を子供たちが誇れるような国にすることが先決です 。そうすれば、子供たちも自然に愛国心を持ち、国旗、国歌を大切にするようになります。
 パウロはユダヤ人が唯一の神から選ばれた理由は、神の民、選民としての権利ではなく、特別な責務、律法、旧約聖書を守り抜いてきた責務にあると述べましたが、それだからと言ってユダヤ人には優れた点があるのでしょうか、全くないと断定しています。ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるからです。
 パウロは10節から18節までに旧約聖書から自由に引用した聖句を並べていますが、ヘレニズムユダヤ教から得た伝承によるものでしょう。パウロは先ず『正しいものはいない。一人もいない』と引用を始めています。人間の特性を「神の意志を悟る者もなく、神を探し求める者もいない。ただ迷いの中にいて、だれもが役に立たない者となった。善を行う者も一人もいない」、と述べています。次に、「彼らは人を欺き、死の世界に引き込んでしまう。欺瞞に満ちた話をし、悪意に満ちた口調で話す」、さらに、「破壊と悲惨に満ちた行動で人を傷つけ、不法な行いで平和の道を閉ざし、神への畏れを知らない」、悪を数え上げています。
 パウロは人間の悪を数え上げましたが、彼は人間の悪の状態が人間を絶望へと導くのではなく、むしろ希望へと導くことを確信していました。律法、十戒は唯一の神がユダヤ人に与えられたものですが、ユダヤ人はそれを守ることができませんでした。ユダヤ人は「律法を守れば救われる」と考えていましたが、律法に対する理解は時代を経るに従い、形式的なものへと変わっていきました。
 イエス様の時代には律法は形式的な法、細則に変わっていました。際限もなく広がる細則を人々は守ることができなくなっていましたが、それに連れて便宜的な手段が認められるようになりました。例えば、安息日には1km程度、会堂への道のりしか歩いてはいけませんでしたが、ハンカチを置けばさらに1kmを歩くことができるなどの律法学者が考え出した便法がまかり通っていました。
 『正しい者は一人もいない』、パウロは律法を実行することは人間には不可能であると考えていました。律法は人間の罪を指摘しますが、指摘された罪を実行する力は与えないからです。総ての人の誇りは神の裁きの前には空しく、全世界が神の裁きに服さざるを得なくなるのです。神の言葉を委託されたユダヤ人でさえ神の怒りを免れ得ないのならば、総ての人は神の怒りを免れ得ないのです。
 律法を遵守することで救いを得られると考えている人たちは、努力と成果を自らの功績として誇り、栄光を自分自身に帰してしまいます。律法による義、行いによる義は自分自身の業を誇り、栄光を神に帰することがないからです。『律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義、正しいとされないからです』。 ユダヤ人は『律法を実行することにより義、正しいとされる』と信じ込んでいましたが、パウロは『律法によっては、罪の自覚しか生じない』と断言していたです。ユダヤ人には律法は人間が努力すれば守れるものであり、パウロには律法は人間がいくら努力しても守りきれないものであったのです。それならば、律法の役割はなにか、人間に罪の自覚を与えさせるために律法が与えられたのです。
 パウロは『律法による義』を認めません。主を信じる『信仰による義』のみを認めました。パウロの信仰の根本には十字架の信仰、『人間は罪人だからこそ主は十字架に架かられ、三日後に甦えられた』、があります。主は恩寵、深い憐れみにより罪人、罪深い者をあたかも善人のように取り扱ってくださるのです。
 パウロの人間理解の根本には、人間はいかに努力しても『神の前で義、正しいとされない』、という思いがありました。シナイ山契約、『私はあなた方の主となる』、『イスラエル民族、ユダヤ人は主の民となる』はユダヤ人の選ばれた民、選民としての徴でした。ユダヤ人は神から選ばれた民の徴として「割礼と律法の遵守」に文字通り命を賭けました。安息日にローマ兵に襲われたユダヤ人が、安息日を守るために無抵抗のまま惨殺されたという話が伝わっているくらいです。
 ユダヤ人には律法を守ることが命を守ることよりも大切であったのですが、ユダヤ人は律法を守りきることができませんでした。イスラエル民族の歴史は、「神から離れる。預言者が神に立ち帰るように迫る。神から離れるイスラエル民族、王は神の裁きを受ける。神に立ち帰る。また神から離れる」、の繰り返しです。
 人間が律法を守るのには限界がありましたが、律法に囚われるユダヤ人は、律法を人間の思いに合わせて改変してきました。律法学者が聖書には書かれていない細則を造り上げました。日々の生活が人間の造った律法に縛られ、生活が息苦しいものとなっていました。神の意志、律法がなおざりにされてきたのです。
 人々は人間の造った律法、細則を守るのに一生懸命になり、神を見失っていました。割礼、神殿参りなどを形ばかりにすませることで神への義務を果たしていると錯覚していたのです。生ける神への信仰は、偶像崇拝とそれほど違わなくなっていたのです。「神への義務さえ果たせばよい!」、と堕落していったのです。
 律法学者の堕落は民から生ける神に対する信仰を奪っていったのです。彼らの「口では律法を説きながら行いにおいて律法を犯している」生活はユダヤ人を堕落させていきました。主の民としての誇りだけが強く、内実の伴わないユダヤ人は信仰的に疲弊していったのです。イエス様が登場なされたのはその様な時です。
 イエス様は神の律法を否定なされたのではなく、人間が造った律法、細則に囚われる民を憐れまれたのです。イエス様の福音は『イエス様を信じることで神の国へ行ける』という単純なものでした。現実の生活にも信仰的にも疲弊している民は主の福音を受け入れました。福音を主の十字架と甦りが証ししました。
 パウロは最初の信仰告白『ナザレのイエスは主である』、を律法、旧約聖書を通じて証ししましたが、人間の罪の歴史も旧約聖書には書かれています。人間の罪、律法を与えられていながら律法から離れてしまうユダヤ人の罪を考え続けましたが、『律法は罪の自覚しか生じさせない』、ユダヤ人には思いつきもしない結論に到達しました。律法に対する新しい理解がパウロの目を開けさせました。
 律法に囚われている世界では人間は罪人でしかありません。人間には律法の要求を完全に満たす力が与えられていないからです。律法による義を求めれば、『正しい者は一人もいない』からです。『律法による義』は、人間の努力や精進により神に義とされようとしますが、神に栄光を帰することがないから罪なのです。
 『信仰による義』は人間が罪深いことを認めて、総てを神の裁きに委ね、栄光を神に帰するから神に義、正しいとされるのです。主の恩寵、主の愛と恵みに総てを委ねる信仰こそが、パウロの証ししている信仰なのです。福音は人間の努力や精進には関係がないのです。むしろ、ユダヤ人が囚われていた罪の世界、律法を守るための努力や精進の世界が神の義からユダヤ人を遠ざけていたのです。
 パウロは『律法によっては、罪の自覚しか生じない』ことを発見した時に、彼の福音理解が新しい段階に入ったのです。彼にはラビとしてキリスト教徒を迫害した過去がありました。律法では『主の名を汚す者』は石打の刑で殺さなければなりませんでした。パウロは『律法による義』では有罪とされますが、『信仰による義』、恩寵の世界では無罪とされる全く新しい福音理解に到達したのです。
 人間の世界では『正しい者は一人もいない』のは事実ですが、それだからこそ福音によって開かれた新しい世界を生きることが必要なのです。ユダヤ人は律法に囚われているが故に、異邦人は罪を知らないが故に罪の世界に生きているのです。だから、生ける主に総てを委ねて生きていかなければならないのです。
 私たちの世界には具体的な法律があり、刑罰を受けるのは法律に反したときだけですが、信仰者として生きていくためには、この世の法を超えた神の法、戒めに従わなくてはなりません。主は『私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』、『隣人を自分のように愛しなさい』の二つの戒めを言われました。
 『主を愛する』、『隣人を愛する』が基準ですが、法律のように具体的な条文がありません。主の示された戒めの原則は愛ですが、愛という抽象的な表現は私たちの行動の規範としては曖昧です。律法のような行動の規範がないので戸惑いますが、『私たちの内なるキリスト』を信じ、内なる声に耳を傾ければよいのです。
 私たちが信仰生活を続ける中で、内なる声が聞こえてくるようになります。御言葉を聞き、祈りを合わす中で私たちは内側から変えられてくるのです。内なる人は私たちが自覚しない間にゆっくりと成長していきます。時には劇的に成長し、新しい信仰の段階に進む場合もありますが、一生に何回かの希な出来事です。
 信仰の世界はむしろ『急がば回れ』の世界です。地道な信仰生活の積み上げがいつの間にか想像すらできなかった世界に私たちを導いてくれるのです。禅宗の悟りの世界はキリスト教には無縁な世界です。生ける主と愛を交換できる世界、教会員と愛で繋がる世界、喜びに満ちた世界がキリスト教的な世界です。悪霊、悪魔が跋扈する世界、恐怖が支配する世界はキリスト教的な世界とは違います。
 信仰の世界は一人一人の個性が尊重される世界です。一人一人が神様から与えられた掛け替えのない命を持つから尊いのです。教会は一人一人の持つ賜物が最も生かされるように配慮しなければなりません。全体主義的な教会は私たちの目指す教会ではありません。私たちは個性を生かす教会を目指しているのです。
 瀬戸キリスト教会は開拓伝道からできた教会ですから、一人一人の個性を互いに知り合っていますが、伝道圏を考えれば知らないことの方が多いでしょう。教会が個性を持ち、自主独立を重んじるのはよいのですが、周りの教会との交わりも大切にしなくてはなりません。その辺の兼ね合いが非常に難しいのです。
 パウロは明確に全体教会へのビジョンを持っていました。教会のネットワークは帝国内に張り巡らさていました。彼がエルサレム教会への献金を自ら携えて上京したのが何よりの証拠です。伝道圏が停滞期に入っているように見えますが、瀬戸キリスト教会が伝道圏の協力によってできたことを思えば、我々にできうることをなすべきでしょう。『隣人を自分のように愛しなさい』、を実践しましよう。
  

2006/09/22

06/09/17 神の言葉を委ねられた T

神の言葉を委ねられた
2006/9/17
ローマの信徒への手紙3:1?8
 秋篠宮家に悠仁親王が産まれ、天皇の後継者ができたことになりますが、天皇家が皇室典範改正で世間が騒然としたのに対応したのでしょう。皇室典範改正は一次休戦になりましたが、現状のままでは天皇家は衰退してしまいます。
 男系天皇だけで皇統が絶えなかったのは側室制度があったからです。昭和天皇は女子の誕生が続き、跡継ぎに恵まれなかったので、側室を勧められたそうですが、それを断ったそうです。戦後は側室制などは論外の社会になりました。
 女性皇族は結婚をすれば皇族から離れるので、男性だけで皇族を守るのは不可能であるという「皇室典範に関する有識者会議報告書」の指摘は間違っていません。皇族に男子が産まれたのが41年ぶりだというのもその現れでしょう。
 男系天皇を主張する人たちは旧華族を皇族に復帰させ、男系天皇を守ろうとしているようですが、時代錯誤としか思えません。象徴天皇制で許される皇族の範囲は天皇と天皇と直系の宮家だけです。華族を復帰させるのは論外です
 男系天皇を主張する人たちの多くは万世一系である天皇、2000年の歴史ある皇室と主張しますが、歴史的事実と余りにも懸け離れています。「神武天皇のY遺伝子を男系皇族が受け継いでいるから男系天皇」は、科学的根拠が薄弱です。
 神武天皇が存在していたとしても、神武天皇のY遺伝子が遺伝学的に重要な意味を持つとは思えません。例えば、中央アジアの男性の7%くらいがチンギス・ハーンのY遺伝子を受け継いでいるという研究結果もあるぐらいです。
 Y遺伝子はX遺伝子に比べて小さく、情報量は非常に少ないことが知られています。Y遺伝子は人間を男性化させる遺伝子を活性化させるスイッチの役割を果たしいるだけです。男性が受け継ぐ遺伝情報は両親から半分ずつです。
 戦後育ちには天皇は日本国の祭祀を司る祭司職と説明された方が理解しやすいと思います。天照大神、卑弥呼も女性ですし、伊勢神宮の斎王も内親王が勤めていたので、古代では女性が祭祀を司っていたと思われます。男性社会になり祭祀を司る祭司職が男性、巫女が女性と役割が分担されたのではないでしょうか。
 天皇が日本国の祭祀を司る祭司職であるのならば、女性天皇が祭祀を司ってもおかしくはないはずです。国際的に見ても男系に限る王室は極少数です。平成の皇室は男女同権が相応しいと思います。皇室も時代と共に変わるべきでしょう。
 皇室典範改正論議が深まると共に、戦前の皇室を回顧する政治勢力が政治の表に出てきました。戦後教育を受けた世代の中にも復古調の人たちが意外と多くいました。憲法改正論議と皇室典範改正論議が複雑に絡み合ってしまいました。
 保守派は憲法改正を機会に天皇を国家元首にしようしていますが、危険な政治の流れだと思います。天皇を戦前の現人神にしてはいけません。日本国憲法、象徴天皇制は先の戦争で亡くなられた人たちの血で贖われた法制度だからです。
 天皇家がファッションとして受け入れられているのは構いませんが、戦前の現人神である天皇、大元帥を軍部が利用した時代に日本を戻らせてはなりません。
     
パウロは律法、割礼を神から選ばれた民の徴として誇っているユダヤ人に対し、神様の御心を行う者が神に選ばれた民であると主張しましたが、ユダヤ人からは『善が生じるために悪をしよう』とも言えるのではないかと誹謗中傷されました。
 パウロは信仰義認、「信仰によってのみ救われる」立場からユダヤ人と異邦人とは区別されないと主張しましたが、ユダヤ人が特別な民であることを否定したのではありません。ユダヤ人に神の言葉、十戒が委ねられてきた歴史的な事実を指摘しています。モーセがシナイ山で唯一の神から十戒を授けられた時に交わしたシナイ契約は、『あなたを主とする』、『イスラエル民族は主の民となる』は、永遠に有効であると主張しています。ユダヤ人の中にいかに律法を守らない者、不誠実な者がいたとしても、神様は真実な方、誠実な方であるから神様と交わされた契約は決して無効にされることはないとパウロは主張しているのです。
 『あなたは神の言葉を述べるとき、正しいとされ、神の裁きを受けるとき、勝利を得られる』、詩篇51篇の引用は、律法、十戒を守りぬくユダヤ人は終わりの日に勝利が得られることを確信しているパウロの勝利の宣言だと思われます。
 一方、パウロは彼を批判する者の詭弁、『私たちの不義が神の義を明らかにする』を人間の論法、議論のための議論として頭から否定しています。「人が罪を犯す、神に対して不従順になれば、神の義、神の正しさが明らかにされる機会を神に与えたことになる」、つまり「私が罪を犯したことにより神の義が明らかにされた」のだからは「神は私を罰することはできない」という論理構成です。
 この論法に従えば「神の正しさが人間の行いによって証明される」ことになりますが、「神は創造主、唯一の主であるのだから被造物に過ぎない人間の行いにより左右されることは決してあり得ない」とパウロは主張しているのです。詭弁を弄する者に対するパウロの反論は生ける主に対する絶対的な信頼から来ています。ユダヤ人ならば唯一の神に対して疑問を抱くことは許されないからです。『善が生じるために悪をしよう』は論理として既に破綻しているからです。
 パウロが手紙を書き送っているローマの信徒の中にはギリシア哲学に影響されている人たちもいたのでしょう。論理をもてあそぶ人たちもいたのかも知れません。その様な人たちに対して、パウロはユダヤ人の中には神様に対して不誠実な者もいたかも知れないが、神の言葉を委ねられた点においてユダヤ人は神に選ばれた民であったと主張しています。神の選びはユダヤ人だけに救われる権利を与えたのではなく、ユダヤ人に神の言葉、律法を守る責務を与たのです。
 神様がユダヤ人を見捨て去られたのは、神の言葉を聞く機会を異邦人に与えるためであり、異邦人がユダヤ人を教会に導くときが来るとパウロは確信していました。パウロはユダヤ人同胞の救いを切実に願っていましたが、ユダヤ人の神に選ばれた民、選民である意識が彼らを福音から遠ざけていました。人間の論法、詭弁を弄し、教会が宣べ伝えている福音を誹謗中傷する者もいました。
 自らの犯した罪を見つめる勇気のない者は、詭弁を弄して自らを欺くだけではなく、他人をも欺いてしまいます。例え、彼らはこの世を欺くことができたとしても、生ける主から罰を受けるのは当然であるとパウロは主張しているのです。
 ユダヤ人は律法を羊皮紙にヘブライ語で書き残しました。先祖代々文字で書かれた律法、聖書を伝えてきた特殊な民族です。古代社会ではユダヤ人だけが一神教です。ユダヤ人だけが信仰を文字で書き記し、それを現代まで伝えてきました。
 他の民族は多神教でした。原始的な信仰、アニミズムでは、霊や魂を信じ、魂が人から人へ、死者から生者へと移り住むことを信じていました。シャーマン、祭祀を司る祭司職や、呪術師、巫女のような職業も生じてきました。
 シャーマンは世襲されるか、霊媒、占いなどの特殊な能力を持つものがなります。神殿娼婦も豊饒の神々の霊力を男性に伝えるシャーマンでした。祭祀を司る儀式は口伝えで伝えられます。教義を書き記した聖典は存在しません。
 神道はアニミズムです。天皇はシャーマンですし、巫女もシャーマンです。神道には教義がないと神社本庁が認めているぐらいです。旧約聖書に出てくるバアル、アシュタロテ、モレクなどの豊饒の神々もアニミズムと考えられます。
 それに対して律法はヘブル語の一点一画をも忠実に書き写した羊皮紙が各地にある会堂に保存されていました。信仰を文字で書き記し、子孫に伝えることと唯一の主に対する信仰、一神教とは相互に影響し合っているのかも知れません。
 神を顕す名は、『神の名をみだりに唱えてはならない』ので現代に残された羊皮紙では神の名は主と書き換えられていますが、ヤーウェと呼ばれていたのではないかと考えられています。それほど忠実に律法は守られてきたのです。
 神の名が書き記された事実は、唯一の神、ヤーウェを人間を越える存在ではあるが、人格を持った存在だと捉えていたからです。アニミズムのように霊や魂など人格を持たないものを祀るのではなく、具体的な唯一の神を祀ったのです。
 アニミズムは偶像を礼拝します。世界各地からは豊饒の神々の像が発掘されています。芸術作品は偶像崇拝の名残です。偶像礼拝は人間の本能的な欲求です。出エジプトの旅の中でアロンが金の子羊を造り、民がそれを拝んだぐらいです。
 イスラエル、ユダヤ人の歴史は偶像礼拝との闘いの歴史でした。遊牧民がカナンの地に定着したのですから土地の神々、豊饒の神々の影響を受けます。ユダヤの民は唯一の神、ヤーウェを見失い、しばしば豊饒の神々に囚われました。
 ユダヤ人はヤーウェに対する絶対的な信仰を見失い、律法を形式的に論じる道を歩み始めました。信仰が律法学者の頭の中で考えられた論理で語られるようになってきたのです。生ける神に対する絶対的な信仰が失われてきたのです。
 ヘブライ人の思考にギリシア哲学の影響が加わってきました。議論のための議論をする者も出てきました。多神教的な見方、唯一の神を相対的に見る見方が教会の中にも広がってきました。詭弁が教会の中でまかり通っていたのです。
 パウロはユダヤ人の歴史的使命、神に選ばれた理由を明らかにしました。ユダヤ人は神の民としてこの世を支配するためではなく、神の言葉、文字で羊皮紙に書き記された律法を守り抜く責務を果たすために神に選ばれたのです。
 古今東西、多くの民族が存在しましたが、一神教は唯一の神ヤーウェに選ばれたイスラエル、ユダヤ民族だけでした。キリスト教もイスラム教も旧約聖書に書かれている唯一の神ヤーウェを信じる点ではユダヤ教と変わりません。旧約聖書に新約聖書、コーランを聖典として付け加えた点で異なるだけです。
 パウロは詭弁を弄する人々の論理を『善が生じるために悪をしよう』とも言える議論のための議論に過ぎないと断定しています。彼らには創造主である唯一の神ヤーウェに対する絶対的な信仰がなく、被造物である人間が相対的な信仰に置き換えたに過ぎないと反論しています。パウロはヤーウェには世を裁く絶対的な力が有り、人間の思いを超えた御方であることを明らかにしているのです。
 9.11テロから5年が経ちましたが、テロを境に世界は大きく変わりました。世界中の政治家がテロとの戦いを宣言しています。中には国内の政情が不安定な原因をテロに結びつけ、少数者を弾圧する口実に使っている指導者もいます。キリスト教とイスラム教との闘いであると主張する人は少なくありません。一神教だから妥協しない、敵を殲滅するまで闘う一神教は怖いという風潮があります。
 アメリカはヨーロッパから信仰の自由を求めて移民してきた人たちにより造られました。開拓農民は地上の楽園を創るためにひたすら働いたのです。「大草原の小さな家」で描かれたいるような人たちがアメリカの内陸部に今もいます。最近、旧来の長老主義、監督主義、会衆主義教会の枠に治まらない保守的な熱心主義の教会が力を持ち出してきました。同性婚反対、人口中絶反対、生命倫理に厳しい人たちは、ブッシュ大統領、ネオコン、新保守主義の支持者たちです。
 ネオコンの根底には「選民思想」があります。彼らにはアメリカは約束の地なのです。約束の地を侵したアルカイーダ、それを支持したタリバンは地上から取り除かなければならない悪なのです。ブッシュ大統領はキリスト教文化である民主主義をイスラム教国に強制しているので、自爆テロが治まらないのです。
 西欧が植民地獲得競争に走る以前は、ヨーロッパとオリエントは共存していました。エルサレムでもユダヤ教徒とイスラム教徒がモザイク状に住んでいたようですが、1949年イスラエル共和国が建国宣言をして、アラブ人をエルサレムから追い出したのです。ユダヤ人には2000年間待ちこがれた約束の地でしょうが、アラブ人には全く関係のない話です。さらにエルサレムはイスラム教の聖地でもあります。イスラエル共和国とイスラム教国との妥協のない闘いが始まりました。
 アメリカの経済を支配しているのはユダヤ人です。西欧諸国は心情的にユダヤ人を支持する傾向があります。律法には『寄留の民を虐げてはならない』とありますが、現実は正反対です。唯一の神を信じるユダヤ人とアラブ人、キリスト者が殺し合っているのです。非宗教の日本人からすれば理解できない現状です。
 「唯一の神の裁きを待つために、殺戮し合っている」としか思えません。コーランにもユダヤ教徒やキリスト教徒と仲良くしなさいと書いてあるそうです。主は『自分自身を愛するように、隣人を愛せよ』と言われました。日本人から見れば、三者三様、頭に血が上っているとしか思えません。生ける唯一の神に総てを委ねる信仰に立ち帰ることが必要です。平和を誰もが望んでいるからです。
 私たちの日常生活の中でも、お互いの利益が複雑に絡み合い、解きほぐすことができなくなることがあります。その様なときには頭を冷やし、主の元に立ち帰り、主の視線から現実を見直してみましょう。意外と予期しなかった解決策が見つかるときがあります。私たちはお互いに裁き合うことを止めましょう。『他人を裁きながら自分自身を罪に定めている』からです。裁かれるのは主だからです。

06/09/10 主の言葉を聞け M

2006年9月10日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
主の言葉を聞け     アモス書7章10_17節
讃美歌 70,2_22,389
堀眞知子牧師
7?9章にかけて5つの幻が記されています。これらの幻を神様が、いつアモスに示されたのかは分かりませんが、おそらく一度に語られたのではなく、それぞれ必要な時に語られたものが、このように編集されたのだと考えます。南ユダのテコアの牧者であったアモスを、神様は預言者として召され、北イスラエルに遣わされました。預言者として活動したのは、1年くらいではないかと考えられます。神様が時に応じてアモスに見せられた幻、その説き明かし、そして神様との対話が、アモスの預言者活動を支えたのです。すでに述べましたように、アモスの時代、北イスラエルはヤロブアム2世のもと、経済的に繁栄していました。滅亡まで40年もないなどと、誰も思えないくらい豊かな生活を送り、領土も拡張していました。滅亡の予兆など全く見えない中にあって、繁栄と退廃の北イスラエルに対する、神様の裁きを語る。それは、ノアが箱舟を造っていた時のようなものでした。人々からは戯言を言っているかのように思われ、多くの反対や抵抗もありました。その中で、神様が見せて下さる幻が、アモスを励まし、彼は神様の警告と裁き、北イスラエルに対する御計画を語り続けることができました。
7章には3つの幻が記されています。それぞれ「主なる神(主)はこのように私に示された」という言葉で始まります。これは幻が、神様に起源を持つものであって、アモスの個人的な考えとか、思想ではないことを示しています。突如として、神様が幻をアモスに見させたのです。第1の幻は「食べ尽くすいなご」の幻でした。原文では「見よ」という言葉が2度繰り返されています。「見よ、主は二番草の生え始める頃、いなごを造られた。見よ、王が刈り取った後に生える二番草であった」アモスの驚きと恐れを表しています。 「二番草」とは、最初の干し草の収穫が終わった後に、芽生えてくる草のことです。最初に取れる草は王のものとなり、二番草は庶民のものとなっていたようです。いなごの被害は、すさまじいものです。「食べ尽くす」という言葉が表しているように、いなごの大群が通り過ぎた後には、何も残っていません。二番草が収穫できなければ、人も動物も夏を前に食糧を失うことになります。しかも「主が、いなごを造られた」のです。神様が罰として、いなごを造られました。北イスラエルの不信仰に対する神様の怒り、自然をも支配される神様の御力が、いなごを造られました。アモスは、いなごが大地の青草を食べ尽くそうとしている幻を見ました。それは、北イスラエルの徹底的な滅亡を表しています。そこでアモスは神様に訴えました。「主なる神よ、どうぞ赦して下さい。ヤコブはどうして立つことができるでしょう。彼は小さいものです」「ヤコブ」は北イスラエルを意味しています。アモスは「ヤコブは小さいものです」と言いました。彼が「ヤコブ」と言ったのは「イスラエル」という名前を神様からいただく前のヤコブを意識していたからでしょう。アモスの執り成しの訴えを聞いた神様は、思い直されて「このことは起こらない」と言われました。罰の執行は取り消されました。けれども、それは結果としては延期されたにしか過ぎません。おそらくアモスは、この幻を見せられたことによって、北イスラエルの人々に悔い改めを迫ったと考えられます。それにもかかわらず、北イスラエルの人々は悔い改めませんでした。
 第2の幻は「焼き尽くす火」の幻でした。「見よ、主なる神は審判の火を呼ばれた」神様が、裁きの火を下そうとされていました。裁きの火は、大いなる淵をなめ尽くし、畑も焼き尽くそうとしました。大いなる淵や畑は、約束の地として、神様がイスラエルに与えた土地でした。神様が約束の地カナンの水を涸れさせ、北イスラエル全土を焼き尽くそうとされたのです。そこでアモスは神様に訴えました。「主なる神よ、どうぞやめて下さい。ヤコブはどうして立つことができるでしょう。彼は小さいものです」アモスの執り成しの訴えを聞いた神様は、思い直されて「このことも起こらない」と言われました。これも、いなごの害と同じで、罰の執行は取り消されましたが、それは延期されたにしか過ぎません。この時もアモスは、北イスラエルの人々に悔い改めを迫ったと考えられます。2度目の幻ですから、激しく悔い改めを迫ったでしょう。それにもかかわらず、北イスラエルの人々は悔い改めませんでした。
第3の幻は「下げ振り」の幻でした。「見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる」「下げ振り」というのは、建物や城壁などが垂直に立っているかどうかを調べる道具です。神様は下げ振りを手にして、城壁の上に立っておられました。第1、第2の幻は、それを見せられたアモスの執り成しの訴えに対して、神様が答えられましたが、ここでは神様がアモスに聞かれました。「アモスよ、何が見えるか」アモスは答えました。「下げ振りです」神様の質問は「何が見えるか」というものでしたが、アモスは下げ振りにだけ目を向けていました。神様が下げ振りを手にして、城壁の上に立っている、その全体の情景は目には入っているでしょうが、彼が見ているのは下げ振りだけでした。神様は、この幻が何を意味しているのかを、アモスに言われました。「見よ、私は、我が民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。イサクの塚は荒らされ、イスラエルの聖なる高台は廃虚になる。私は剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう」神様は垂直に立っているかどうかを調べる下げ振りによって、北イスラエルを調べるのです。北イスラエルの信仰を調べられます。神様は「我が民イスラエル」と呼ばれました。御自分の民であることは否定されていません。いや、御自分の民であるからこそ、その信仰を判定されるのです。イスラエルは神様によって召された民です。神の民とされた者には、神の民としての使命と責任が伴います。
そもそも北イスラエルは、ソロモンが晩年に神様に背いたこと、その子レハブアムが民の願いを聞き入れなかったので、神様がヤロブアムを北イスラエルの王として立てたことから始まっています。神様は預言者アヒヤを通して、ヤロブアムに約束されました。「私はあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ。あなたが私の戒めにことごとく聞き従い、私の道を歩み、私の目にかなう正しいことを行い、我が僕ダビデと同じように掟と戒めを守るなら、私はあなたと共におり、ダビデのために家を建てたように、あなたのためにも堅固な家を建て、イスラエルをあなたのものとする」ところがヤロブアムは、偶像崇拝の罪を犯し、北イスラエルは、この罪から離れることができませんでした。神様は「我が民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない」と言われました。おそらく第1、第2の幻を見せられたアモスが、北イスラエルの人々に激しく悔い改めを迫ったにもかかわらず、全く悔い改めることのなかった北イスラエルに対し、神様は「もはや、見過ごしにすることはできない」と判断を下されたのです。「私は剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう」と言われました。ヤロブアムの家、それはアモス時代のヤロブアム2世の家系と言うよりは、初代の王ヤロブアムに始まった北イスラエルを指しています。ヤロブアム2世の時代、アッシリアは無能な王によって一時的に衰退していましたが、その後、神様はアッシリアを用いて、北イスラエルを滅亡へと導かれます。「イサクの塚は荒らされ、イスラエルの聖なる高台は廃虚になる」と言われたように、北イスラエルは徹底的に破壊されることになります。第3の幻について、アモスは第1、第2の幻の時のような執り成しの訴えはしていません。もはやアモスが執り成すことができるような幻ではなかったのです。神様には、アモスの執り成しによって思い直す、あるいは延期するというお考えはありませんでした。「もはや、見過ごしにすることはできない」という、神様の強い意志が明らかにされたのです。
アモスは神様から見せられた幻に励まされて、サマリアでベテルで、神様の裁きの言葉を語りました。アモスの預言は、一般民衆だけではなく、ベテルの祭司アマツヤの耳にも届きました。アモスは第3の幻についても語ったので「私は剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう」という言葉は、アマツヤにとってヤロブアム2世への謀反のように聞こえました。アマツヤは、ヤロブアム2世に人を遣わして言いました。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地から連れ去られる』」アマツヤの言葉は、アモスが語った預言、北イスラエルの滅亡と捕囚については、的確に捉えていますが、ヤロブアム2世については、誤った捉え方をしています。アモスは、ヤロブアム2世が剣で殺されるとは言っていません。神様はアモスを通して「私は剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう」と言われました。ヤロブアムの家であって、ヤロブアム2世ではありません。アモスは、北イスラエルという国の滅亡と捕囚を語っていますが、ヤロブアム2世が剣で殺されるとは言っていません。歴史的に見ても、彼は剣で殺されることなく、普通に死んで葬られ、彼の子ゼカルヤが王となります。アマツヤはアモスの言葉を、自分の思いで受け取っていました。アモスが北イスラエルのことを語っているのではなく、ヤロブアム2世に対して謀反を起こそうとしていると考えました。
アマツヤはアモスに言いました。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから」アマツヤはアモスの自発的な国外退去により、事態を収拾しようと考えました。その理由として、ベテルは王の聖所であると言いました。アマツヤはベテルの祭司でした。ベテルは、北イスラエルの最初の王ヤロブアムが、北イスラエルの宗教的中心地の一つとして、祭壇を築いたところです。ヤロブアムは、北イスラエルの民が、いけにえをささげるためにエルサレム神殿に上るなら、民の心は再びユダの王レハブアムに向かい、彼らは自分を殺して、レハブアムのもとに帰ってしまうだろう、と考えました。そこで彼は、金の子牛を2体造り、人々に言いました。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である」彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置きました。また聖なる高台に神殿を設け、レビ人でない民の中から一部の者を祭司に任じました。ヤロブアムは新しい祭日を設け、自ら祭壇に上りました。この時から、ベテルに祭司はいましたが、レビ人ではなかったし、王が宗教的支配権を持っていました。北イスラエルでは、宗教的制度そのものが乱れていました。宗教的制度の乱れが、北イスラエルの不信仰を招いていました。
アモスはアマツヤに答えました。「私は預言者ではない。預言者の弟子でもない。私は家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主は家畜の群れを追っているところから、私を取り『行って、我が民イスラエルに預言せよ』と言われた。今、主の言葉を聞け。あなたは『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かって戯言を言うな』と言う。それゆえ、主はこう言われる。お前の妻は町の中で遊女となり、息子、娘らは剣に倒れ、土地は測り縄で分けられ、お前は汚れた土地で死ぬ。イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地から連れ去られる」アモスは自分が職業的預言者ではなく、牧畜や農業によって十分な生活を送っていたことを述べ、神様によって「行って、我が民イスラエルに預言せよ」と召されたから、語らざるを得ないことを言います。そして自分に「預言するな」というアマツヤ、神様の警告を受け入れようとしない彼に、再び神様の裁きの言葉を語りました。
神様はアモスを預言者として召され、アモスはアマツヤに「主の言葉を聞け」と語りました。これは神様御自身が「私の言葉を聞け」と命じられているのです。同じように神様は、私達にも「私の言葉を聞け」と命じられています。「私の言葉を聞け」それは神様の命令であると同時に、神様の招きの言葉です。私達は旧約の時代のように、神様が幻の中で語られるということは、ほとんどありません。なぜなら私達には、幻に優るもの、預言者に優るものが与えられているからです。それは2000年前の主イエスの十字架と復活であり、それを証している聖書です。私達は聖書を通して、神様の御言葉を聞くことができます。テモテへの手紙二3章に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」と記されています。私達が今、手にしている聖書そのものが、神様の霊の導きの下に記されました。もちろん、書き記したのは人間です。また、原本そのものは残っていません。さらに私達は、日本語に訳された聖書を読んでいます。私達が手にしている聖書は、何段階、いや数え切れないほどの人間の手を経て、伝えられてきたものです。けれども聖書は教会の中で生まれ、教会の中で伝えられてきました。その時々において、神様の霊が豊かに注がれ「イエスは主なり」を証言し続けてきたのです。私達は礼拝や祈祷会において、御言葉を聞き、共に祈りを合わせます。御言葉を聞き、祈る中で、生ける神様との交わりが与えられます。生ける神様との交わりの中で、初めて私達の霊性が養われます。知性をもって、聖書を理解するのではありません。霊性をもって聖書を読み、御言葉を聞き、祈りをささげる中で、さらに霊性が養われていきます。聖書を主の御言葉として聞き、祈りを通して主の御言葉を聞く世界が、私達の前に備えられています。主は私達に「私の言葉を聞け」と招かれています。私達の思いではなく、主の御言葉に従って生きる世界が与えられています。主は必要な時に、必要な御言葉を示し、御言葉によって生きる力を与えて下さいます。時に応じて私達の群れに、そして私達一人一人に語って下さる、主の御言葉を敏感に悟らせていただけるように、霊的な目と耳を養っていただけるように、祈り求めたいと思います。

06/09/03 神の裁きの確かさ M

2006年9月3日 瀬戸キリスト教会聖日礼拝
神の裁きの確かさ     アモス書6章8_10節
讃美歌 69,2_?22,336
堀眞知子牧師
サマリア陥落まで40年もありません。南ユダのテコアから、北イスラエルへ預言者として遣わされたアモスは、サマリアで、ベテルで神様の御言葉を語り続けました。特にベテルでは、豊かな経済力に従って献げ物をし、自分達は信仰において熱心だと錯覚している民に向かって、正しい礼拝、神様の義について語りました。けれどもアモスの警告に耳を傾ける人はいません。アモスは4章において、サマリアの裕福な婦人達に関する裁きを語りました。6章においては、サマリアの裕福な男性達、政財界の中心にいる支配階級の人々、権力者に向かって、アモスは神様の審判を語っています。
1節は、原文では「ああ、災いなるかな」という言葉で始まっています。そして「サマリアの山で安逸をむさぼる者」だけではなく「シオンに安住し」ている者にも語られています。アモスは北イスラエルに預言者として遣わされましたが、出身地である南ユダの現状も見つめています。列王記によれば、南ユダの王ウジヤは「主の目にかなう正しいことをことごとく行った」と評価されていますが、歴代誌には「勢力を増すと共に思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた」そのために神様に打たれて、死ぬ日まで重い皮膚病に悩まされた、と記されています。アモスが預言者として召された頃は、ウジヤは主の目にかなう道を歩んでいました。彼は国外的にはペリシテ人と戦って勝利を収め、国内的には井戸を掘ったりして農業の振興に努めました。彼は農耕を愛し、かつ技術者であり軍人でした。このように優れた事業をなし、自分がなす事業が成功し、自分の名声が遠くにまで及んでいく中で、驕り高ぶる心がわき始め、彼の心の変化が、支配階級にも、国民にも影響を及ぼしていたのかもしれません。南ユダの信仰が、北イスラエルの不信仰と同じ要素をもっているならば、たとえ神様が愛され、その神殿を置いたシオンにいても安全ではありません。シオンが宗教的に安住の地であるなら、サマリアは軍事的に安全な都でした。北イスラエルの人々は、サマリアの山は自然の要塞で、他国からの攻撃に耐えうる都であるから、安全であると考えていました。北イスラエルの王ヤロブアム2世は、アッシリアの一時的な衰退によってイスラエルの領土を回復し、軍事力・経済力を誇っていました。彼は自らを「諸国民の頭である」とうぬぼれて君臨し、イスラエルの民衆は、ヤロブアム2世を頂点とする支配階級に従っていました。
「諸国民の頭である」とうぬぼれているイスラエルに対して、アモスは言います。「カルネに赴いて、よく見よ。そこから、ハマト・ラバに行き、ペリシテ人のガトに下れ。お前たちはこれらの王国にまさっているか。彼らの領土は、お前たちの領土より大きいか」カルネもハマト・ラバも、イスラエルの北にあるアラム領ですが、アモスの時代、ヤロブアム2世の支配下にありました。またガトはイスラエルの南にあるペリシテ領ですが、ウジヤはその城壁を破壊しました。北イスラエルも南ユダも、アッシリアやエジプトには及ばないにしても、周辺の国々よりは力があると思い込んでいました。けれどもカルネもハマト・ラバもガトも、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされた直後に、アッシリアによって滅ぼされます。アモスは、今の北イスラエルと南ユダの繁栄は、自分達の力によるのではなく、ただ神様の恵みであることを語っています。申命記7章に「あなたは、主の聖なる民である。主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」と記されているように、イスラエルはヤコブの息子達から分かれた12部族によって形成された、少数民族でした。カナンの地を支配しているのも、現在の繁栄も、神様の恵みによるものです。にもかかわらず、神様への信頼を忘れ、不信仰に陥っていました。
経済的繁栄と領土拡大を、自分達の力によるものと思い込んでいるイスラエルに対し、アモスは宣言します。「お前たちは災いの日を遠ざけようとして、不法による支配を引き寄せている」支配階級の者は、アモスの警告に耳を傾けようともせず、彼の語る「災いの日」を遠ざけようとしていました。考えようともしませんでした。いわば偽りの安心感の上に立って、日々の生活を送っていたのです。偽りの繁栄の上に座り、貧しい民に対して横暴に振る舞っていました。アモスは彼らの生活を批判します。「お前たちは象牙の寝台に横たわり、長いすに寝そべり、羊の群れから小羊を取り、牛舎から子牛を取って宴を開き、竪琴の音に合わせて歌に興じ、ダビデのように楽器を考え出す。大杯でぶどう酒を飲み、最高の香油を身に注ぐ。しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない」一般の人々は、土間に座って食事をしていたのに、支配階級の人々は象牙の寝台、あるいは長いすに横たわって食事をしていました。最高の小羊や子牛を選び出し、食事をしていました。彼らは普段の食事において、肉を食べることができました。さらに食事をしながら、音楽を楽しんでいました。「ダビデのように楽器を考え出す」とは、ダビデにでもなったつもりで、音楽に興じる姿を表しています。浴びるほどのぶどう酒を飲み、高価な香油を体に注いでいました。香油は良い香りのするクリームで、カナンのような乾燥した地方では心地よいものでした。彼らは最高の家具、最高の食事で宴会を楽しんでいたのです。
彼らは一般の民衆とは、かけ離れた贅沢な生活の中で「ヨセフの破滅に心を痛めることがない」日々を過ごしていました。「ヨセフの破滅」とは、北イスラエルの滅亡です。彼らは北イスラエルの滅亡も、民衆の貧しさや苦しみにも、全く心を配ることがありませんでした。彼らが支配階級であり得たのは、その民を守ることが目的でした。ところが彼らは民を顧みることなく、権力がもたらす特権にのみ関心を持っていました。神様の恵みを忘れ、自らの使命も忘れ、快楽にふけっている支配階級に、裁きの言葉が語られます。「それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き、寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる」今、十分に手足を伸ばして酒宴を楽しんでいる支配階級が、神様に背いて生きている支配階級が、神様の罰としての捕囚の先頭に立つことになります。
「彼らは捕囚の列の先頭を行き」という神様の裁きの確実性が語られます。アモスは言います。「主なる神は御自分を指して誓われる」神様が御自分を指して誓われます。「自分を指して」というのは、古代の誓いの形式で、古代の人々は「自分の喉を指して」誓いをしました。それは「自分の命にかけて、魂にかけて」ということで、誓いを破った場合には、喉を切られても良いという意志を表していました。神様は御自身にかけて、サマリアに審判が下ることを宣言されました。「万軍の神なる主は言われる。私はヤコブの誇る神殿を忌み嫌い、その城郭を憎む。私は都とその中のすべてのものを敵に渡す」人間の力を誇り、神様に信頼を置かないものを神様は忌み嫌い、かつ憎まれます。そして神様が忌み嫌い、憎まれるものは、必ず滅ぼされるのです。
サマリアは、徹底的に滅ぼされます。アモスは語ります。「もし、1軒の家に男が10人残っているなら、彼らも死ぬ」当時の家には多くの家族が住んでいました。1軒の家に10人残っていたとしても、彼ら全員が必ず死ぬ、と神様は言われました。10節に記されていることは、イスラエルの慣習が背景にあります。イスラエルでは人が亡くなった場合、遺体は岩を掘って作った墓などに納めるのが普通でした。戦争とか飢饉とか疫病などで、多くの人々が亡くなった場合には、死体が処理しきれないので、火葬にしました。「親族と死体を焼く者が、彼らを家の中から運び出す」というのは、そのような悲惨な事件を背景にしています。悲惨な事件が起こると、被害が拡大することを人間は本能的に恐れます。ですから、一人が家の奥にいる者に「まだ、あなたと共にいる者がいるのか」と尋ねると「いない」と答えます。そして命の基である神様に見捨てられたことを思い「声を出すな、主の名を唱えるな」と言うのです。本来、命の基であり、イスラエルを守って下さる神様ですが、罪を犯して裁きを受ける者にとっては、神様が共におられることが恐怖となるのです。
さらにアモスは、神様の裁きが北イスラエル全体に及ぶこと語ります。「見よ、主が命じられる。『大きな家を打って粉々にし、小さな家をみじんにせよ』」神様に背いて、贅沢な生活を送っていた裕福な家だけではなく、一般の民衆の家も打ち砕かれます。神様の裁きがイスラエルに臨むのですから、貧富の差などは関係ないのです。さらにここでは、イスラエルの家々を破壊されるのは、神様御自身であることが強調されています。人間の歴史から見るなら、北イスラエルを滅ぼすのはアッシリアです。けれども、その背後には神様の御手が働かれています。北イスラエルは軍事力・経済力を誇って、自分達の国は安全だと思い込んでいました。サマリアは自然の要塞で、他国からの攻撃に耐えうると思い込んでいました。けれども歴史を司るのは神様御自身です。神様が北イスラエルの滅亡を望まれたのです。神様が北イスラエルの滅亡を御計画された以上、それを覆すことはできません。イスラエルは、自分達は神様の民であるから、神様から守られて当然と考えていました。神様の民をしての使命と責任を果たすことなく、いやむしろ積極的に神様に背きながら、自分達は大丈夫だと考えていたのです。北イスラエルの滅亡を防ぐことができるのは、軍事力や経済力ではありません。アモスの警告に耳を傾け、本気で神様に立ち帰ることのみが、北イスラエルの滅亡を防ぐことができる唯一の道です。ところが、彼らは、そのことに気づきもしなければ、耳を傾けることさえ拒否したのです。
アモスは2つの問い掛けによって、イスラエルが神様の秩序をねじ曲げたことを語ります。「馬が岩の上を駆けるだろうか、牛が海を耕すだろうか」源平合戦では鵯越の戦いが行われましたが、義経の戦術は意表を突くものであり、通常、馬は岩の上を駆けることはできません。牛が海を耕すことはできません。この問い掛けは「否」という答えしか返ってきません。このような問い掛けをされたイスラエルの人々は、アモスの愚かさをあざ笑ったでしょう。けれども、この問いの持つ愚かしさこそ、イスラエルの姿でした。誰にとっても明らかな愚かしさ、不条理なことが、イスラエルでは当然のように行われていました。続いてアモスは語ります。「お前たちは裁きを毒草に、恵みの業の実を苦よもぎに変えた」イスラエルの人々は裁きを毒草に変え、恵みの業の実を苦よもぎに変えていました「恵みの業」は「正義」と訳すこともできます。そして正義の方が、この箇所にふさわしいと考えます。北イスラエルの支配階級の人々は、人間社会における正義と公正を曲げていました。裁判において不公正がなされていました。貧しい人々を虐げていました。イスラエルという共同体を守り、導く立場にある者が、逆に害毒を流して民衆を苦しめていました。正義と公正の放棄は、神様の秩序をねじ曲げ、恵みを破壊と滅亡へと導くことになります。
イスラエルは、正義と公正を愛し喜びとする代わりに、軍事力を愛し喜びとしていました。アモスの言葉を聞いていた人々は、彼に向かって「私達は自分の力で、ロ・ダバルとカルナイムを手に入れた」と主張したようです。この2つの町はヨルダン川東の町で、ヤロブアム2世が領土拡張において、攻撃し占領した町です。人々は北イスラエルの軍事力を誇り、2つの町を手に入れたことを引き合いに出して、アモスに反論しました。それに対してアモスは、ヘブライ語で「ロ・ダバル」は「空虚」という意味であり「カルナイム」は「雄牛の角」という意味であることを指摘し「あなたがたは雄牛の角の強さで空虚を得た」と皮肉を語っています。それは、アッシリアによる滅亡の預言へとつながります。軍事力を頼みとするものは、軍事力によって滅びるのです。「しかし、イスラエルの家よ、私はお前たちに対して一つの国を興す。彼らはレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで、お前たちを圧迫すると、万軍の神なる主は言われる」神様がアッシリアを用いて、北イスラエルを北から南まで滅ぼされます。北イスラエルという国そのものが滅亡するのです。「私達は自分の力で、ロ・ダバルとカルナイムを手に入れた」と喜んでいますが、軍事力によって得たのは、いくつかの町にしか過ぎず、逆に軍事力によって国そのものを失うことになります。
神様によって宝の民とされたイスラエルは、神様に愛され守られると共に、責任と使命を負っていました。私達も同じように、神様によって召され、宝の民とされた群れとして、神様に愛され守られると共に、責任と使命を負っています。それは神様に召された群れとして、神様を愛し、聖日礼拝を重んじ、神様との交わりである祈りを重んじ、日々、証の生活を送ることです。私達は「主の日」主イエス・キリストの再臨の日を待ち望む群れですが、その日には裁きが行われます。私達の地上の歩みに従って、審判が下ります。裁き、審判と申しますと、何か恐ろしいものと思われるかもしれませんが、信仰に生きる者には何も恐れるものはありません。また「私は何もできなかった」と自らの力の足りなさや弱さを嘆くこともありません。むしろ神様は、自らの弱さに泣く者と共におられます。自分の力の足りなさを知り、弱さを知り、自らの力やこの世の力に頼るのではなく、神様に信頼し、神様にすべてを委ねる者を、神様は顧みて下さいます。神様から与えられた賜物に従い、つたない歩みであっても、ただ神様の方に目を向けて歩む者を、神様は愛されます。そして神様は、公正に裁かれる御方です。神様の裁きの確かさを信じ、裁きの日である「主の日」を喜びをもって待ち望む群れとして、瀬戸キリスト教会の歩みを整えていただきましょう。